神経が刺さっていく。

ぱぱぱぱぱぱぱぽぱぱぽぱぱにぱぱぱぱぱぱ

病棟の定義

 一緒になって考えてほしい。


 私は今、どこかの病院を精神だけで彷徨っている。不気味なテカリを見せる芋虫色の廊下でdimなランプをチリチリと反射をして僕をクラクラさせる。何か点滴のようなものを引きずりながら、非常階段とか蛍光灯とか消火栓の赤い光が楽しそうに銀河している。

 病棟には窓がない。けれども、そこら辺に散らばったガラスの破片を見ると思わず拾い集め、窓だと主張したくなるのだ。銀河と芋虫の間でそのガラス片を愛でてみてはその“窓”に病棟の定義を模索するのである。

 それの作業が一通り満足したのであれば、そのまま首の筋に窓を当ててみてはツゥと少し黒ずんだあたたかい血が流れていくのを確認して、神経が刺さっていく。という言葉を繰り返しながら、俺は精神が未だ肉体とつながりながら彷徨っているのだと言い聞かせてみるのである。

 彷徨っては見るものの、実のところは病棟という響きは好きではない。しとねというのであればどこか柔らかい響きではあるし、少し意味が変わってくるかもしれないが、sanatoriumという響きであればどこかスッキリとした高原の穏やかな情景が思い浮かぶのである。ここにはそれがない。窓がないのだから。

 いつのまにかここにいた。のは、どうしてなんだろう。そのフラッシュバックがこの精神だけを彷徨わせるような病棟の中で私だけが一人歩きしているような気がする。

 自分らしく生きることに戸惑うようになった人間はこうして彷徨うのか。だがどうして病棟なのだ。医師に尋ねても答えてはくれない。私はわからないままにずっと脳内とこの病棟が入り混じった空間で芋虫銀河ごっこをし続けるのか。暗黒星雲だってそんな表情はしない。彼は空を駆ける闇の馬なのだから。立派な鬣がそらを靡かせているのだから。銀河の芋虫はその蹄に潰れてしまう。

 どうして暗黒星雲ではなく芋虫なのか。羽化できずに、それか、仮にできても、羽根があるのに飛べなくて口がない懐古みたいに私は、私は、いや懐古は美しい。無駄がない。私には遠い。大人になった懐古は夢見る繭から出てすぐに社会的にタヒんでしまうんだ。過去に嫌なことは置いてきてしまって美しいんだ。無駄に生き続けてもどうしようもなく生かされている自分には限りなく遠い。

 常に新しくなっていく世界に私は無駄か?無駄だろうな。だからこうして僕はここにいるんだから。懐古は夢見る繭を摘まれ、兪に浸されてそれで意図として紡がれていってしまうんだから。中身の僕はこうして用散場で不満を食らい続けるしかないんだから。繭から出ても不満は喰らえない。出なくても美しいままで殺されてしまうんだから。

 僕は薄々と気づいていた。薄羽陽炎薄/馬鹿/下郎のようにギラギラとした春の銀河を彷徨い続けるような人間は桜の養分になるのだと。どろっとした生命の種にも似た朽ちかけた人間の抜け殻の養分を吸って成功者は大勢するのだから。価値を生む生き物は比較からは逃げられない。僕は必要貧。それでいいと諦めた瞬間から僕は蹄鉄で詰られていく芋虫銀河薄馬鹿下郎の懐古虫、だったのだから。

 でも、神経は抜かれていないのだから私はこの精神だけはここに彷徨っている。神経は私の体に刺さっている。私は誰だろう。それすらもこの病棟に溶け込んでいる。

 そうなのだ。はあの潰走列車という名の忌鉄いんてつに身も心も引き裂かれてしまってね。かろうじて生き延びでしまったんだが、どうだろう。非常に致命的fetalだ。私の心に城ヶ崎はなかったよ。外に出られる希望はなくてね、気を紛らわすために窓のないこの建物の中で病棟の定義を創作しているんだ。

 僕の後ろ姿がその芋虫と天井のあるはずのない(サ)ナトリウムランプ銀河が合間にある回折格子の明暗みたいに反射していきながら、本来は歩くことすらできないはずの廊下の闇に消えていく。


 そういう、幻想を見ていた。

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