(5)
ユーリたち拉致被害者の自立支援をしている政府の担当者から、お見合いを執拗に勧められているという話をハルが聞いたのは、ウィンターホリデー前のことだった。
ホリデーを前にして学園中に漂う浮ついた空気にハルは辟易していた。ハルにも一応、帰省先は存在するものの帰る気はさらさらなく、寮に残る腹積もりでいたわけである。ハルと同様に、様々な理由で寮に残る生徒は、少数だが存在している。
しかし女であるユーリはそういうわけにもいかず、政府が用意した拉致被害者たちが暮らすためのアパート――当然場所は秘匿されている――に戻る予定だという話は、もともとハルも聞いていた。
「別荘ぉ?」
ハルは自分でも、いかにもイヤそうな顔をしています、といった表情を今している自覚があった。ハルのそんな顔を見たユーリは、例の困ったような微笑を浮かべて、「まあそういう反応になるかな」と言う。
ユーリとの見合いを希望している相手――当然、成人男性――から別荘へ招待されたという話を、たった今聞かされたハルは、反吐でも出しそうな表情のまま、ユーリを見た。
「絶っっっ対ヤられる。一〇〇パーセント、間違いなく」
だれもが想像することの出来る未来をハッキリと口に出したあと、ハルはひどい気分になった。ユーリも、眉を下げてハルを見ている。しかしそうなることは、彼女だって容易に想像することが出来ているはずだ。女性当人なのだから、なおさら。
「だよね」
「……断れよ」
「やんわりと断ってるんだけどね」
「『やんわりと』とかヌルいことやってんじゃねーよ。ハッキリ断れ!」
「うーん……」
ハルが叱咤してもユーリの返事は煮えきらず、ハルはイラ立ちを募らせた。ハルはなぜ自分がこんなにもイラ立っているのか、きちんと理解していたが、しかし感情的な面ではそれを認めることを拒んでいた。
「担当さんはすごく親身になってくれるいいひとなんだよね。今回の別荘云々の話も、わたしのことを思って話を持ってきてくれたんだろうし」
「当人の意思を無視しようとしてる時点で、善意があろうがなかろうが『いいひと』じゃねえんだよ」
「あはは、ごもっとも……」
ハルは不愉快な気分が治まらなかった。どことも知れぬオッサン――このときのハルからすれば成人男性は全員オッサンだった――に、目の前にいるユーリがいいようにされるところをつい想像してしまい、内心で吐き気を覚えた。同時に、胸の奥からどうしようもない怒りが湧き立つ。
「バックレりゃいいだろ」
「そういうわけにもいかないよ。現状、わたしってどこにも行くところがないし……行けないし」
「ハッ。バッカじゃねーの。それで手篭めにされてりゃ世話ないぜ」
「だから、どうしようかなーって悩んでる」
相変わらずユーリは上品に微笑んでいたから、ハルからすると彼女がどれほどの危機感を募らせているのかは、計り知れなかった。
ハルは、ユーリに「そんなところへは行かない」と言って欲しかった。「わたしにはわたしの未来がある」と言って欲しかった。
けれども現実には、そんなことを言っていられる余地はないのだ。ハルとてそれくらいは、理解している。
「……『別荘には行かない』って言えよ。で、相手があきらめねえなら代わりに『学校で会うくらいならできる』って折衷案を押し通せ。そんでその担当とかいうやつに同席してもらえ。それくらいできるだろ」
ハルが妥協案を出せば、ユーリの顔が明るくなった。
「そっか、学校なら少しは安全だよね」
「『少しは』な。油断すんなよ。相手は会ったこともねー未成年を別荘に呼ぶような輩なんだからな。防犯スプレーとか持っていけ」
「うん……そうする」
素直に相手の話を聞き入れるところは、ユーリの美徳であり、また危ういところでもあった。
「……そんなに結婚したくねーの?」
「え?」
「別荘持ってる輩なんだろ。金ありそうだし、色々と自由にさせてくれるかもとか、考えないわけ?」
「うーん……。まあ、そういう未来もあり得るかもしれないけどさ。いきなり未成年を別荘に呼ぶひとはちょっと遠慮したいかな」
「そりゃそうだな。――けど、そうじゃなかったら?」
「『そうじゃなかったら』? うーん……わたしが思うに結婚って、一方的に相手になにかを与えたり、相手から貰ったりするものじゃないと思ってるから」
