(1)
「――だから、帰れるかもしれないんだって」
「え? 本当に?」
「ほら、去年遺跡が見つかったってニュースがあったでしょ? あれが――」
中天にある太陽から燦々と日差しが降り注ぐコンサバトリー。
少し興奮した様子で話を続ける、若い女。目を丸くするユーリ。
ハルは、遠目からではユーリのその瞳の奥にあるだろう感情までもは、読み取れなかった。
昔、中流貴族が使っていたという屋敷は、ハルたち五人家族にはぴったりに思えた。
この物件を見つけてきたのは、家を留守にしがちのエルンストだ。
かなりの好条件だったので、始めはひとの好いユーリですら疑ってかかっていたが、じきに嘘でも、騙されているわけでもないことがわかったので、購入に踏み切ったというわけである。
無論、事前に内見もしたし、物件自体や土地に瑕疵がないかも、地域環境もぬかりなく調べ上げてのことだ。この点では王都のメインストリートに近い土地に店を構えているミカが多いに役に立った。
「案外と、商人としての顔もあるのですね」
エルンストは家族の中では二八歳と最年長だが、冒険家兼貿易商を自称しており、家にいないことのほうが多い。良く言えばミステリアスな人物で、悪く言えばどことも知れずふらふらほっつき歩いているオッサンであった。金は家に入れたり入れなかったりで、甲斐性があるかどうかは怪しいラインである。
だからエルンストの次に年長であるミカが感心した様子でそう言ったのも、無理からぬことであった。
エルンストは「心外だ」とばかりに眉を下げて笑っていたが、「日頃の行いというものは、ここぞというときに如実に現れ出るものですよ」と最年少のアンジュが言う。いつもはアンジュとはソリの合わないハルも、このときばかりは彼の言に同意した。
ハルたち五人家族は――今年で二〇歳になるユーリを中心とした、一妻多夫の一家であった。
今はまだ子供はひとりもいない。けれど、みんな将来的には子供を持って、育てて行くことを考えているからこその引越しだと――ハルはそう思っていた。
アンジュだって、ミカだって、エルンストだって……ユーリだって。子供を望んでいるからこそ……この家族での将来を思い描いているからこそ、この屋敷を買ったのだとハルは思い込んでいた。
でもユーリの本心はどこにあるのだろうか?
ハルは、不意に不安に駆られた。
ユーリは、この世界の人間じゃない。異世界から拉致されてやってきて――元の世界に帰れないから、この世界で生きている。
政府に保護されたあと、王立の学園に編入して、ハルたちと出会って、今は卒業して、夫でもあるミカの店で働いている。
結婚して、家庭を持って、一方で自立して働いてもいる。それは順風満帆な人生に見えるだろう。
けれどもそれは、ユーリが元の世界にいたときに思い描いていた未来とは、絶対に違う。
だけど、もし、元の世界に帰る方法が見つかったとすれば――。
「ハル、帰ってきてたの?」
コンサバトリーから出てきたユーリが、少しだけおどろいた顔をして声をかける。
「お邪魔しています」
「あ、ああ……お構いなく」
「いえ、もうお
ユーリの後ろにいた、彼女と同じ年ごろに見える女が控えめに言う。
「電話はこっち」。ハルから視線を外してユーリが女を誘導する。女はハルに会釈をし、ユーリの後ろについて、じきにふたりの背中は見えなくなった。
この世界は男女比が著しく偏っている。女は少なく、男は有り余るほどにいる。だから、貴重な女がひとりで外を出歩くのは自殺行為だ。
先ほどまでユーリと話していた女は、電話で迎えの男を呼び出しに行ったのだろう。ハルのその予想は当たっていて、じきに一台の車が門扉の近くに停まったのが見えた。
「ふたりきりだったのか?」
本当に、ユーリに聞きたいこととは別の言葉がハルの口から出る。
「女が家にふたりきりだなんて、危ないだろ」
「鍵は閉めてあるよ」
「バカ。コンサバトリーなんてほとんどガラス張りだろ。そんなところで女がふたりだけだなんて、危なすぎる」
「そうだね……ごめん。よく考えてなかった……」
ぶっきらぼうなハルの物言いは、物心ついてからずっとそうだ。決してきれいな「お育ち」ではないハルにとって、今の口調でもそれなりに矯正しようと努力した結果だった。それでもトゲトゲしい言葉遣いは完全には治せていない。
ユーリはハルの言葉に萎縮した様子はなかったものの、己の過失を認めて素直に謝罪する。ユーリが素直なのは彼女の美徳であったが、やや素直すぎるきらいがある。
ユーリはまだ、この世界に連れてこられて――暮らし始めて、六年なのだ。少しでも跳ねっ返りなところのある女だったら、「仕方ないでしょ」とハルの物言いに機嫌を損ねてちょっとは言い返したりするものだ。
けれど、ユーリはハルの知る限りそういうところのない女だった。
ハルには想像しづらいが、ユーリの世界では男も女も大体同じくらい生まれるものだと言う。女が男より腕っ節で負けるところは変わらないし、夜中にひとりで寂しい場所を歩くのは危ないとは言っていた。
それでも、ユーリが元いた世界では、この世界よりも女はもっと自由で、息がしやすいのだろうということくらいは、ハルにも想像が出来る。
ハルは舌打ちを呑み込んで、「ミカはどうした?」と問うた。
既に学園を卒業しているユーリは、今はミカのファーマシーで働いている。もちろん表には基本出ることのないようにと店主であり、夫でもあるミカが気を遣っているのはハルもよく知っていた。
「どうしても話しておきたいことがあるってイノウエさんが……ああ、さっきの子が言ったから、ミカに頼んで悪いけど途中で抜けさせてもらったんだ」
「バカ。きっとそのイノウエとかいう女の連れがついてると思って送り出したんだよ」
「ごめん……ふたりきりじゃないと話しづらいって言って、イノウエさんが帰しちゃったんだ」
「はあ? さっきのやつ、イノウエとかいうやつの――」
「あ、ううん。政府のひと。だから、イノウエさんの恋人とか、夫とかじゃないんだって」
ハルは己の唇の隙間から、ため息が漏れ出るのがわかった。
その「政府のひと」とかいう男は、どうも熱心に仕事をする人間ではないらしい。一軒家に女をふたりだけ残して去ることが出来るなんて、ひとの心がないんじゃないかとハルは思った。もしなにかあったとしたら、首が飛ぶだけでは済まないだろうことは、ハルにも容易に想像がついた。
「このこと、ミカたちには――」
「言うからな」
「ええっ。そんな殺生な……」
「身から出た錆だ。自分を恨めよ、バカ」
「うーん……叱られるよね」
ユーリはそう言いつつ困った顔をするが、本気で気にしている様子はない。それは彼女が楽天家だからというわけではなく、夫たちと心を通わせている……と思っているからだ。釘を刺されはしても、ひどく怒られることがないとわかっているのだ。
ハルはそんなユーリを見て、胸中に生じた不安をぶつける先を見失った。
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