突発転生小説:地雷転生
戯言屋
序章 旅立ちの間
第1話 暗示の不具合
女神ライネは、大鏡の前で外見をチェックした後、頑張るぞ、と胸の前で拳を握りしめた。美しいドレープが映えるワンピースのような白絹を身に纏った、見目麗しい女である。
堂々とした歩みで、ライネは控室を出て、荘厳な意匠が施された旅立ちの間へ。中央の少し段差があって高い位置にある玉座めいた椅子に、女主人のように座った。気分が高揚してくる。
……少し足元を気にして、座り方を変えた。今時の流行に合わせたのか裾が少し短い。ともあれ。
「――始めてください」
ライネの声が空間に響くと、彼女以外には誰もいない旅立ちの間の照明が、ふっと消えた。そして代わりに、まるでふわりと落ちてくるような暖かな光が、天井から降り注ぐ。
幻想的な神聖さで満たされる旅立ちの間。
床からはどこからか白いスモークが湧き上がる。
緊張の一瞬。そして。
何もない空間から扉が出現して、ゴゴゴゴ……と、ひとりでに開き、そしてしばしの後に――まさに転がるような勢いで、一人の男が旅立ちの間に現れた。
「な、なんだここはっ」
混乱した様子で周囲を見回す男に、女神は微笑むと、詩でも読むような穏やかさで言葉を紡ぎ始める。同時に、妖精達の奏でる幻想的な旋律が、空間を彩り始めた。
「ここは死後、次なる世界へ旅立つ者が訪れる空間。
――ようこそ、旅を終えた者よ。私は転生者を異なる世界へと導く女神ライネ」
穏やかな気持ちになる天上の音楽に包まれながら、しかしそれでも呆然とした顔で、女神を見上げる男。
……目が合った瞬間、瞳を通じて暗示を仕掛ける。
はっ。と我に返った様子の男。
「これは――最近よくある異世界転生ってやつか!」
そうそう合ってる合ってる。と頷きたい気持ちを隠しつつ、女神は悲しげな表情を浮かべる。
「ええ、その通りです。残念ながら、あなたは死んでしまったのです……!」
……人間は、自身の死すら容易に現実として受け入れられないものである。
そこへ異世界だの転生だのと言ったところで、心が壊れてしまうだろう。
だから暗示で、現実と虚構の認識をずらすのだ。
――これは『よくあること』なのだと。
――あなたも知る『よくある流れ』なのだと。
そして……重要なのはここからだった。
「生誕に祝福あれば、その死を祝福するのも道理。
ああ、苦難の人生を歩んだ旅人よ。私は一度きりの生の終わりに対して祝福を与える女神。汝を次なる世界へと送る前に、ひとつのギフトを授けましょう!」
声高に響く女神の言葉。
慈悲深い眼差しに打たれたのか、男は震え始める。
「お、俺は―――」
目を細め、拳を握りしめて、言い放った。
「――俺は、異世界転生ものが嫌いだ……!!!!」
「……ふぇ?」
「そもそも創作の中でしか異世界なんて無いんだから『あー。これが最近よくある異世界転生かー』とか言い出したら、それはもう要するに今ここは創作の世界の中ですって暗に認めるってことだろうが!? そんな空気ぶち壊しの展開なんぞ認められるかー!!」
うがー! と吠えんばかりに男は叫んだ。
「たとえ分かり易いお約束の導入だとしても俺は認めん! 異世界という素晴らしい未知との接触がなんか手垢のついたもんになっちまうだろ!? 俺はもっとドキドキする新鮮さが欲しいんだよっ!! というわけで説明を要求する!!」
「―――」
女神は絶句している。BGMの演奏も止まった。
「説明をしろ!」
「は、はいっ!? 少々お待ちくださいね!?」
混乱しながら返事をしつつ、ライネは慌てて玉座っぽい椅子の裏に隠れた。目を白黒させる。
(……え? なに? なに? ……今のなに? なんなの? リテイクくらったの? 女神の私が??)
……まさか暗示が効いてなかったのだろうか?
いや、間違いなく効いているはずだ。ちゃんと転生者を選出する段階で、自宅に異世界転生ものの本があったり、異世界転生もののアニメとか見たことある人が選ばれているはず。
なので普通なら次は、転生ついでに図々しく凄い能力くださいとかそういう感じの話になるのでは??
(でも、この人さっき異世界転生ものが嫌いって……ど、どういうことなの?)
もしかして:異世界転生ものが嫌いな人に、異世界転生ものが現実だと認識をずらしたことで、暗示がバグっちゃった??
ええええー。
でも、こう……異世界転生ものが嫌いなら、本を買ったりアニメとか見るのって、おかしくない??
……よく分からない。
よく分からないが、説明をしてほしいらしい。
(――お、落ち着こう私。こういうお客様が来ても動揺しちゃダメって先輩も言ってたし。ここは穏便にやり過ごして……なんとか異世界転生の契約を結ぶのよ……!)
