マーティダム・マーダー
狐
本編
クーガー編 その①
#1
49人目も溺死だ。聖職者の心臓に鉛玉をブチ込むのは依頼人でも気が引けるらしく、俺はバスタブで揺れる死体から証拠のロザリオをもぎ取る。
『お前は必ず裁きに遭うぞ! 私の“神”が、きっと——』
今際の言葉はどれもテンプレで、聞き飽きた。信仰も多様性の時代で、人々は“神”に代入される言葉を各々で持ち合わせている。8人目は
皮肉なことに、そのどれもが俺の苦境を救ってはくれなかった。人は死んだら肉と骨だ。依頼者の教団が俺に担保するのは現世利益のみで、だからこそ贔屓にしている。死ぬまでは、幸せでいられるだろう。
「司祭は処理した。今から回収を始める」
『功徳に祝福を。すぐに迎えを用意します』
それにしても、今回の依頼は妙だ。普段なら現場に乗り込んで標的を殺せば終わるのに、さらに追加で仕事があるとは。俺は空き部屋のクローゼットを開け、“それ”を抱き上げた。
最近の天使には製造番号があるらしい。『S-648』。7枚の翼を持つ、歪な白磁の少女。信仰を統一するために生まれた、偶像の
瞼が開き、赤い瞳が俺を捉える。瞬間、轟音と共に窓ガラスが砕け散った。
「杀死他,夺回“信使”!」
赤いガスマスクに揃いの刺青、暗殺教団
「何だお前、ら……?」
俺が武器を構える隙もない、一瞬の交錯だった。天使の身体に風穴が空くことはなく、代わりに襲撃者の頭だけがスイカのように爆ぜる。それが自然の摂理なのかと見紛うほど、当然の動きに見えた。
自殺には見えなかった。向かい合う襲撃者の顔は、一瞬だけ未知の恐怖に震えていたからだ。まさか、『天使』が?
敵の血飛沫がカーペットを濡らし、動揺した俺は血溜まりに足を取られる。普段なら起こさないミスだ。目の前の異常な景色に、一瞬の判断力が鈍る。倒れた先は、割れた窓の外だ。
俺は天使の身体を抱いたまま、滑るように落下していく!
天使の死体をクッションに、俺は不恰好な着地を決めた。潰れた四肢と折れ曲がった翼を眺めながら、迎えの男は俺を尋問する。
「おい、殺し屋。なにをやった?」
「……生きたまま保護、だったか?」
「もう手遅れだ。一度羽化した蛹は、戻らない」
迎えの男の視線に誘導されるように、俺は空を見上げた。
天使の幽霊が俺を見下ろしている。数十メートルもある、巨大な体で。
* * *
「申し開きはあるか、“エイシスト・クーガー”」
「……申し開き次第で、命は奪わないでくれるのかい?」
両側の僧侶が失笑する。モスグリーンの法衣を着た奴は幹部で、ターコイズのやつはその下だ。俺の周囲を取り囲む幹部連中は目が痛くなるほどカラフルで、俺はオモチャ屋のワゴンに並んだ安いプラスチック玩具を連想する。全員が
「教義で殺生は法度だ。殺しはしない」
「知ってるよ。そのためのアウトソーシングだろ?」
「だが、責任は取ってもらう。僧正からのお言葉を心して聞け」
俺の正面に立つバイオレット法衣の僧正は、他の連中より一際高い場所で胡座をかき、目を閉じたまま動かない。坐禅だ。
背後の壁に描かれた多腕のヒトと一体化するように座っていた僧正は、枯れ枝のような腕を前に伸ばし、老いた巨象のように目を開く。
「あれを。“天使の幽霊”を
「天使の幽霊……? あのデカい身体のやつか?」
「“あれ”は再臨することに意味があるのだ。死を迎えて転生することで、真の信仰が完成するらしい。それだけは、止めねばならん」
「それは、あんたらの……〈シンリエ宗〉の独断か?」
〈シンリエ宗〉はこの街のブディストの中でも信仰者が多数を占める宗派だ。教えを時代に合わせて徐々に改革しながら、多様化する信仰の時代に無数の民衆の信心を獲得している。特にコウロ地区——俺の住むエリアでの影響力は計り知れない。
「詳しい原理は不明だが、あれは死ぬと二つに分たれる。魂が半分になり、巨大な霊体と矮小な実体が別の場所に現れるらしいのだ。それらが再び融合した時……この街の秩序は崩れ去る」
「俺が殺したからか? 悪かった。でもアレは事故みたいなもので……」
「故に、もうひとつ仕事を頼みたい」
老いた僧正は真っ直ぐに俺の目を見つめ、俺の言葉を遮る。その表情に含みがあることは、俺でも理解できた。
「君には、信心がないと聴いた。この混迷の時代に信心がない者は、数えるほどしかいないだろうな」
「お説教か? 悪いが、どんな御高説を賜っても入信はしない。俺のルールに反するんだよ」
口を慎め、と次々に俺を罵るお付きの僧侶たちを手で制し、僧正はゆっくりと口を開いた。
「報酬はいくらでも払い、その後の生活も保障する。天使の幽霊が融合する前に、その命をもう一度あるべき場所に戻せ」
「……つまり、実体のほうを殺せ、と?」
僧正の命令とともに俺の眼前に置かれたジュラルミンケースには、先日失敗した仕事の報酬が入っている。その上に、全く同じケースが重ねられていく。
「これは前金だ。任務成功の際には、お前が望む額を払うだろう」
「……失敗したら?」
「君のことだ。二度の失敗は有り得ないとは思うが……仮に失敗した場合、我々は終わりだ。私は僧正の立場を追われ、シンリエは解散するだろう。そうなれば、確たる信仰を失った者たちが君を地の底まで追い詰めるかもしれないな」
「なるほど。どっちも背水の陣ってわけだ」
俺は前金を受け取り、剣呑な視線の僧侶たちを一瞥する。一度しくじったとはいえ、その視線には特有の選民思想めいたものを感じる。だが、それも仕方ないだろう。この街にとって、或いはこの世界にとって、
一度殺してしまった人造の天使を、もう一度殺せ。
この信仰と狂乱の街——サン・ヴァルドにおけるルールはただ一つ。〈他者の信仰を冒してはならない〉。それを破る悪魔が求めるのは、法外な金と現世利益だけだ。
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