第32話 血塗れの蓮華の恐怖

 レーヴァティンを腰のホルスターに収める。


 アイテムボックス型の腕輪には炎の大剣や戦斧が収納してある。


 腰の背後には相棒のグルカナイフ。


 オートギュール伯爵との話はついた。


 オートギュール伯爵の怒りは大きく、少々お灸をすえる程度じゃ済みそうもない。


 幾つも来ていたフランソワーズさんの婚約話がピタリと無くなった。


 拐われた事も奴隷とされた事も、なんの証拠もなく噂にも登っていなかった。


 実行犯は全員始末したし、移送途中で俺と師匠が救ったので、奴隷商会にもフランソワーズさんが奴隷になったという証拠はない。


 なら何故か。


 簡単な話だ。誘拐を依頼した人間なら、そういう計画があった事は分かる。


 あとは事実でも事実でなくても関係ない。


 不名誉な噂一つあればいい。


 流石に証拠の無い話で、オートギュール伯爵を政治的に大きなダメージを与えるのは無理だろうが、家族としては父親としては、娘の将来を潰された怒りは大きい。


「シュート、準備は出来たかい?」

「ああ」


 黒い色は同じだが、何時もの黒い司祭服とは違う服を着た師匠が呼びに来た。


 その腰のガンベルトにはフラガラッハが光っている。


「にぃにぃ!」

「おいで」


 リルを抱き上げて下へ階段を降りる。


 一階に降りるとそれぞれデザインは違うが、その背には血染めの蓮華が描かれている黒いコートやローブを着たガンツさん、ザーレさん、バルカさんの三人が待っていた。


 その後ろには、師匠とは違った黒い神官服を身につけたパメラさんとマリアさんが居る。


 そう、今回は俺がまだ会っていないメンバー一人を除き、全員でカチコミに行く。


 何処の国に戦争を仕掛けるんだと言う戦力だけど、今回ばかりは舐められる訳にはいかない。



 ブガッティ男爵には手紙を届けてある。



 その文面は、


『罪なき者を害する、この世に蔓延る害虫の如きブガッティ男爵に天誅を降す。


 ブラッディーロータス』


 今頃、大慌てで戦力を集めているだろう。


 ルトール伯爵やバッツ伯爵にも助けを求めているだろう。


 だがルトール伯爵もバッツ伯爵も動かない。


 いや、ブラッディーロータスの名を聞いてしまったルトール伯爵は、顔を蒼くしてガタガタと震えているだろうし、薬を盛ったのは自分達じゃないとしてもお茶会に誘ったバッツ伯爵も顔を青くしているだろう。


 この大陸でブラッディーロータスの名は絶大だった。


 貴族階級とはいえ、手を出せない相手はある。


 教会組織を表立って敵にまわす貴族は居ない。


 この世界の教会組織には、金に汚い者も大勢居るだろう。


 だけど表向き悪逆非道な行いはしない。


 ブラッディーロータスは、教会組織へも牙を剥くから。


 教会にも師匠を面白くないと思っている勢力や人間は居るだろうが、下手に手を出せば火傷では済まないからな。




 リルはマリアさんとタナトスの護衛で馬車で待機だ。


「タナトス、任せたぞ」

『お任せ下さい。我がマスター』


 タナトスなら安心して任せられる。


 タナトスが俺の影に沈んで消えた。




「じゃあ、天誅を下しに行くよ」


 師匠の声で皆が頷く。







 カーマイン王国でロナルディア王国との国境付近に領地を持つルトール伯爵領。その領都にある屋敷の中で、肥えた体を豪華な椅子に預けた細目の男が顔を蒼くしていた。


 勿論、この男がルトール伯爵本人だ。


 政敵であるオートギュール伯爵の顔に泥を塗り、更に政治的に弱体化できればと、依子でルトール伯爵の参謀役でもあるブガッティ男爵と謀り、バッツ伯爵の協力を取り付けオートギュール伯爵の娘を拐った。


 奴隷へと堕とし、隣国で売りに出されたフランソワーズをルトールが買うと言う筋書きが描かれてあった……筈だった。


 その計画が頓挫した。


 誘拐の実行犯はフランソワーズを移送途中で行方不明になり、あとの調査でも無惨に破壊された馬車の残骸と犯罪組織の死体が見つかり、フランソワーズと同じように拐われた者の姿はなかった。


