キャップ
金子ふみよ
第1話
盆の一週間前。墓掃除をした。一年でこびりついたコケを剥ぎ、伸びた草を切る。たわしで墓石を磨き、ミソハギを合わせた仏花を供える。30分ほどの“作業”と呼ぶとご先祖に叱られるかもしれない。帰って来るための準備をしてなんつう重荷みたいな言い方をするのかと。怒られないようにへたくそな般若心経を小声で唱える。帰り支度をしていると、ペットボトルの蓋がない。2リットルの焼酎が入っていた空きペットボトルに水を入れて、墓石磨きや花瓶への水として持って来たのだ。その赤い蓋がない。辺りはたいがい白い墓石であり、地面はコンクリートである。つまりは赤い蓋が目立たないはずはないのだ。それなのに、ない。無意識だったとはいえ、最初に蓋を開けたと思われる場所を見る。30分前のことだ。忘却の彼方へちぎってしまうなんてことはしない。熱中症による健忘もない。なにせ、午前中の早い時間である。8時。白のメッシュの帽子を被り、なんだったら首にはクールタオルを巻いている。スポーツドリンクを持参していたしこまめに飲んでもいた。だから、どこに置いたのかの記憶は思い出そうと思えばはっきりと思い出せたのである。だが、ない。白の中に、灰色の中に、どこにも赤い蓋はないのである。出て来た汗はなにか粘っこい感じがした。ふと、あきらめることにした。出勤が近かったからではない。一週間後にまたお墓参りに来る。今は疲労で見つけられないだけかもしれないのだ。そう思うことにして墓掃除を終えた。
盆に入った。午前勤務だったため、夕方15時半になるかならないかになってようやくお墓参りをすることができた。花屋に注文しておいた仏花の色どりは、供える時にまだ残る暑い日差しで甘ったるい香りとなった。あのペットボトルには何本かすでに空になっていた同じ種類の蓋をして来てあった。一通り供えて合掌をした。数珠を持ってきていた。去年忘れてしまい、その日になぜか微熱が出た。ふうと息を吐いて、帰ろうかと水をすべて注いでしまったペットボトルを持とうとした時である。ペットボトルの横に、あの赤い蓋があった。我が先祖がお眠りになる墓石に参った時、ペットボトルを置いたそこには何もなかった。花立に水を注ぐ、墓石に水をかける、そういう動作をしていてもペットボトルは定位置化かのように持って来た時と同じ場所に置いていた。そこには赤い蓋はなかった。けれど、帰ろうとした今、定位置にあるペットボトルの横に赤い蓋はあるのである。たらりと額から汗がこめかみをゆっくりと舐めるように伝った。ふうと息を一つして、ペットボトルを取ってのところで持つと、伸ばして開いた指で赤い蓋をつまんだ。取り替えた花を突っ込んだ道具類を入れたバケツを持って、一つ墓石に一礼し墓地をあとにした。
その日、発熱はしなかったが、変に粘り気のある汗が、スポーツドリンクを飲んでも麦茶を飲んでも、シャワーを浴びた後でも静かに流れたので、何度も拭うことになった。
キャップ 金子ふみよ @fmy-knk_03_21
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