スン……と冷静になって、穏やかな女神の微笑を浮かべるライネ。昔から外面の良さには定評があった。
玉座っぽい椅子の裏から現れて悠然と座り直し、男に女神の笑みを向ける。何度も練習して、今では自然に出せるようになった慈悲深さの漂うアルカイックスマイル。コツは、ドヤ顔からドヤを消すこと。
音楽の妖精達が、仕切り直しとばかりの壮麗な旋律を奏で始めた。
「――私は旅立ちと変転を司る女神ライネ。ふふふ、落ち着きなさい人間よ」
「お、おう……」
女神のオーラにあてられたか、男は少しだけ冷静さを取り戻したようだ。
よしよしと思う気持ちを隠しつつ、こういう時の対応マニュアルを頭の中で思い出しながら、優雅に女神は口を開いた。
「少し混乱しているようですね。あなたの心が落ち着くよう、しばし私は、あなたの問いに答えましょう」
「おお。マジか」
男は喜んだ様子。
(……あ。もしかしたら、異世界転生って本当にあったんだー! みたいな大発見の喜びみたいなのが欲しかったのかもしれないわね……)
なるほど。子供っぽいとは思うが、まあそういう気持ちが暗示にバグとして現れたのかもしれない。技術部に報告しようと思うライネ。
「異世界は、実在するんだよな?」
「もちろんですとも。女神であるこの私と、死んだはずのあなたがいる。どう考えても異世界へ旅立つ流れですよね……?」
ふふふ。と女神スマイルを浮かべて言うライネ。
しかし男は、まったく納得していない顔。
「いや。それは別に異世界の存在を証明してないじゃん。なんなら宇宙人が偽装してるかもだし。異世界だっていう証拠あんの?」
「えっ?」
男に疑いの眼差しを向けられるライネ。
なんと証拠を出せと言ってきた。
「待って待って。宇宙人はアリなのに異世界人はダメなの? その……こう、なんか
「宇宙人は目撃情報とか昔からあるし。大体はニセモノかもだが、宇宙は広いから知的生命体がいる可能性は確率として否定できないじゃん。実際、地球人はいるわけだしな。なので、宇宙人説は大いにありえる」
「じゃ、じゃあ異世界人だって、いるかもしれないではないですかっ」
「異世界人なんて目撃情報すら現実にはねえよっ。大体は創作じゃねーか!」
男の機嫌が悪化してきたのを感じるライネ。
……だがしかし、彼女は慌てない。
むしろ『勝ったな』という謎の確信までしていた。一応、こういう時のための対応マニュアルに説得の方法も書かれているのだ。剥がれかけていた上位存在めいた余裕の笑顔を再生させつつ、慈悲っぽい視線を男に向ける女神。
「ふふふ……よくお聞きなさい。異世界とはすなわち、異なる世界。異なる歴史。そして……異なる技術でもあるのです。さあ御覧なさい無知なる旅人よ!
――ファイロ!」
ばっ! と掌を天に向ける女神。
すると突如、何もない空間に熱が生まれ、蜃気楼めいた空気の歪みを撒き散らしながら、紅蓮の火球が出現する! ――魔法!
「……これが、そちらの世界にはない魔力によって発動する技術、魔法です。直撃すれば骨も残らず全てを焼き尽くすこの火力。……どうです? これを見てまだ異世界の実在を信じられ」
「もろにファイアっぽい魔法やめろやぁぁ!!?」
「ぴえっ!?」
男はブチ切れた。一瞬で沸点超えた。
「ざっけんなっ――! お、おまっ、そもそも魔力で魔法が発動とか、もうまんま創作ファンタジーでよくある原理じゃねーか!? 100作品あったら90作品ぐらい魔法は魔力で動くんだよっ!?」
「ふ、ふぁっ?」
男に何を言われてるのか理解できず目を白黒させる女神。ちょっと涙目だった。
「というかファイロってなんだファイロって。まさか
「あ、いえ、その……ええと、とりあえず、そちらの世界には存在しない技術をお見せしましたので、異世界の存在について信じてもらうわけには」
「むしろ逆に嘘くさいわ馬鹿たれが……!」
「ええええぇぇ!?」
なんだろう。
女神として存在してからこっち、ここまで意味不明な理由で、しかも人間に怒られたことがあっただろうか。そもそもに男が何に怒っているのかが分からない。男は大変に不機嫌というか、悲痛というか、とにかく――本気の目だった。
「こう、さあ……マジで頼むぞ? せっかくのマジの異世界なんやろ? こう、『さすが異世界だ! こっちの世界の常識なんてまるで通じないってことかよ!』みたいなのを見せてくれ。そういうのいいから。もっと本物っぽいインパクトというか……ホント頼むぞ? こっちは死んどるんやで??」
興奮のせいなのか、たまに男の言葉遣いが彼のいる世界のある地方の独立言語っぽくなったりして、それがなんかちょっと怖いライネである。
インパクト……? えっ。今のでダメなの……??
対応マニュアルの範囲外の展開だ。
こうなればもはや最後の手段。アドリブで対応するしかない。
「しょ、少々お待ちくださいませっ」
ライネは焦りながらも、なんとか考えてみる。
「……! で、では、さきほどよりも強力な」
「―――まさかとは思うが」
男の声音が、二段階ぐらい冷えた。
「ファイロの強化版でファイミとかファイロラとか、そういうのを出すんじゃないだろうな?」
「―――――」
ぴたり。動きを止める女神。
「まさかとは思うが」
冬の嵐のような顔で目を光らせる男。
「魔法といいつつ、なぜかゲームめいた戦いの魔法ばかりとかじゃないよな?」
「―――――――――――」
ぶわっ、と女神の微笑で顔中から汗を流した後。
「しょ、少々お待ちくださいませっ」
ぴー!? と大慌てで一時退却。再び玉座っぽい椅子の裏に隠れる女神。
(……あああああああ、ど、どうしよう……!!?)
そう。なんとなく、ライネも分かって来たのだ。
要するに、この男は――
(この人、異世界転生に面倒くさい人だ……!!!)
……かくして。
新人女神にして今回が初仕事のライネと、異世界転生に対して無駄に面倒くさい男の戦いが始まった――
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