 そしてブガッティ男爵が使った犯罪組織のアジトが潰された。一人残らず殺された。実は一人殺さず逃しているのだが、それをルトール伯爵やブガッティ男爵が知る事はない。


 戸惑う日々を過ごすうち「ブラッディーロータス」の名がルトール伯爵の耳に入る。


 ルトール伯爵の動揺は大きかった。


 ブラッディーロータス、蓮の華は悪の血で染まる。


 この世界の唯一神を信仰する教会に属し、神罰を代行すると噂される戦闘組織。


 その人数は十人にも満たないが、一人一人が規格外のバケモノばかり。


 例え相手が国家であろうと天誅を成す。


 そしてそれを成す力がブラッディーロータスにはあった。


 過去、様々な組織や個人、貴族や国家が、ブラッディーロータスを潰そうとしたが、悉く返り討ちにあう。いや、返り討ちなどとは生易しい地獄を見る事になった。


 カーマイン王国の国王も、ルトール伯爵とブラッディーロータスを天秤にかければ、間違いなくルトール伯爵を切り捨てるだろう。


 ブラッディーロータスが動くという事は、非はルトール伯爵にあると世界が認識するのだから。


 ただ、今回不幸中の幸いは、直接のターゲットはルトール伯爵ではなく、お茶会に誘ったバッツ伯爵でもなく、ブガッティ男爵だという事だ。


 黒字に赤い蓮の華が刻印された封筒が届いたのは、ルトール伯爵ではなくブガッティ男爵なのだから。



 フランソワーズと侯爵家の婚約話は無くなったようだが、最早それを純粋に喜べる現状ではない。


 ルトール伯爵がブガッティ男爵を早々に切り捨てるのは自然な事だった。


 ルトール伯爵が国王陛下に泣きついたとしても、国王はきっとルトール伯爵を切り捨てるだろう。ルトール伯爵にはそれが分かっていた。


 カーマイン王国にも各街や村にも教会はある。寧ろ無い場所の方が少ない。


 その教会の無い村などには、移動神官が訪ねて説教をしたり病や怪我の治療をして廻る。


 教会は政治的な役割を持たないが、国民に対して絶大な影響力を持っていた。


 戦争や魔物の脅威、死が身近なこの世界では、信仰による心の安寧は人々にとって必要なものだった。


 教会も過去には、権力を握った一部の司祭が非道な行いで私服を肥やす事もあったが、そこに現れた「ブラッディーロータス」により悉く葬られ、教会の腐敗は取り除かれた。


 それだけに教会の権威は絶大である。


「証拠の類いは残ってないだろうな?」

「は、はい、旦那様。ブガッティ男爵への指示書は直ぐその場で破棄させています」


 不安が収まらないルトール伯爵が、家宰に何度目かの確認をする。


 それでも不安が収まる事はなかった。


 直接的な証拠が無くとも、ブラッディーロータスが動けば、それは神の意思による天誅と見做される。


「旦那様、ブガッティ男爵から援軍を乞う遣いが何度も来ていますが、いかが致しましょう?」

「放っておけ。援軍など出せるか! そんな事をすれば、儂が関わっていると公言するようなものではないか!」

「そ、それでは、そのように」


 事件の構図が知られてもいい。どうせ証拠など奴らには関係ないのだ。


 願わくば、ルトール伯爵家を残したい。


 運が良ければ、ブラッディーロータスの標的は、ブガッティ男爵で止まる筈だ。


 これでもルトール伯爵家は、カーマイン王国でも名門貴族家だ。政治的発言力も小さくはない。


 流石に一度に伯爵家が二家と男爵家が潰れると、その影響は小さくない。


 ブラッディーロータスは正義の代行者だ。


 領民に必要以上の混乱は望まないだろう。


 ブガッティ男爵家は兎も角、ルトール伯爵領とバッツ伯爵領が潰れれば、一時的に領民が混乱するだろうし、もしかすると他国の侵略の切っ掛けになるかもしれない。それをブラッディーロータスは選択しないと思いたい。


 偶然にもルトール伯爵の先代、ルトールの父の方針で領内の統治は悪くない。


 民を必要以上に搾取する事もない。


 可もなく不可もなくという程度だが、今回はそれに助けられるかもしれない。


 先代のルトール卿も息子の政治闘争は黙認してきた。貴族とはそう言うものだと自身も考えていたし、それを悪いとは思っていなかった。


 ただ、政敵の足を引っ張る程度ならまだしも、政敵の伯爵令嬢を誘拐して奴隷に堕とすのはやり過ぎだった。


 それを息子から泣きつかれる形で聞かされた先代は、直ぐさま国王に助けを求めた。


 国王としても領地持ちで力のある伯爵家がブラッディーロータスに潰されるのは、国としても止めたいし、それ以上に外聞が悪い。


 国王は直ぐにオートギュール伯爵と取引を持ちかける。


 ルトール伯爵家の保有する幾つかの権利を移譲する事で、手打ちにして欲しいと頼み込んだ。


 国王からの頼みとあっても、今回ばかりは拒否できる立場にあるが、オートギュール伯爵も貴族、政治的な判断でそれを落とし所とする。



 これでルトール伯爵家にブラッディーロータスの牙が向く可能性が減った。


 無くなったと言えない限り不安の日々は続くだろうが……



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