「ハッ。お花畑」
「そうかも」
ハルが鼻で笑っても、ユーリは怒る様子はない。
綺麗事や理想論ばかり言うユーリは、ハルからすると馬鹿そのものだ。けれど、それでも、やっぱり――彼女のその綺麗事や理想が守られればいいのにと、心のどこか、無意識のうちに願ってしまっていた。
けれどもハルは、「ユーリの思いが守られればいいのに」と他人任せに考えていた。あるいは神任せと言い換えてもいいかもしれない。とにかくユーリのそのお綺麗な思想を守るのはハル自身ではなく、どこかもっとそれに見合った、
そう、だから――だから、こんなことをするつもりは、言うつもりは、髪の毛の先ほども、一切なかったわけで。
「――おいオッサン。今後こいつに付きまとってみろ。マジでボコすだけじゃ済まさねえからな」
胸に強く抱き寄せたユーリの肩はかすかに震えていて、それがハルの指先から伝わると、心中に途方もない怒りが湧き立った。
場所は学園の応接室前の廊下。つるりときれいにワックスがけがされた廊下には、若い男――と言ってもハルたちより明らかに年上だ――がひとり尻餅をついている。ハルに負けず劣らずの怒りの目を向ける男の左頬は、にわかに赤く腫れ始めていた。
ハルは負けじと男を睨み返す。同時に、ユーリを抱き寄せた腕に力を込めた。その無意識の行動は、「お前を守ってやる」と、言外に言っているも同然だった。
「き、きみぃ! なにをやったのかわかっているのかね?!」
「アアン?! テメーこそなにやったかわかってんのか?! あ゛?! こいつを手篭めにしようとしたくせに、一丁前に怒ってんじゃねえよバーカ! 別荘に誘い込もうとした件といい、やることがいちいちキメーんだよオッサン!」
「オ、オッサン?!」
「――な、なにをしているんですか?!」
ハルたちの背後からバタバタと駆け寄ってくる足音がして振り返れば、眼鏡をかけた気弱そうな男があせった様子でこちらを見ている。
「テメーがこいつの担当か?」
「え?」
「ユーリの担当かって聞いてんだよ」
「そ、そうですけど……?」
「じゃあなんで席外してんだよ! バカか?! テメーがいないあいだにこいつが襲われたんだぞ?! どう落とし前つけるんだ?! あ゛?!」
ユーリの担当者と、ユーリの見合い相手――大の大人の男がふたり、まだ少年のハルの気迫に完全に呑まれていた。
ハルのアドバイス通りに、別荘へ誘ってきた男と学園の応接室で会うことになったユーリ。そこには担当者も同席する。そこまでの話は、ハルも聞かされた。
けれどもどうにも心がざわついて落ち着かず、肝心の当日、ハルはユーリには黙って応接室の近くをうろうろとしていたのだ。
自分でもなにをしているんだとハルは呆れ返った。ユーリはハルの……ただの先輩だ。将来を誓い合った仲でもなければ、恋人ですらない。だというのにハルはどうしてもユーリのことが気になって仕方がなかった。
そして――残念なことに、ハルの嫌な予感は的中してしまった。
同席するはずのユーリの担当者が途中で席を外し、ふたりきりになったところを見計らい、見合い相手の男がユーリに襲いかかったのだ。
しかしハルと知り合った一件からわかる通り、ユーリは簡単に手篭めにできる人間ではない。男と揉み合いになりながらも確実に足払いをかけて、相手が体勢を崩したところを逃げ出して――「偶然」近くをうろついていたハルに助けを求めた、というわけである。
「なんか、急に、襲ってきて……」
それだけ聞かされたなら、ハルはいつも通りに「クソだな」と吐き捨てるように言うだけで、軽率に男を殴ったりはしなかっただろう。常に暴れる機会をうかがっているようなハルでも、喧嘩をする相手はきちんと見極めていた。
けれども――けれども、ユーリの顔が青白くなっていて、いつもまっすぐで澄んだ瞳に陰が差していたから。……ユーリが今までに見たことのない、怯えた表情をしていたから。それを見たら、ハルは猛烈な憤怒の情に駆られた。
そうして気がつけば、追ってきた男をぶん殴って、ユーリを抱き寄せて、怒りのままにわめき散らしていた。
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