第2話・契約……?

 30分後、思っていたよりも早く未千翔はお風呂を済ませて出てきた。持ち込んだ衣類の中から、長袖の白い服と緑色のロングスカートを選んで着用。


 髪の毛はまだ完全には乾ききっておらず、先ほどまでの長いポニーテールではなく膝くらいまでの長さがある銀色の髪がゆらゆらと揺れていた。髪の毛をバスタオルで拭きながら、ご満悦の表情で台所に戻ってくる。


「お風呂貸してくれてありがとね、お陰様ですっきりできたわ。今週に入ってから、所持金節約の為にお風呂入れてなかったの」


「今週ずっと、って事は6日間もかよ!?今日金曜日だぞ!!」


「い、一応毎週決まった金額を実家の方から入金してもらえるんだけど…。ちょっと想定外のトラブルが週の頭にあって、次の月曜日までやりくりするのが厳しくなっちゃったの」


 目を反らして、両手の人差し指をモジモジさせる未千翔。どうやら、あまり深く聞いて欲しくないようだ。


「わかった、それ以上聞くのは止めておく。…それより、もう日も落ちた事だから飯でも食うか?レトルトでいいならすぐに用意できるけど」


「いいの!?私は別にレトルトでも気にならないよ、ありがたくご馳走になります!!」


 未千翔の返事を聞き、尚人は購入した商品の中からいくつかのレトルト食品を取り出す。その内訳はレトルトご飯・コーンポタージュ・焼きビーフン・サラダパックが各2つずつで未千翔には別途500ミリリットルのペットボトル麦茶が渡された。晩御飯としては十分空腹を満たせるラインナップである。


「……ねぇ、気にならないとは言ったけどさ……。まさかいつもこんなんレトルトなの?」


「ん?そうだが……。一応偏らないように野菜も採れるラインナップにはしてるが……何か問題でもあるか?」


 ほぼ出てきた食品がレトルトであった事に、さすがの未千翔も大きく溜息をつく。日常的にレトルトで済ませているとは思ってなかったからだ。まさかと思い冷蔵庫の中身をチェックしてみると、中はそこかしこにレトルト食品やペットボトル飲料がぎっしりと詰め込まれていた。想定通り過ぎた結果に、未千翔は頭をがっくりと落とす。


 近くのゴミ袋も見てみたが、コンビニ弁当の空き容器などがぎっしりと入っていた。


(いくら何でも多すぎるわよ、コレは……。だからさっき会った時、両手のビニールいっぱいに詰め込まれてたのね……)


 予想よりも酷い状況に心の中で頭を抱え、ある決断をした未千翔。一歩ずつ歩きながら頭を上げていき、尚人の目の前で右手の人差し指を真っ直ぐに突き出す。


「大有りよ、あの冷蔵庫とゴミ袋の中身は何っ!?レトルトとかばっかりじゃない、あんなの連日食ってたら身体に悪いに決まってるわよ!!いつ頃からああいうスタイルになったの?」


「1年前くらいだな、親父とお袋が交通事故で急死して転居が取り止めになった当日から」


「……え。それって、さっきの話の続きになるのかな?……って言うか、事故死!?」


 食生活の悪さを指摘するつもりが、急に先程中断した尚人の身の上話に移行した事で未千翔は突き出していた指を降ろした。確かに両親が急死したのであれば、すぐに食べるためにはその手の食料品に手を出すのも納得がいく。


「親父とお袋の両方とも保険に入ってたのもあって結構な額の死亡保険金が下りたんだが、受取人候補がお互いを指定していたらしくてな……。どっちもいなくなったから繰り下げで生前の財産も含めて俺が受け取り候補となったけど、未成年って事もあってかなり手間取ったよ」


「それは……大変だったよね。結局、どうやって解決したの?」


「……恥を承知の上で、親父の親族に連絡して一時的に身元保証や相続手続きの代行やらを引き受けてもらったんだ。その分受け取った総額の3割を渡すのと、以後完全な絶縁を言い渡されたな」



 尚人の事情を聞き、想像の遥か上を行く状況に言葉を失う未千翔。子供の頃に尚人の父親は親戚を頼れない状況だとは聞いていたが、ここまで徹底して嫌われているとは思ってもいなかったのだ。本人だけでなく、その子供とも関わりたくないとは……。


「おば様の血縁には頼れなかったの?」


「あっちはもっとダメだった、名乗った時点で用件も聞いてもらえず即切りされたからな。親父とお袋が結婚した事そのものがあっちの血縁にとっては禁忌に等しい扱いで、結婚自体が一族との永久絶縁を条件にされたって以前聞いた」


「話もロクに聞いてもらえず即切りって、さすがに酷いよそれは……。どうしてなおくんのお父さんはそこまで嫌われているの?子供の頃に私が会った時は、特に変な印象は感じなかったけれど……」


 父母両方の血縁者から絶縁を申し渡される程嫌われていたと言う尚人の父親。かつて顔を合わせた事がある未千翔にとっても、何故そこまでの目に遭っているのかが全然わからなかった。


「……俺も詳しい事を知っている訳じゃないが、親父は幼い頃から他の人とズレた考えがあったらしい。成長するに連れてそこも成長し、周りからは危ない人間だと思われるようになった……ってお袋は言ってたな。そこを容認して絶縁と引き換えに結婚したっていうお袋はある意味すげぇよ」


 今は亡き母親から聞いた、父親の印象と評判を尚人は話す。こうやって何でもない事のように話せるあたり、少なくとも家族の前では尚人の父親は【危ない】部分を死ぬまで表に出す事はなかったようだ。


 ここまでの話を聞いて、家族内と血縁者とで評価が全然違う尚人の父に違和感を感じた未千翔だったが、既に当人が亡くなっている以上は聞きようがないのでそういう事もある、として割り切る事にした。


