第9話 聖女依存

 幼女にしか見えない「聖母」の少女サンドラは、「そうねえ」と頬に指をあてて言った。


「ナディアって、とにかくつまらないのよねえ。人から嫌われないために良い子でいることに腐心している小物じゃない。せいぜい気にしているのは、自分の清廉性だけ。裏表が無く下心もないように振る舞っていれば、『自分は悪くない』って顔ができるし、いざとなったら他人を責める側にも回れる。『保身』『打算』『自己満足』そういう感じ? 今さら聖女候補として頑張りますって言われても、えぇ~ってなっちゃう。神官長も余計な本音を漏らしてくれたわよねえ」


 暗がりに潜んでいたナディアとアンゼルマを引きずり出したサンドラは、牧場を囲む木の柵のまわりを歩きながら、のんびりとした口調で仮借ない発言をしてくれた。

 返す言葉もなく沈黙してしまったナディアにちらりと視線を流し、さらに続ける。


「それでいて計算高くも無いから、八方美人に立ち回って誰彼かまわず愛想を振りまいたりはしない。積極的に支持者を増やそうともしていない。そういう根回しは『悪知恵』の類だと敬遠している感じ。ナディア、あなた今まで他人に好かれようと一生懸命になる姉さまたちのこと、馬鹿にしていたでしょ?」


 少し先を歩いていたサンドラが、足を止め、振り返る。

 ナディアもまた足を止め、自分より頭半分程度背の低い義姉を見つめて、答えた。


「馬鹿にしていたつもりはないんですけど、自分には無理だなと……。母には、なれないですし。もちろん神にも帝にも。神って」


「なれないでどうするの。それが聖女に求められているものなら、なってみなさいよ。私、あなたのそういうところが嫌。人からどう呼ばれるか、つまり『どう見られるか』なんて、実に些細なことじゃない。それよりも、呼ばれるだけのことができるかどうか、やる気があるのか無いのか。あなたがそうやって自分のことばかり考えているうちは、誰からもどんな名前でも呼ばれないわ。自覚して」


 真摯な説教だった。そこには、いがみあいによる打算を感じなかった。

 ああ、だからこのひとも聖女候補なんだ、と。


(呼び名があるのは、それだけのことをしているから、その覚悟を見せているから。聖女候補でありながら、私は自覚が足りなかった。どこかで、自分は「特別」じゃない「普通」だからと、言い訳をしていた……)


 自分の浅はかさを丁寧に指摘され、ナディアは押し黙る。

 そのとき、背後から、アンゼルマが肩に手を置いた。本当に軽く、とん、と触れただけであったが、ナディアは(気持ちで負けている場合では)と気づく。


(サンドラ姉さまの志も、ものの見方も、「聖女候補」にふさわしい。間違えていない。だけど、姉さまの「奇跡」には問題点がある……!)


 言い返せないの? とばかりに睨みつけているサンドラの翠眼をまっすぐに見つめ。ナディアは慎重に切り出した。


「姉さまのご意見、沁みました。ありがとうございます。それとはべつに、確認したいことがあります。さっきの木を切って畑を作る方法って、皆さんにお願いされたから奇跡を行使したんですか? それとも、姉さまご自身のお考えによるものですか?」


 サンドラが、鼻白んだように目を細めた。


「その質問の意図は?」


 当然聞かれる。ナディアはさらに慎重を期して、説明を試みた。


「私が知る限り、傾斜地を畑にするのは、長期的に見てあまり良くない方法のはずなんです。というのも、基本的に、畑の土というのは何年も作物を作り続けていくと、痩せていきます。だから、肥料をまいて栄養を補充したり、違う作物を植えたりと工夫して使っていきますよね。一方で、今まで畑に使われたことのない場所というのは、最初の数年間は元気いっぱいの土地です。森林の跡地なんて、枯れ葉などの養分がたっぷり含まれていて、すごく使い道があるはず」


「そうよ。わかっているじゃない。だから、私は『奇跡』である程度整地して、耕せば使える状態にしてきた。これで土地不足も不作の問題も解消よ。そして私は感謝される、役に立っているから。何か問題?」


 サンドラの翠眼が強い光を放つ。

 それは、ここに来て名前の挙がったナディアに対し、強い牽制を意図したものにも見えた。今さら出てきて何を口出しするつもりか、とその目が言っている。


(ここでひいてはいけない。自分の意見はきちんと伝える)



「私は、普段外回りの奉仕にあまりお呼びがかからないこともあって、神殿に残って文献や各地から上がってくる資料に目を通す機会も多かったです。それで、聖女の奇跡の経過について考えてきました。その中で、数代前の聖女が考案した『傾斜地の利用』について追いかけていたときに、、と言えることがわかりました」


「どういうこと?」


「傾斜地は土が流れやすいので、表面の肥沃な土は雨水などで簡単に下の土地に流れます。杭になる役目の木々が無いので。斜面に残った土は、最初のときのような恵まれた土ではありません。また、そこに土砂降りや荒天という悪条件が重なれば、土の流出は下の土地に甚大な被害を与えます。そうでなくとも、必要以上の土が流れ込んだ農地は耕作にかかる労力が増大します。つまり……」


 ここを自分のアピールポイントとして活動してきたサンドラにとって、決して面白い話ではない。だが、ごく少数の人間しか持たない「聖女の奇跡」の利用方法として、サンドラのやり方は決して良くないとナディアは危機感を持った。


「いまの姉さまのやり方では、土地を荒廃させますし、ひとの生活も衰退させます。人間が手をくださなくても、聖女の力があれば楽にできてしまうと知られれば、頼られるのは当然。聖女がいれば事足りるし、たとえ作業に遅れが出ても聖女が来てからでじゅうぶん間に合うと考えるひとが出てきませんか。そういった『奇跡』の行使は、長い目で見て決してひとのためになっていないと私は考えます」


 本来なら、木を切り出すところから多大な労力を必要とする土地を、ものの数刻で農耕可能な状態にまでしたのだ。汗水垂らして人の手でそれをするのが馬鹿らしいと思われてしまったら?

 聖女が来るのを待とうと思い、来なければ不満を持つ。他の土地に行けば不平等だと騒ぎ、いざ来たら最大限に利用する。

 依存、という。

 その先にあるのは、頼りになる「聖女」なくして成立しない世界。


「……ナディアはずるいね。そういうことを考えるのは、能力の低い自分が聖女になったときに、政治力だけで民衆を押さえていこうと思っているからだよ。それって『聖女』って言えるの?」


 そう言うサンドラの顔には呆れきったような色が浮かんでいて、ナディアはひそかに動揺をした。

 渾身の説明をしたのに。

 ナディアとしては、私利私欲とは関係ない部分で話をしたつもりだったのに、サンドラにうまく伝わっていないように感じた。


「姉さま、それは」

「サンドラ様、こちらにいらっしゃいましたか! このたびは本当にありがとうございます!!」


 ナディアが重ねて話そうとしたそのとき、男の声が割って入った。


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