死を招くラノベと書店員

新巻へもん

第1話 ブックス・デイドリーマー

 ガラス戸を押してスーツ姿の男が入ってくる。

 見るからに場違いな客だった。

 俺の中に眠っている本能が目覚める。

 こいつは一般人じゃない。

 スーツにコートを羽織り革鞄を手にしてビジネスマンを装っていたが、血と硝煙の世界の住人という臭いをさせていた。

 そもそも、うちは子育てファミリーが多い郊外住宅地にある駅近くの本屋だ。品ぞろえは子供向けのものが多い。

 土曜日の閉店間際の時間に、こんな格好で入ってくる自体が場にそぐわない。

 男はコートのポケットに手を突っ込むと店内を回り始める。

 俺はレジのところであくびをかみ殺した。

 閑古鳥の鳴いている書店で退屈でならないというふうに装う。

 時おり、俺の方に向けて油断なく視線を送ってくる男の様子には気づかないふりをした。

 ここでの生活が二年に及び、以前の剃刀のような剣呑さはだいぶ薄らいでいるはずだ。

 今でも昔のことを夢に見ることがある。

 でも、今はブックス・デイドリームの店番だ。

 身につけているエプロンの真ん中に鎮座しているオリキャラのくまちゃんが似合うキュートな本屋のお兄さん。

 ちょっとは無理があるかもしれないが、でくの坊には見えていると思う。

 まあ、ここの住人なら子供にも容赦をしない融通の利かない店員という評価をしている者もいるだろう。

 この店で万引きをしようとしたクソガキの親なんかはそう思っているに違いなかった。

 俺が他人にどう思われようが知ったこっちゃない。

 大切なのはブックス・デイドリームのオーナーにして、俺の雇い主である綾香嬢の大切な店がイナゴに荒らされないようにすることだった。

 本屋というのは難しい商売だ。

 薄利多売の商いなのに、以前のようには本は売れない。

 さらに万引きという名の窃盗犯による被害が経営を圧迫している。

 遊び、ストレス発散、心の病。理由はなんでもいい。

 窃盗犯も苦しいのだろう。

 だが、その被害を何の関係もない本屋が負うというのは絶対に間違っている。

 少なくとも綾香嬢の店で被害を出すことは俺の矜持に賭けても許さない。

 本来なら二度とそのような悪さが物理的に不可能なようにする方が手っ取り早いのだが、残念ながら日本は法治国家だ。

 なので、愚か者は証拠を揃えて警察に引き渡している。

 この店は昔ながらの書店のように見えるが、俺が徹底的に改造を施してあった。

 さして広くない店内には百個以上の監視カメラとセンサーで常時監視している。

 レジカウンターのところに置いてあるモニターにはリアルタイムでその状況が映し出されていた。

 モニターに反応がある。

 ラノベコーナーの本が一冊手に取られたことを示していた。

 男がレジカウンターにやってくる。

 酔っぱらいが奴隷を買うとかいうファンタジーだった。

 男の醸し出す雰囲気と全くマッチしていない。だが、客は客である。

「千三百二十円になります」

 男は現金で払い、俺は釣りとレシートを渡した。

「カバーはどうされますか?」

「かけてくれ」

「袋はどうされますか? 有料になりますが」

「いらない」

 カバーをかけた本を渡す。

 受け取った本を手にして男は外へと向かった。

 消毒薬が置いてある入口の台のところで一度立ち止まるとガラス戸を押して出て行く。

 腕時計に目をやると閉店時間を過ぎていた。

 レジ締めと店内の見回りは最後の客の来店前に済ませていたので、俺も上がることにする。

 エプロンを外して畳み、コートを着る。

 店の照明を落とし、外の街灯の明かりを頼りにガラス戸の方へと歩き出した。

 入口の台のところにカバーのかかった本が置いてあるのを見つける。

 とんだ粗忽者の客だ。

 俺はカウンターに戻るのが面倒で、カバー付きの本をコートのポケットに入れた。

 まあ、どうせ明日も出勤するんだ。

 ガラス戸の下部にある二か所の鍵を施錠し、シャッターを下ろしてそこも施錠する。

 お店のマスコットのくまちゃんのイラストと目が合った。

 

 翌朝、朝飯を食いながらラジオのニュースを流し聞く。

 この町の近くで昨夜遅くにひき逃げ事件があったことを告げていた。四十代の男性で身元はまだ不明らしい。

 綾香嬢が合宿から帰ってきたら気を付けるように言わなくては。

 夜自転車に乗るときは、どれだけダサかろうが蛍光色のベストを着用するように強めに言おう。

 流しを片付けて洗濯物を干すと家を出た。

 真冬に比べるとだいぶ温かくなってきた道を歩く。

 ブックス・デイドリームに到着しシャッターを引き上げようとして、何か違和感を感じた。

 いわゆる第六感というやつだ。平和な日本に似つかわしくないチリチリとうなじが逆立つ感覚。

 戦場にいたときにこいつには何度も助けられている。

 何があっても対応できるように身構えてシャッターの鍵を開錠し、ガラガラと引き上げた。 

 外の明かりがぼんやりと店内を照らす。

 くそったれなことに店内は滅茶苦茶になっていた。

 ガラス戸は施錠されていない。

 トゥルルルル、トゥルルルル。

 店の電話が鳴り出した。

 俺は一気に戦場に引き戻される。

 慎重にブービートラップが仕掛けられていないか確認した。

 ガラス戸をそっと引く。

 電話はまだしつこく鳴り響いていた。

 俺は床に落ちた本を踏まないようにしてカウンターにたどり着く。

 受話器を上げた。

「お待たせしました。ブックス・デイドリームですが」

 万に一つも可能性はないが、念のため営業用の声で出る。

 受話器からからかうような声が漏れた。

「ひどい白昼夢を見ている気分かね? どちらかというと悪夢と言った方がいいかもしれないな」

「どういうことです?」

「しらばっくれるのはやめたまえ。アレを渡すんだ。君には必要のないものだろう。渡してくれれば店の損害も賠償しよう。悪い話ではないだろう?」

「これをやったのはお前か?」

「ご想像にお任せするよ」

「何が目的だ?」

「さっきも言っただろう。あの男から渡されたものだ」

 受話器から聞こえる声が冷たくなる。

「さもなくば君も不幸になるよ。ホアンのようにね。また連絡する」

 いきなりプツリと電話が切れた。 

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