第26話 小さな来訪者

 その日は、朝から何か不穏な空気があった。

 いつもの街並みにも違和感があったのを、はっきりと何がとは言えなかったけれど感じ取っていた。

 

 カッキーサの都は、魔族に侵入されないように高い立派な城壁に囲まれている。

 街も端の方だとなかなか朝は光が入ってくれなくて、いつもの酒場も店内に光が差し込んで明るくなるのは昼が近づいてからだった。

「こんにちは。はじめまして」

 いつもの酒場、いつもの席に可愛らしい声が響いたのは、やっと店内も光が入ってきた昼どきだった。

 振り返った先にいたその声の主はフードを深くかぶっていて、少し斜めからだとよく顔は見えない。

 それ自体は、できる魔法使い……というかちょっともったいぶった魔法使いによくいる感じなので、この酒場では違和感がなかった。ただ、まだ若そうで華奢な少女ということはゆったりとしたローブ姿であっても分かってしまう。

(……女の子?)

 声と仕草だけでも伝わる魔法使いらしからぬ天真爛漫さにも違和感があった。魔法使いというのはひねくれている人間ばかりという印象がある。

 ルーシー姉さんも、クレイグもネサニエル爺さんもまだ幼くみえる女の子がこんな酒場にきてしまって大丈夫かと心配になって思わず料理を食べる手を止めてしまっていた。

「え、あ、はい。はじめまして」

 変な勧誘だろうかと身構えたけれど、後ろにはその女の子を守るようにエイヴェリーが立っているのが目に入った。

 ルーシー姉さんたちも、エイヴェリーの連れらしいことに安心してその魔法使いっぽい少女に向かい合ったけれど、僕はすべてを察してしまった。

「エイヴェリー」

 僕は慌てて立ち上がるとエイヴェリーに駆け寄って胸ぐらをつかむように密着した。耳元で酒場中には聞こえないようにひそひそと話したつもりだったけれどつい語気が強くなってしまう。

「あ、あれ、マリア姫さまでしょ!」

「うん。さすがキーリー。すぐばれるか」

 エイヴェリーらしくない困った顔でとぼけるように視線を逸しながら答えていた。

「こ・ん・な場末の酒場に連れてきて、何かあったらどうするのさ」

「やだなー。キーリーってばこんなところで積極的ー」

 僕は慌てて問い詰めていたけれど、少し冷静になってみるとエイヴェリーの顔と僕の顔が触れそうなくらいに密着してしまっていた。

 エイヴェリーは僕が怒っているのをごまかすために、ふざけているのだと分かっている。分かってはいるのだけれど、あまりにも間近でみるエイヴェリーの瞳が眩しすぎてつい僕は目を逸してしまい、自分でも顔が赤くなるのが分かってしまう。

「えっ、もしかして……」

 僕とエイヴェリーの小声でのやり取りを聞いたり、ローブ姿の少女を真正面から見たりしたルーシー姉さんたちも、この小さな魔法使いの正体に思い当たってしまったようだった。

 思わず大きな声をあげてしまいそうになったルーシー姉さんたちに、マリア姫さまは『内緒ですよ』というように唇の前に人差し指を立てていた。

「大丈夫。ちゃんと許可はもらってきているから」

 エイヴェリーも困ったような顔で、僕とルーシー姉さんたちに小声でそう報告する。

 僕は、頭は動かさずに目だけを左右に向けて酒場の中を確認していた。

(そういえば、今日は見慣れない人がちらほらいるな)

 朝からの違和感の正体は、これだったのかと理解する。

 道路や酒場の中の見慣れない人たちは、冒険者風を装っているけれどやはりどこか小綺麗だ。朝から酒場で飲んだくれているように見えても、剣はすぐに構えられる場所においていて離さない。そして、剣は細くて整っている。おそらく対モンスター用ではなくあくまでも儀礼用と非常時用なのだろう。

(普段は主な武器が槍の騎士さまたちってとこか……)

