(2)

「送ってくれてありがとう。授業、がんばってね」


 ユーリをミカのファーマシーまで送り届けたハルは、結局その道中でさきほど聞きつけてしまった話――ユーリが、元の世界へ帰れるかもしれないと言う可能性――について口に出せず終わった。


 勝手口の鍵を開けて店内へと入ったユーリが、扉を閉めて施錠するところまで確認したあと、ハルは踵を返して学園へと向かうべく路面電車の駅を目指す。


 ひらけたメインストリートから、小高い丘の上にある王立学園の古式ゆかしく、仰々しい校舎を見上げる。ユーリと学び舎を同じくしていた時間が、妙に懐かしく感じられた。



 ユーリがこの世界に拉致されてきたのは、まだ一四のときのことだとハルは聞いている。


 そのころ王都でも大いに噂になっていた、さるカルト教団の「花嫁」を呼ぶための儀式が、なにかまかり間違って成功して――ユーリたち総勢二六名の少女が異世界へ拉致されることとなった。


 すでに教団を監視対象にしていた当局の動きは素早く、少女たちは二日と置かずに保護されたのは不幸中の幸いと言えるだろう。


 しかし当局の荒っぽい摘発の際に主だった教団員たちは自死を選んだため、その「儀式」とやらの手法は完全には解明できずに終わった。


 仮に解明できたとしても、異世界の少女たちを元の世界に帰せたかどうかは怪しいところである。歴史上、異世界から人間を呼び寄せたという事例は、残念ながら存在しないからだ。


 有史以来、異世界を発見したいと願う魔法使いは多くいたが、それらはすべて徒労に終わっている。だというのに、かのカルト教団はそれを成功させてしまった。


 それは神のいたずらか、悪魔の気まぐれか――。


 恐らくきっと、ハルが生きているあいだに解明される可能性は低いだろう。ハルはそう高を括り、どこか他人事のように思っていた。まさか近い将来、異世界に人間を移動させることができるかもしれないという、普通であれば与太だと一笑に付すような噂話に、心を乱されることになろうとは。


 ハルがユーリと出会ったのは、王立学園でのことである。


 ユーリの話によれば、異世界に拉致された二六名の少女たち――もともと、同じ学校のクラスメイト同士――は、当局に保護されたあと専用の施設へ移送され生活を送っていた。


 そこで元の世界へ帰す手段がないと知らされたあと、しばらくの期間を置いてから、希望者は学園への編入を許されることとなったらしい。


 ユーリたちは完全な被害者であったが、一方でいつまでも税金で養い続けるわけにはいかない、ということなのだろう。


 それにユーリたちは女だ。この、女が極端に少ない世界では貴重な存在だった。政府としてはこの世界の男に嫁いでもらい、子をなして欲しいというのが正直なところだろう。


 そこで身の振り方を決めろと迫り、就学の希望を出せば学園へ編入できるという選択肢を用意したのは、まあまあ血の通った提案に見える。実際のところは学園にだって多くの男がいるから、そこでの出会いを期待しての提案だというのは、少し考えればわかることだ。


 ただ、ユーリたちは未成年で、大人の庇護を必要とする存在で、そして常識の違う世界から来た、異世界人だった。政府の思惑をどこまで察することが出来ていたかは怪しい。


 とにもかくにもその中でユーリは王立学園へ編入する道を選んだ。


 そして、そこでハルと出会った。ユーリは一六歳、ハルは一四歳になる秋の日のことだった。



 ユーリは、旧校舎に繋がるひと通りの少ない渡り廊下で、男たちに囲まれていた。その背に少女を庇って。


 取り巻く男たちの円の外には、いかにも意地の悪そうな笑みを浮かべた少女が三人ほどいた。


 女といえば一〇を越えれば男たちのハーレムを築いているものである。そうしてハーレムにかしずかれて閉じこもるのも珍しくなく、だからハルには一四の自分よりも年上に見える少女たちが五人もその場に集まっているのは、不自然に映った。


「アシサカさん、今なら見逃してあげてもいいよ?」


 少女の意地の悪そうな笑みから、性根が腐ってそうな声が出てくる。


 真っ黒な髪をショートにした、「アシサカ」と呼ばれた少女――ユーリは、意外にも怯んだ様子もなく、まっすぐに意地の悪そうな少女を見据える。


「こんなこと間違ってると思うし、間違ってると思うことをわたしはしたくない」


 きっぱりとユーリがそう言えば、意地の悪そうな少女は醜く顔を歪める。


「――っ! アンタのそういうところ、ほんとムカつく……!」

「別にどれだけムカついてもいいけれど、暴力を振るったりするのは異世界でも普通に犯罪だから。ウエマツさん、犯罪者になりたいの?」


 ユーリが首をかしげて問う。ウエマツと呼ばれた少女は、唇をわなわなとさせて、わかりやすく怒りに震えていた。


 ハルの脳裏へ、なぜこんなことになっているのかの理解が及ぶ前に、不意に場は動いた。


 ユーリが囲んでいた男たちのうち、一番体格のいい男の腕を素早く捕まえたかと思うと、軽々と投げ飛ばしてしまったのだ。しかも、ウエマツのいるほうへ。


「おわっ」

「――ぐえっ」


 ユーリに投げ飛ばされた男は、間抜けな声を出してウエマツにぶつかる。ウエマツは見事にその下敷きになって、つぶれたカエルみたいな声を出した。


 他の男たちに動揺が走ったのが手に取るようにわかる。司令塔だったウエマツがつぶれたので、次にどう出るべきかわからないといったように、互いに視線を交わし合っている。


「ちょっと、はやくどきなさいっ!」

「す、すいません――」

「アンタたちも! はやくあのゴリラ女を痛めつけてやりなさいよっ!」


 復活したウエマツがキィキィと興奮したサルのように顔を赤くして、金切り声で命令する。しかし男たちが動くより先に、またユーリが男のひとりの足を払って、ぶん投げるほうが早かった。


「――ぐえぇっ」


 ユーリがまたしてもウエマツに向かって男を放り投げたので、ウエマツはまたつぶれたカエルみたいな声を出すことになった。


 ウエマツのこれまでの言動は悪役ヒールそのものであったが、妙に締まらない。どうにもコメディリリーフといった印象がぬぐえなかった。


 ハルはドタバタ喜劇コメディでも見せられたような気持ちになって、人知れず口角を上げていた。


 しかし多勢に無勢。ユーリは背後に別の少女を庇っていることもあって、徐々に劣勢になって行く。それでも中肉中背の女にしては十二分に健闘しているほうだった。


 やがてユーリが隙を突かれて羽交い絞めにされた瞬間――ハルは思い切り助走をつけて、彼女を背後から拘束した男に飛び蹴りをかました。

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