「話し辛い事だったと思うけど、最後まで教えてくれてありがとうね。なおくんの偏った食事問題はまた後に回すとして……。今日のところは今ある分でどうにかしましょ」



 サラダパックの蓋を開いてある程度食べた後、焼きビーフンを電子レンジに入れて温め、やかんに入れて沸かしたお湯を注いでコーンポタージュのスープを作る。時々ペットボトル内の麦茶を飲み、テーブルの上に乗っていた食べ物が全て無くなった後にレトルトご飯を加熱、暖かくなったご飯にふりかけを撒いて味付けをする。ご飯と麦茶を空にしたところで、本日の夕飯は目出度く終了と相成った。


 空になった容器を水で軽く洗い、虫がつかないようにしてから新しいゴミ袋に放り込むと未千翔が椅子に座り、テーブルの上に置いてあった紙を自分の前に持ってきて待っていた。


「お腹もいっぱいになって、なおくん側の事情もわかったところで……。いよいよここからは、私の方が大事な話をする番よ。とは言っても、途中でちらほらと話題には混ぜてたから察しはついてると思うけどね」


 伏せていた紙を表に返し、尚人の方に見せる。紙の上の方には、『専属契約書』と書かれており、その下には何十行にも渡る事細かな契約条項がびっしりと載っていた。あまりの事細かさに尚人は無自覚のうちに汗を流しており、契約書の上に汗が流れ落ちた音を未千翔は聞いた……。


「スマン未千翔、あまりにも文字数が多すぎて……内容を理解する前に頭がパンクしそうだ。もっと簡易的なのはないか?」


 次から次へと契約書に流れ落ちる汗を見て、見せる書面を誤った事を理解した未千翔。


「ゴメンなおくん、こういう堅苦しくて長ったらしい書面は苦手だったんだね……。さすがに簡易的な書面は用意してないから、私が要点となるところを説明していくわね」



 この後、未千翔が説明した内容はだいたいこんな感じだった。


・教育を受けたメイド(今回の場合は未千翔)が公私共に契約者(尚人)に仕え、サポートを行う。

・メイドは契約者の所有する家に住み込みとなる。

・契約から半年の間は五丈家による資金のサポートが受けられるが、半年後は問答無用でサポートが止まる。

・原則として生涯契約だが、著しい不仲に陥るなどで主従関係の維持が困難と判断された場合は契約の解除が可能。

・一定の期間毎に、五丈家へ報告の必要がある。文章・電話・来訪のいずれも可。



「まあ、だいたいこんな感じかな。……さっきも言ったけど、私は……貴方以外の人とは契約を結びたくないの。今まで何人かの人を一時的にお手伝いした事はあるけど、こちらからは一切契約の話を切り出さなかったの。……どうしても契約の類が嫌、って言うのなら仕方ないけれど……」


 契約の書面を読み切るのさえ難しい尚人、加えて契約の締結が成れば相応の厳守事項が生じる。先程の様子を見る限り、契約を拒絶するかもしれないと思い始めた未千翔は少しずつ声のトーンが小さくなっていった。


 ここで本当に契約を断られたら、もう何のために9年間を費やして修行に耐えてきたのかがわからなくなってしまう。期待と不安が入り混じりながら、未千翔は尚人の返答を待った。


「その前にちょっと聞かせてくれ、何でそう……契約に固執するんだ?他のやり方じゃダメなのか?」


 返ってきた返答は、承諾でも拒絶でもなく、疑問。どうにも尚人には、どこかに契約の形式を望む理由があるのではと考えたのだ。


「えっ、そこ!?……うーん、私も又聞き何だけどね。うちの五丈家は元々『丈一族』って言う、代々武家に仕える忍びの一族だったんだって」


「元は忍者の一族!?……すまん、お前の姿を見て忍者って想像すらできん」


「それは別にいいよ、私だって同感だから。それでね、150年くらい前に起きた国内の維新以降は一族が7つに分裂して、私たち五丈の家は外国から入ってきた西洋文化を積極的に取り込んでいったの。その結果が、五丈の女は全員メイドになるって風習になったわ」


「恐るべし、文明開化……。忍びをメイドに変えるとはな」


「まあ、人に仕えるって共通点があったから割と切り替えがスムーズに進んだのかもね。契約を重視している理由は、昔からの風習ってのが大きいかな」


 これ以上はうちの家の内情に関わる事だから……と話を一旦切る未千翔。どうやら深いところを聞きたければ、望み通りに契約の締結を行わなければいけないようだ。


「……まぁ、実のところは上辺だけの契約でも別に問題ないけどね。ここまでの種明かしをするのは相手が貴方だからこそなの。……でも、どうしても無理って言うのならもうそれでも構わないわ、ここに私を居させて!!」


 どうやら、本当の望みはそっちらしい。契約締結が可能ならその時点で同居が確定するが、それが難しい場合はもう契約など二の次にしてとにかく一緒に居たい、と言う事のようだ。


「結局、契約自体が餌みたいな扱いになってるじゃねぇか……。要はアレだ、ここに居たい理由として契約を持ち出したって事だろ?この家は住人が俺一人で部屋が余ってる状態だし、新たに一人招く位なら何ら問題ねぇ」


「……っ!!それじゃあ……いいの?私、ここで一緒に暮らしても……」


「いいよ、その為に長い下準備をしてきたんだろ。一応親御さんには伝えておけよ、確かさっきの紙に報告義務があるとか書いてあったはずだけど」


 ほぼ未千翔の懇願に押し切られる形で、跳ね除ける事はせずに同居を承諾した尚人。最も、餌扱いとはいえ契約は行わずとなったので五丈のメイドとしてのルールは適用されず、押しかけに等しい状況だが。

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