 僕は、内心でこんな変な任務に駆り出されてしまった彼らに同情する。

 変なことをしたら、捕まってしまうかもという恐怖は残ったままだったけれど、不気味な人たちの目的が姫さまを姫さまからばれないように警護しているのだと分かってほっとしていた。

「こんなところでお話もなんですから、エイヴェリーさまのお部屋に行きたいです」

 小さな魔法使いの女の子は、ルーシー姉さんたちのテーブルから一歩下がるとエイヴェリーの腕に自分の手を絡ませた。

 まるで交際中のカップルか、歓楽街でお客さんを誘うお店の人みたいに甘えた声と仕草だった。

 もっとも、可憐なスラリとした少女剣士っぽいエイヴェリーと、本当にまだ幼い女の子から大人になりかけている背格好でフード付きローブ姿もぶかぶかなマリア姫の二人は不健全な雰囲気はなく、そばで見ていても微笑ましい。

「えー。あー。うん。そうだね。移動しようか」

 エイヴェリーは、明らかに困り果てている。

 姫様を自分たちの宿屋に連れていくのも、犯罪っぽくってためらわれるけれど、この酒場で話を進めるのも難しいと仕方なく選択したようだった。

 酒場にいる変装して護衛している人たちも、その言葉を聞くと大慌てで、追う支度をしているのが分かってしまい。僕は内心で『ご苦労さまです』と同情していた。


 

「えっ、この部屋に毎日、寝泊まりしていらっしゃるんですか?」

 酒場からは歩いてすぐの場所にある僕たちが泊まっている宿屋に入ってくるなり、マリア姫さまは驚いていた。

(まあ、姫さまから見たら板を張っただけの部屋に木箱みたいなベッドがあるだけに見えるかあ……)

 僕たち、普通の冒険者にとっては、どうせ寝るだけの場所なのだしそんなに狭くもないし汚くもないし、悪い宿ではないと思っていただけに、こんなに驚かれるとは思っていなかった。

 姫さまからすれば、庭にあった花壇を管理するだけの小屋があんなに綺麗で豪華なのだから、ちょっと衝撃的なのだろう。

(今はエイヴェリーは個室だけれど、普段はこんな部屋に二人で寝泊まりしているといったらもっと驚きそう……)

「なるほど、冒険者というのは、こういったものなのですね」

 姫さまは、『勉強になります』と言いたげに妙に感心していた。

 あまり考えたことはないのか、冒険者に少し憧れてはいても本当に冒険者になりたいわけでもなれるわけでもないと思っているようだった。

「それは冒険者によりますが、長く拠点にする場合は、家を買ったり借りたりもいたしますよ」

 ルーシー姉さんがまるで別人みたいに、いつもとは全然違う丁寧な言葉で説明する。

「なるほど……もし、このカッキーサの街にずっと滞在していただけるのでしたら、私の方で家を手配いたしますのでおっしゃってくださいね」

 社交辞令もあるのだろうけれど、マリア姫さまが、ずっと僕たちにこの街にいて欲しいと言ってくれること自体はありがたかった。

「さて、お話に入る……前に」

 マリア姫さまは、そう言いながら急にくるりと回転した。

(何を見ているのか?)

 呑気にそんなことを考えて後ろを振り返ったりもしたけれど、姫さまの視線は僕に向いている。

「えっ? 僕?」

 なぜだろうかと僕が考える間もなくそのまま姫さまは、僕に向かって飛び込んできた。

「ひ、姫さま。何を!」

 僕はベッドに押し倒されたみたいな形になってしまった。

 予想もしていなかった姫さまの行動に、何がしたいのか分からずにただ狼狽してしまっていた。

(まさかいやらしいことをするわけじゃないだろうし……。しかもなんで僕なんだ)

 姫さまは、上に乗り僕の胸に頬をつけていたけれど、上体を起こしながらそのまま僕の胸をぺたぺたと触りはじめていた。

(あ、そうか。しまった)

 やっと姫さまが、何を確かめようとしているのか分かって青ざめた。

「やっぱり、キーリーさまは男の人だったんですね」

 ベッドの上で僕にまたがって見下ろしながら、マリア姫さまは不敵な笑みを浮かべていた。

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