第9話 芸術的なものを見せていただいた御礼に

「では、その赤ん坊も……お二人のお子様かと思っておりましたが、違うのですかな?」

 ウテン卿の態度が柔らかいように変わった気がした。

 僕たちのことを少なくとも敵ではないと理解し、どうやら自分の仕事を邪魔する存在ではなさそうだと安心したようだった。

「はい。この赤ん坊も交渉の上で取り返した子どもです。……私たちはまだ婚約者ですので、子どもを作るのはもっと成功して正式に結婚してからと言われております」

 エイヴェリーも乗り切ったと感じているのか、和やかな笑顔になって答えている。

 ボロがでそうなので、もうあまり余計な言わないで欲しいと僕はびびりながら思っているのだけれどもエイヴェリーは僕たちの設定を楽しげに話し続けていた。

「あまり、そういった古の趣味の魔族とは関わりがないのですが、しばらく人間の子どもを飼っておく習慣があるとは聞きますな。ご無事でよかったです」

 ウテン卿も自分の商売とは関係がないのであまり興味はなさそうだったが、赤ん坊に関しては慈しんだ笑みを浮かべている。人の命に対する感覚はまとものようだと思って安心する。

「しかし、この様な美しい女性を待たせるだなんてよくないですな。美しい女性というものは心移りやすく、言い寄る無粋な男性も多いものです、ええ、例えば私のような」

 でも、何故か次の瞬間には僕の方を向いて、説教なのか寝取る宣言なのか良くわからないことを言っていた。

「もっと言ってやってください。ポロア神さまに仕える人たちは、成功するまでは結婚しないとか悠長なことを言って女性を待たせる人が多すぎて困ります」

 楽しげにエイヴェリーもいたずらっぽい笑みを浮かべながら、僕をからかっていた。

 いや、あくまでも僕をからかい、ウテン卿を煽る演技だ。何を勘違いしているんだ僕はと正気に戻ろうとする。

「まったくポロアさまは、神話では美しい女性も美少年も大好きなのに今の信徒たちはお固いですな。私などは毎日快楽を求めないと生きていけないのでとてもポロアさまには仕えられません。ははは」

 ウテン卿は、罰当たりなものですと言いながら笑っていた。とはいえ、ただ楽しいことだけをやっていたら、こんな魔族の国の中で商売は成功していないだろう。

 謙遜しているだけだと思う一方で、さきほどからウテン卿の視線はちらちらとエイヴェリーの胸に注がれているのが分かってしまう。

 エイヴェリーが寝ている赤ん坊を太ももに乗せて、少し前のめりにウテン卿を上目遣いに見ながら話にのめりこんでいた。

 いや、落ち着け。これは作戦だ。

 エイヴェリーが自分で『オレなんかの色じかけに引っかかってくれるならラッキーだ』と言っていたじゃないか。

 ウテン卿の目がいやらしく釘付けになってくれるほど、僕たちに対する警戒は薄れていく。そう期待していいはずだった。

「ん?」

 エイヴェリーは可愛らしく意外な声を出した。

 納得して分かっていたはずなのに、つい僕の手が動いてエイヴェリーの肩を抱いてまっすぐ座り直させてしまった。

「私の目が、エイヴェリーさまの魅力的な二つのふくらみの谷間に釘付けになってしまっていたので嫉妬してしまったのでしょう」

「ああ、なるほど。そういう……」

 エイヴェリーはわざと誘惑していたわけではなかったらしい。視線を下げて自分の胸の膨らみが上から見るとかなり肌が見えるということを改めて確認してあとでにやりと笑いながら僕の方を見た。

(なんだよ。それは……もう)

「申し訳ありません。旦那さま、肌を見せないように気をつけます」 

 完全にエイヴェリーが僕をからかっているのが分かる。それどころではないはずなのに、僕は照れて何も言えなかった。

「申し訳ない。私めが美しいものを眺めるのが大好きなばかりに……。素晴らしく芸術的なものを見せていただいた御礼に、船に乗せる話は了承いたしました。私どもと一緒に国に戻りましょう」

 おお。

 僕はウテン卿の方からそう話をしてもらって内心では歓喜の雄叫びをあげていた。

 タダ乗りとはいかないだろうけれど、変な条件をつけられることもなさそうだと安心した。

「ありがとうございます。近々、船を出す予定がおありだったのでしょうか」

 ただ、あまり狙い通りだと大喜びするわけにもいかないと冷静に受け答えするように心がける。

「ええ……お感じになったと思いますが、ここ数日、魔族たちが荒れております。ちょうど、我々も一度、人間側の国に戻ろうかと思っていたところなのです」

 僕たちの狙い通りだった。僕はエイヴェリーやクレイグと目を合わせて軽くうなずきあった。

「このダルトワンの町周辺の魔族とは良好な関係なのですが、魔都の方の有力魔族も人間に対して怒り狂っているのがいるとのことなので何が起きるか分かりませんと思いましてな……キーリーさまは一部の魔族が怒っている何かご存知ではないですか?」

「えっ? いえ、詳しいことは何も」

 ほっとして油断していたところで、急に僕に話しかけられて慌ててしまう。

「そうですか。噂では、魔都にいる魔王さまが人間のパーティに討たれたというのですが」

 その言葉にどきりとしつつ、つい、『魔王は魔都で倒したわけじゃないんですよ』などと余計なこと言いそうになってしまって慌てて口をつぐむ。

 ウテン卿の表情は穏やかで親しみやすい声になったのは間違いがないが、今の質問をした時の目の奥は笑っていなかった。

「それは……さぞかし屈強な男たちのパーティなのでしょうね」

(油断するな。ウテン卿は僕たちのことも疑っている)

 そう思いながら、僕はとぼけた返事をした。

「そうですな。噂では男性四人のパーティだとか」

 ウテン卿はさり気なく僕やクレイグ、じいさんを見回したあとでまたエイヴェリーに視線を向けた。いやエイヴェリーにというよりも、また胸の膨らみをじっと観察しているようだった。

「ふっ、このような美しい婚約者がいるのに、そんな戦いはできませんな」

 ウテン卿はそう言って笑った。クレイグは何を言っているのか分からないという表情をしていたけれど、やっぱり僕たちのことを疑っていたということだ。

 残念ながら、僕たちはあまり強そうには見えないのでやはり違うかと判断したようだった。

「さすがに元凶となれば、船に乗せるのはためらいますので……ね」

 僕たちに聞かせたいわけでもなくぼそりとつぶやいた。

「明日には船を出したいと思っております。今晩はどうぞこの館にお泊まりください」

 ウテン卿は、話は終わりとでもいうように立ち上がった。

(勝った!)

 ほっとした僕の内心での雄叫びは別にして、僕たちは素直にウテン卿に感謝していた。

「ぜひ、今晩はご一緒に食事をいたしましょう」

 一応は、僕にも向かって話かけていたけれど、エイヴェリーの手をとりながらで明らかに口説く気満々だった。

 僕とクレイグと、あと後ろで立っていたメイドのエラさんが明らかに妬んだ目でウテン卿のその行動を睨みつけていた。

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