第30話

「見つけてくれてありがとうございます! 本当に、これがなくなったら私……」

「どういたしまして。ほんと、見つかってよかったよ」


 私はストラップを後輩の子に手渡した。彼女は泣きそうな顔でストラップを受け取ると、何度も頭を下げてきた。


 結局私は、日が出てからまた春原と一緒にストラップを探したのだ。

 簡単に、とまではいかなかったが、二人で手分けして探したおかげで、なんとかストラップを見つけられた。


 これであの子も、安心して眠れるだろう。

 安堵の息を吐くと、後ろから手を握られた。


「……春原。見てたんだ」

「うん。心配で、見に来ちゃった」

「心配って。ストラップ渡すだけだよ?」

「また新しい頼まれごととか、あるかもだし」

「……う」

「帰ろ、蜜柑。今日は蜜柑の家まで、私が送るよ」


 そう言って春原は、にこりと笑った。

 私も釣られて笑う。


「そっか。じゃあ、お願いしちゃおうかな?」

「ん。完璧に送り届けるよ」


 ちょっと大袈裟な気がするけれど、それだけ心配をかけてしまったということでもあるのだろう。


 私も少し、焦りすぎていた。

 あの後輩の子の表情が昔の咲良と被って、私がどうにかしないとってなりすぎてしまっていた。


 私が傷付いたら、春原も傷つく。頑張りすぎたらまた、心配をかけてしまうから。少しずつでも、人らしい感じに戻れるように頑張らないと。


 ……いや、頑張っちゃ駄目なのか?

 いやいや、うむむ。


 なかなか難しいかもしれない。頑張るよりも、頑張らないことの方がよっぽど。

 私は小さくため息をついた。





「そういえばさ。この前私が久しぶりのお客様って言ってたけど、その咲良って子はよく家に呼んでたの?」


 私のベッドに座った春原が、不意に尋ねてくる。

 ただ送ってもらうのも悪いと思って、家に上げてお茶を出したけれど。春原は前に来た時よりもずっと家に馴染んでいるというか、驚くほどに寛いでいる気がする。


 別にそれはいいのだが、枕を抱きしめるのはやめていただきたい。

 恥ずかしいんだけど。


「……そうだね。数えきれないくらいには、呼んでたかも」

「……ふーん」


 春原はごろごろと、ベッドの上を転がり始める。

 埃が立つけれど、彼女はお構いなしだ。

 ちょっと?


「ちょ……何してるの?」

「私の匂い、つけてる」

「……なんで?」

「上書きしようと思って。ほら、蜜柑も隣に来なよ」


 そう言って、春原は手招きしてくる。

 彼女に近づくと、そのままぎゅっと抱きしめられた。しばらく彼女は私をきつく抱きしめていたけれど、やがて、そっと離してくる。


「これで蜜柑は、私のものだ」


 今まで見たことがないくらい柔らかな笑みに、綺麗な声。

 どくん、と鼓動が速くなる。何か言わなきゃって口を動かすけど、あまりにも春原の表情が綺麗で、何も言えない。


 そうしている間に腕を引っ張られて、そのままベッドに倒れ込む。彼女は私の上にまたがって、左手を絡ませてきた。


「……春原?」

「ふふ。蜜柑の手、柔らかい」


 彼女は私の手を握ったまま、首筋に顔を近づけてくる。柔らかな髪の感触が、くすぐったい。


 いきなりのことに心の準備ができていなかった私は、彼女からどうにか逃れようとしたけれど、左手をぎゅっと握られているせいでどうにもならない。

 下手に抵抗すると、春原の指を怪我させてしまいそうだった。


「いい匂い、する」

「……変態」

「今日は変態でいいよ。……こうしておけば、蜜柑は抵抗できないもんね?」


 彼女はきゅっきゅと、私の左手を誘うように何度か握る。

 確かに、その通りだ。傷つけてしまう危険性がある以上、下手に動くことはできない。それをわかっていてこんなことをするのは、どうかと思うけれど。


 今日は西園もいないから、私たちを止める人は誰もいない。

 だからなのかもしれない。

 春原は私の首筋に、歯を立てた。


「っ……!」

「あはは、びくってした。可愛い」


 いきなりだ、本当に。

 してくる行為とは裏腹に、声がひどく優しいから戸惑う。どういう顔でいればいいのかわからなくなる。


 噛まれたところが熱い。激痛ってほどではないけれど、確実に歯形はついているだろうって感じの強さ。

 でも、体質的に、すぐにその歯形も消えるとわかっている。


「……噛んでもすぐ、消えちゃうね。こっちはどうかな?」


 今度は首筋を、唇で吸われる。

 私は右腕で自分の顔を隠そうとしたけれど、その前に手を重ねられた。左手と同じように指と指が絡むと、もう何もできなくなる。


「顔真っ赤。そんなに恥ずかしい?」

「恥ずかしいに決まってるじゃん。……ていうか、いきなりすぎ。こういうの、順序があるでしょ」

「いきなりじゃないよ。ずっと、こうしたかった」


 痛いくらいに両手を握られるから、その言葉は嘘じゃないってわかるけれど。

 ずっとって、どれくらい前から?

 私は何も言えず、彼女を見上げた。


「今まで気づかなかっただけで、本当は、きっと。ずっとずっと前から、こうしたかったんだ」


 ひどく小さな声。

 彼女が俯くと、髪で表情が隠れて見えなくなる。


「……だから、してもいい?」

「それは……」


 そういうのは、する前に言ってよ、と思う。

 今更聞かれたら、なんか、変な感じじゃないか。本気で嫌なら、ちょっとくらい怪我をさせてしまっても抵抗するはずだ。

 無抵抗で彼女を受け入れた意味を、わかってほしいと思うけれど。


「いいって言ってよ。言わないと、もっとすごいことしちゃうよ」

「何それ。……めちゃくちゃじゃん」

「あはは、そうかもね。私がめちゃくちゃなのも、全部蜜柑が可愛すぎるせいってことで」

「……そういうの、言わなくていいから」


 彼女は私に体重をかけながら、耳なぶを甘噛みしてくる。

 くすぐったくて逃げたくなるけれど、嫌ってわけではない。嫌ではないけれど、恥ずかしくて、顔から火が出そうで、逃げ出したくなる。

 私はぎゅっと目を瞑った。


「……いいよ」

「うん? 何が?」


 自分で言えって言ったくせに、春原は白々しく首を傾げる。

 こういうところ、ちょっと意地が悪いというか。


「……だから、好きなようにしていいって言ってるの」

「……」


 私が言うと、春原は目を丸くした。

 なんなんだろう、この反応。


「ごめん。可愛すぎて、ちょっと固まっちゃった」


 彼女は、ふわりと笑う。

 春原の笑みは、ずっと本当か嘘かわからなくて、いまいち信用できなかったけれど。今ここにある笑みは、疑いようがないくらいに本物で、綺麗で、それだけで全部信じられる。


 だから私は、そっと彼女に笑い返した。

 顔はまだ、熱いままだけど。きっと私の笑みも、今までで一番本物だと思う。


「……するね」


 春原は、言う。

 私はそれ以上何も言わず、ただ小さく頷いた。

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