(11)
ハルは夕日の色に染まりつつあるメインストリートを大股で進む。ひとつ道を逸れてもまだまだひと通りは多い。それでも大部分は家路へと急いでいるのだろうことは伝わってくる。あるいは、これから酒場が軒を連ねる区域へ飲みに繰り出すか――。ハルは、ミカのファーマシーへユーリを迎えに行く途中だった。
「すいません。今日中に受け取らないといけない荷物がまだ来ていないんですよ」
ゾーイーの屋敷から五人の家へと帰れば、すぐにそんな電話がミカからかかってきたのだ。ちょうど自分が家にいるときで良かったなと思いつつ、ハルはユーリを迎えに行くことを請け負った。さすがに男がついていても、夜に女を出歩かせるのは良くない。
それでも電話を取るのは少々遅かったなと、道を進みながらハルは思った。恐らく国家試験が近いアンジュは図書館で勉強に没頭しているのだろう。エルンストは――いつも通り、家に帰ってきていない日が四日を超えたところだ。そろそろ帰宅するかもしれないが、それは今日ではない様子。
そう考えると、ユーリの夫たち四人の中で、一番頼り甲斐があるのはミカのような気がした。それは単純な消去法によるものだった。ハルは成人年齢だが、まだ学生。アンジュは未成年で学生。エルンストは最年長だが、論外。なんだかんだ、しっかり家庭を守れているのはミカだけのような気がして、ハルはモヤモヤとしてしまう。
アンジュがミカをユーリの最初の相手に相応しいと考えるのも、ミカが実質的に一家の大黒柱だからというのも理由のひとつだろう。大部分は、もしかしたらその結婚歴がある――つまり、女性経験がある、というところによるのかもしれないが。
アンジュは、ミカのことは素直に尊敬している様子だ。落ち着いた、頼れる年上の大人だと思っているのだろう。正直に言って悔しいが、ハルの中にもそういう認識は、ある。
二〇代前半にして王都のいい立地にファーマシーを持っていることを「運が良かったんですよ」と言いつつも、手堅く経営できている様子も、きっとユーリにだって頼り甲斐のある男として映るに違いない。
ハルは勝手にそういう空想をこねくり回して、勝手にもどかしい気持ちになった。
ユーリは他人に甘えるのが苦手なところがあるが、もしかしたら他の夫たちには見えないところで、ミカには甘えられているのかもしれない……。
いよいよそんな妄想へ突入しかけたところで、ハルはミカのファーマシーの前を通りすぎそうになっていたことに気づき、足を止めた。
「それでは、よろしくお願いしますね」
「ああ」
ハルがミカと話していると、顔が隠れるほど深くローブをかぶったユーリが店の奥から出てくる。一八以上を数えて、学園に通っていない成人女性は外出時、こうやって顔がほとんど見えないようなローブをまとうのが通例だった。未成年の学生は、男装をする。ユーリも学生のあいだはそうしていた。
「ユーリも。よろしくお願いしますね?」
「は、はい……」
含みのあるミカの声に、ユーリが気まずげな様子で視線をそらしたのが、頭の動きでわかった。
昼間の出来事――すなわち女だけで、ふたりきりで家にいたということは、ハルの口からは伝えていない。代わりにユーリの口からきちんと説明しておけと厳命したのだが……どうやらユーリは誤魔化すこともなく律儀にそれを守ったらしい。その結果が、今のミカの態度なのだろう。
ユーリを連れて、ファーマシーを出る。いつの間にかひと通りがまばらになっていた。お陰でユーリを――女を連れていることが、なおさら目立つ。急いで家に帰ったほうがいいだろう。けれども無理に歩調を速めるわけにもいかず、ハルはユーリの歩みに合わせて、少しもどかしい思いをしながらも足を進めた。
女の労働とは、子供を産むことである。出来る限り子供をたくさん産んで、その中で娘に恵まれれば、その女の人生は輝かしいものだったと思われる。この世界において、女の人生とはそういうものだ。
けれどもユーリはそういった考え方にはいまだに馴染めないらしい。「精神衛生上悪いから」という理由で、ミカのファーマシーで働いている。子を産む以外の労働をしなければ、心のありようにかかわってくるのだ、と主張されれば、軽率に「辞めろ」とは言いづらい。
しかし一方で、ユーリが今の状況に――己の主張に――申し訳なさを感じていることもわかっていた。女がひとりで出歩くのが危険すぎる以上、外出にはだれかが必ず付き添わねばならない。外で働くより、家にいてくれたほうが安心だとは、ハルも思う。
けれどもユーリの夫たちの中で、彼女に窮屈な思いをさせたいと考える者はいない。出来る限り妻であるユーリの願いを叶えてやりたいと思うのは、特別おかしいことでもないだろう。
しかし逆にそういった気遣いが、またユーリを萎縮させてしまっているのも事実で。
……ユーリは、この世界にいて幸せを感じることはあるのだろうか。この世界で――幸せになることは、幸せにしてやることは、出来るのだろうか。ハルはときおり、そんなことを考えてしまう。
もし、元の世界へ帰れることになったら、ユーリは。
「ちゃんと言ったんだな」
蟻地獄の底へと落ちて行くような思考を打ち切り、ハルは隣にいるユーリを見た。ローブに邪魔をされて、その顔は今は見られない。
「ハルが『ちゃんと言え』って言ったんでしょ。はあ……ミカはニコニコ笑顔で怒るから怖いんだよね……」
「自業自得だろ」
「う……。次からは気をつけます……」
ハルがぴしゃりと言えば、言葉に詰まったユーリが肩を落としたのがわかった。
「今日は……どうだったんだ? 変な客とか来なかったか?」
「来たとしてもわたしは奥で仕事してるから大丈夫。あ、でも……」
「ん?」
「今日は、ミカが裏で荷物を受け取ってるときにお客さんが来たんだよね。今日は荷物の受け取りが多くて。……で、そのひとが……なんていうか、変、だったかな?」
「どういう風に?」
「ずっとレジの前にいたからちょっと顔を出して声をかけたんだけど……わたしの顔を見たらすぐに帰っちゃった」
「お前さ……」
「え、ダメだった……?」
ハルが呆れと少しの怒りが混じった声を出せば、ユーリはよくなかったのだとすぐに理解したらしく、肩を強張らせる。
「でもさ、わたし別にすっごい美人とかじゃないし、自分でもあんまり女っぽい顔じゃないなって思うんだけど。胸もぺったんこだし、体つきだって。声だって高くないし……むしろ低いし……声だけなら男に間違えられることもあるし……」
ユーリはあわてた様子で言い募るが、ハルが大きなため息をつくと黙り込んだ。
「ミカが帰ってきたら、今日のこと言うからな」
「ええ……また怒られる……?」
「自業自得」
「ええー……」
ハルはそう言いながらも、ユーリと手のひらを合わせるようにして握り込む。いわゆる恋人つなぎの形となったが、ハルの視線に甘い雰囲気はない。それどころか、その金色の目はユーリに向けられることはなく、鋭く周囲を巡る。
ユーリは気づいていなかったようだが、途中までふたりのあとをつけているとしか思えない男がいた。その男はつい先ほど、路地裏に身を隠すようにして消えたのを、ハルは視界の端で確認したが……。
家路を急いだほうがいいだろう。ハルはユーリと絡めた手に、わずかに力を込めた。
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