星降らぬ晴れた夜にて

翡翠

星降らぬ晴れた夜にて

 いつ底が剥がれるとも分からない革靴で、歩き慣れた道をゆく。今日は足が酷く重たい。この憂鬱さは何だろう。全て諦めたからだろうか。長い年月の執着を手放したからだろうか。しかしそれとて、私が自らの意思でそうと決めたのだ。後悔の入り込む隙間も寸分とない。こう決断するより他に、選択肢などなかったのだから。

 私にはかつて夢があった。誰もが無理だと笑い、諦めろと呆れたような夢があった。私だって分かっていた。けれどもどうして、私は火中に飛び込んだ。その地で私は、私を燃やし輝くことを望んでいた。大きな夢だった。

 何と愚かだったろう、と今なら思う。私のような人間が遠く煌めく一等星に焦がれたところで、我が身に燃やし得るものなど持ち合わせてはいないのだ。この命は可燃物ではない。どこにでもある、ただの氷だ。無駄に時間をかけて溶けゆくだけの私では、どれだけ手足をばたつかせたとて、見向きもされない十三等星にすら及ばない。この私が恒星になど、成れようはずもない。

 何を嘆くことがあろう。これは最初から、負けると決まった戦であったはずだ。全て分かった上で飛び込んだのだ。息継ぎの仕方を忘れ、水をかく気力さえ失せ、ただ沈みゆくだけの私だ。その私がこれ以上、何に抗おうというのか。それだというのにこの絶望感は、一体どこから湧いてくるのか。

 考えたとて事態は変わらない。それでも、考えずにはいられない性分だ。もとより既に、やるべきことなど残されてはいない。足元に広がる水溜まりが乾ききるまで、まだ幾らもある。形などとうに崩れた氷が、床に伸びたまま昇天の時を待っている。それが今の私だ。そこにはただ、頭上に広がる濃紺への渇望だけがある。それも今ちょうど、私を残して蒸発しようとしている所だ。だとすると私に流れ込むこの喪失感は、叶うはずのない望みが消えていく代わりなのだろうか。

 馬鹿馬鹿しい。持つだけ無駄な希望など、失ったとてそれが何だというのだ。そう頭で思う通りに、心は納得してくれないらしい。震えを抑えてついた溜め息と共に、溶け残った最後の一滴が、頬を伝って落ちてゆく。瞬く間に地面へ吸い込まれてゆく。


 私ごときの命などでは、雨の代わりにも成るまいが。

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星降らぬ晴れた夜にて 翡翠 @Hisui__

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