紫雲 五
寺院では実力主義だ。戦う技量によって僧位が変わってくる。僧位自体は下から『
そして大僧都は僧都の最高位。魔物や魔族が出現したと報告を受けた際、
「それって、めっちゃ偉いって事じゃんか!」
「偉いかどうかはともかく、確かに重要な役職ではありますね」
苦笑して言う。
「は~。だから『紫雲様』で、この部屋かぁ」
雷韋は乗り出していた身体をソファに投げ出した。その際、雷韋の軽量な身体を受け止めたソファが、ぽふっと軽い音を立てる。
「紫雲って、教会じゃ賓客なんだ」
「いえ、そうとも限りませんよ」
「なんで?」
「君が心配してくれたように、本当に厩を宛がわれることだってあるんです。ここでは幸いなことに、こんな立派な部屋を与えて貰えましたが。そこ、そこの教会で違うんです」
そう言って、紫雲は小さく吐息を零した。
「ほんとに厩の時なんかもあるのか? いくらなんだって、巡礼者が使う宿舎でいいじゃんか」
それに対して、紫雲は緩く首を振った。
「陸王さんが君に言ったように、それくらい教会では私たち寺院の者は嫌われているんですよ」
「そんなの酷ぇよ! ちょっと役目が違うってだけじゃんか。教会の坊さん達はただ教義を説くだけだろ? でもあんた達は生命がけで人を護ってる。それってすっごく大変なことで、でも重要なことじゃん」
「こればかりは分かって貰えないんですよ。僧侶にとって、血を流すことは忌まわしいことですからね」
「そんなの……!」
「それに昔は私もそう思っていましたから、彼らの気持ちは分かるんです」
雷韋の言葉を遮って言うと、雷韋は紫雲の言った言葉にぽかんとした。
「……へ? 昔は?」
雷韋の驚いた顔を見て、紫雲は小さく笑った。
「私も、もとは僧侶だったんですよ。あの頃は、どうして血を流すようなことをするのかと理解出来ないでいました。神聖魔法で消滅させればいいと思っていましたから。でも、実際には神聖魔法を使っても、魔族は消滅はしません。生存困難なほどに切り刻んで、核を破壊するしかないんです」
「あ……、えぇ?」
雷韋はまともな言葉を発することも出来なかった。よもや紫雲が、かつて僧侶であったなどとは思いもしなかったからだ。
「驚きましたか?」
紫雲は悪戯っぽく笑ってみせた。
それに対して雷韋は、目をしばたたかせて頷く。
「最初から修行僧だと思ってた」
「最初から修行僧にはなれません。修道士か、僧侶が修行僧になるんです。私は五歳の時、両親と兄を亡くして、孤児が集められる修道院に入りました。そこで教義を教えられて僧侶になったんです。だから修行僧になったのは、そのあとですよ」
「そうなんだ。俺はてっきり最初から修行僧だったのかと思ってた。でもさ、なんで修行僧になろうと思ったんだ? 修行僧のやってること理解出来なかったんだろう?」
紫雲はそこで小さく苦笑した。
「対が見つからなかったこと、人の役に立ちたかったから。理由はこの二つですね。修行僧のことを調べてみたら、この二つが両方とも叶うことを知ったんです」
「え? 人の役に立ちたいってのは分かるけど、対が見つからないからって、どういうことだ?」
「修行僧は、対を捜しに旅に出ることが許されているんですよ。ですが、僧侶はそうはいきません。教会に縛られる立場ですから。だから、僧侶でも対が見つからないと修行僧になる者が実は少なくないんです。ただし」
そこで言葉を一旦切って、紫雲は至極真面目な顔になった。
「修行僧の生活は厳しいものです。寺院は全て自給自足ですから。教会や修道院のように人々からの布施は一切期待出来ません。全てを自分達の力でこなさねばならないんです。それに見合うだけの覚悟が必要です」
寺院では全てが自給自足だ。畑を耕し、農作物を育て、家畜の世話をし、食べるものを求めて狩りに出掛けなければならないことも少なくない。着るものも全て自給自足で自分達で作らねばならない。それ以外にも、魔物や魔族と戦うために、肉体的、精神的な修練を積まねばならなかった。半農で暮らし、人に仇なす生物を調伏する。寺院では、教義を反復するような時間は一秒たりとてないのだ。だから人々を教え諭すようなことはしない。実際には、それに要する時間がないのが実情だ。それが外から見ると、血を流すだけで、教え諭さないように見える。
そして、対を捜しに旅に出る者は、長旅に耐えられるだけの身体を作らなければならなかった。旅先で対を見つける前に倒れてしまっては元も子もない。僧侶や修道士は一カ所から動くことはほとんどない。何かの折に派遣されるという事もあるが、その時は大概馬車が使われる。特に僧侶は自分の足は使わないのだ。修道士ならばいくらか歩きはましだと言えるが。そうして歩き慣れない上に、体力もない。それでは旅は出来ない。だから旅に耐えられるだけの身体を作るのだ。勿論、その間にも魔物や魔族調伏の指令が教会組織から入ってくる。修練を積み、調伏の役目をこなしながら、地道に体力をつけるのだ。実際に旅に出るまで、早くても三年ほどはかかる。最終的には、寺院の最高責任者である大僧正に認められて、やっと対を捜すという目的に辿り着けるのだ。しかし、それ以前に調伏の際に生命を落とすこともある。
「寺院で生きるというのは、生と死が隣り合わせになっています。対を捜しに行く前に殺されてしまう人もいます。それでもやはり対を捜したい人は多い。寺院での生活は辛く厳しいですが」
紫雲の話を聞きながら雷韋は視線を俯けていたが、やがてそれを上げると言った。
「やっぱ、悩むよな。聞いてた俺でさえ、俺だったらどうするかって思ったもん」
雷韋の言葉に、紫雲は首を傾げるようにして不思議な笑みをみせた。
「私は悩みませんでした。全く」
「え?」
雷韋は驚きの声を上げた。そして、紫雲の暗褐色の瞳を見つめる。だが、その瞳は優しく笑んでいた。
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