吾まだ死せず 改二 =輝く未来へ=
城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」で宜しく
昭和二十年、大和甲板にて。
前口上
昭和二十年、四月七日。軍艦大和の甲板上においてある条約が調印されることとなった。通称、「広島講和条約」である。
「では大統領、この降伏文書にサインして貰いたい。まさか嫌とは言うまいね?」
頭髪を全て刈り取りメガネを掛けた男が日本代表として流暢なキングズ・イングリッシュで話していた。後に「白人から世界を解放した男」として讃えられる偉人、東條英機だ。
先程、広島と書いたとおり、ここは呉港江田島近辺の瀬戸内であり、いわば大日本帝国の懐と言ってもいい場所である。そんなところに、なぜ自分は存在しているのだろうか。
……アメリカ合衆国第32代大統領、フランクリン・ルーズベルトは自分が何によって震えているのか生涯理解し得なかった。まあ尤も、彼の生涯はそろそろ尽きようとしていたのだが。
広島近海において行われた枢軸国と連合国の講和条約のうち、日米戦線のものは以下の通りである。
・アメリカ合衆国は満州国を承認
・アメリカ合衆国は、ロッキー山脈以西を全て大日本帝国へ割譲
・アメリカ合衆国は大日本帝国に戦費賠償金3000億ドルの支払い
・アメリカ合衆国の軍備縮小
・アメリカ合衆国の関税自主権の撤廃
・アメリカ合衆国の移民法の撤廃
・アメリカ合衆国首脳部及びウィリアム・ハースト等戦争煽動者は国際裁判の判決に従うこと
確かに、あまり宜しからざる内容かもしれないが、彼らの言う「アメリカ合衆国史上最も屈辱的な講和条約」とはいくら何でも言い過ぎであろう、何せ彼らの我々の世界に於ける無条件降伏要求や占領軍政策などの悪行三昧に比べたら、この程度で済んだことに感謝するべきなのだから……。
事は、1944年4月1日まで遡る。
アメリカ合衆国に於いて、後世の歴史家から「エイプリルフール宣言」と言われる宣言が出された。工業力を嵩に人生の最晩年を絶頂期で迎えつつあったフランクリン・ディラノ・ルーズベルトの「全枢軸国は即座に無条件降伏すべし」という宣言だ。
この宣言は、当初は選挙民に対するリップサービスに過ぎなかったが、いかに当時のアメリカが調子に乗っていたかの証明だろう。
確かに無理も無い。日本は内南洋をやられ、独逸も空爆で青息吐息、伊太利などはサロ政権として抵抗しているものの国家としては降伏した。残りの枢軸国はアメリカの軍事力を以てすれば蹴散らせるだろう。
しかし油断が慢心を生み、慢心が隙を生む。よもやこの時ルーズベルトは後世の歴史家から「アメリカ合衆国史上最も野蛮で、最も暗愚で、最も野心深く、かつ最も狂気に満ちた政治家」と名指しで非難されるとは思いもよらなかったろう。
海軍乙事件は天災だが同時に連合艦隊に天才を齎した。物資も無く資源も無く船も無ければ人材もない。
そんな無い無い尽くしの日本でただ一人彼だけが最後の最後まで諦めなかった。
彼は後世の歴史家から「近代史以上最も有能かつ偉大な軍人」とも呼ばれた。
彼なくして今日の日本の国際的地位は有り得なかったろう。
連合艦隊司令長官でありながら常に最前線で陣頭指揮を執った提督。
今までの芸術的訓練方法から完全な百選技法に訓練法を変えた教官。
陸軍と丁々発止の論舌を交わし、東條英機ですら怯ませた海軍軍人。
そう、彼こそが後に日本近代最大の英雄として語り継がれる男、高松宮宣仁親王だった。
昭和十九年四月二日に長官に着任した高松宮はまず艦隊の再編成と絶対国防圏の改定を行った。また、戦闘教義の改正や海軍の分割、陸軍の人事に介入など通常の長官では成し得ないことを行った。
よく陸軍が許したな、と思うが東條英機が皇室に心酔していたことから成し得た奇跡であり、また後の統合本部の設立にも関わった。
……斯くて、昭和十九年六月のことである……。
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