第4話
「この前相談に乗ってくれたお礼に、クッキー作ってきたよ! 早めのバレンタインってことで!」
「……お礼なの? バレンタインなの?」
「……どっちもかな!」
「適当な……」
私は定期的に学校の生徒の恋愛相談に乗っている。
一応これも私の所属するボランティア部のちょっとした活動として認められてはいるのだ。
恋愛で困っている人に助言をしたり、それがあまりその人のためにならない恋だと思ったら、恋を食べたり。
恋魔の隠れ蓑としては、ボランティア部は適していると言える。入部したのは、隠れ蓑にするためってわけではないけれど。
受け取ったクッキーを齧っていると、部室の扉がノックされる。
「はーい、どうぞー」
「お邪魔しまーす」
「お帰りくださーい」
「ちょ……」
扉の向こうから姿を現した人物を見て、私は速攻で扉を閉めにかかった。
「ここで恋愛相談に乗ってもらえるって聞いて来たんだけど!」
「それ、春原蒔月は除くって条件付きだから」
「そんな限定的な条件ある!?」
ボランティア部は来る者を拒まないが、人に脅しをかけてくるような不届きものは別だ。今すぐお帰り願いたい。
「あーもう、開けてくれないならあの写真ばら撒く! 蜜柑が——」
私は部室の中に春原を引きずり込んで、彼女の口を塞いだ。
何を言おうとしてくれているのか、この女は。
入れてもらえないからって、子供か?
いや、先に子供じみたことをしたのは私なのだが。ちょっとくらい仕返ししたっていいじゃないか。神様も許してくれるはずである。
……そもそも悪魔の存在自体が許されてないかもだけど。
そんなことを思っていると、掌に生温かいものが触れた。
思わず飛び退く。
「……っ!?」
「あ、逃げた。もうちょっと続けてもよかったのになー」
「何舐めてんのこの変態!」
「蜜柑の手」
「何って、そういう意味じゃないんだけど! ほんとなんなの!」
やっぱこの女、めちゃくちゃだ。ここまで悪びれずに人の手を舐められるのはある種の才能だと思う。全く生かす機会がない最悪の才能だと思うけど。
「せっかく遊びに来たのに追い返そうとする蜜柑が悪いね」
彼女はにっこりと笑って、さっきまで私が座っていた席に腰をかけた。
別に、定位置とかこだわりとかないからいいんだけど。私は小さく息を吐いて、彼女の向かい側に座ろうとした。
しかし、その前に彼女の手が私の手首を掴む。
今度はなんなんだろう。
「……変態」
「手首に触っただけなんだけど……」
「今日一日は変態って呼ぶから。変態。異常者。手舐め女」
「最後妖怪みたいになってるし。……ここ、座ってよ」
彼女は向かい側の席じゃなくて、隣の席を指差す。
私は少し迷ってから、彼女に指さされた席に座った。ここで意地を張る必要はない。また掌舐められたり、写真ばら撒くって脅されたりしても困る。
私は深く椅子に腰をかけて、机に置いていた袋を手に取った。
そのままクッキーを食べようと思ったけれど、一人で食べるのもな、と思って袋を彼女に差し出す。
「……はい。一枚食べていいよ」
「あーん」
「いきなり変な声出してどうしたわけ?」
「……あーん」
こやつ、意地でも引かないつもりか。
思わず眉を顰める。
「今日の触れ合いは、これでいいよ」
「……はぁ。前から思ってたけどさ。これ、私を脅してまでさせること?」
「うん」
清々しいまでの断言。私はため息をついた。
一ヶ月前春原は、写真を消してほしいなら私に恋をしろ、と言った。そして、一日一回、お互いを深く知るために触れ合おう、とも。
だから私は毎日彼女と放課後ハグをしていたのだ。
していたというか、させられていたのだが。
弱みとは恐ろしいものだ。仲良くもない人間と、まさか抱き合うことになるなんて。
私は仕方なくクッキーを一枚摘んで、彼女の口元に運んだ。
半分クッキーを齧った彼女は、いつものように機械じみた笑みを浮かべた。
「あ、美味しい」
「でしょ。友達が作ってきたやつ」
私のために作ってきてくれたものだから、本当は私一人で全部食べた方が誠実なのかな。
でも、こういうのは他の人と一緒に、美味しさとか感情を共有できた方がいいようにも思う。
まあ、そもそも春原が本気で美味しいと言っているかも定かではないんだけど。
私は彼女の瞳を見つめながら、もう半分を口に運んだ。
てっきり指ごといかれるかと思ったけれど、意外とそんなことはなかった。
「なんでそんな見てるの?」
「見ないで食べさせるの、無理じゃない?」
「……もう、食べ終わったから」
黒い瞳が、微かに揺れる。
もしかして、恥ずかしがっているんだろうか。いや、いつも散々恥ずかしいことをしておいて、こういう時に目を見られるのは恥ずかしいとか、ある?
しかし。
ずっと見続けていれば、何かが掴めるかもしれない。
春原が霧の中に隠れてしまう前に、何か。
「……あれ?」
「な、なに。どうしたの」
少し視線を下げると、彼女の唇が目に入る。
その唇に塗られているのは。
「リップ、塗ってるんだ。色艶いいね。似合ってんじゃん」
私は彼女の唇がもっとよく見えるように、少し顎を上げさせた。
知っている人の知らないところを見ると、ちょっと幸せな気分になるのはどうしてだろうと思う。
前髪を少し切ったとか、爪をいつもと違う色にしたとか。
些細な変化を見つけるだけで嬉しくて、幸せになる。安い幸せなのかなぁ、と少し思うけれど。私は思わず、くすりと笑った。
「は、え、ちょ」
「褒められるの、そんなに恥ずかしいわけ?」
春原はデート記念に何かプレゼントするって言った時と同じくらい、視線を右往左往せている。
いやいや。
手を舐めたりハグしたりする方がよっぽど恥ずかしいと思うんだけど。変なところで恥ずかしがりというか、なんというか。
同じように友達を褒めることはあるけれど、こんな反応をされたことはないから、ちょっと悪戯心が湧いてくる。
やっぱり私は、悪魔だ。
「もっと見せてよ。恥ずかしがらないでさ」
私は春原の頬に触れながら、その唇を見つめる。
微かな震えは、いつもの感情の見えない笑みと違って、過剰ってくらいに感情が現れている。それを見ていると、心がざわめく。
春原蒔月は、見つめられたり素直に褒められたりすると恥ずかしがる。
誰かに言いふらしたって意味はないけれど、確かな弱点を見つけた。
私は少し顔を紅潮させている彼女を見て、可愛いかもしれない、と思った。意味不明なように見えて、意外と春原は普通の高校生なのだろうか。
いや、まあ、普通の高校生は悪魔を脅したりなんてしないだろうけれど。
「……なんてね。いつもの私の気持ち、ちょっとはわかった?」
パッと、彼女から手を離す。
これ以上は多分、やばいと思う。色んな意味で。
手を離した後、初めて心臓が早鐘を打っているのに気づく。
この鼓動の高鳴りは、果たして。
私は誤魔化すように笑った。
「……仕返し?」
「さあ?」
明らかに不服そうな顔で、春原は私を見ている。
ちょっとからかいすぎただろうか。リップが似合っていると思ったのは本心だから、撤回するつもりはないが。
「ま、これに懲りたら私にももうちょっとまともに……っ」
言いかけて、止める。
というより、止められた。
だって、春原の手が私の髪に触れて、そのまま耳に伸びてきたから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます