第4話 美羽の羽衣
「美~羽~。斎藤さんとは恋人じゃないの?協力ってどういうこと?プライベートなことをあまり聞きたくないけれど、翼の乙女に関係するから教えて欲しい。美羽の羽衣はまだあるの?」
恋人同士の繊細なことに触れるから、美羽に嫌な顔をされるだろうと覚悟しながら衣望里が尋ねると、美羽はあっけらかんと答えた。
「一応まだあるわよ。家では母が、私の羽衣がまだあるかどうか時々確かめていたんだけれど、処女判定をされているみたいで恥ずかしかったわ。衣望里は見たい?」
「えっ?ここにあるの?」
「うん。守哉に預かってもらってる」
驚いている衣望里に構わず、美羽がたたきでローファーを脱ぎ、仕切り代わりのソファーの背を回り込んで、一二畳ほどの部屋の隅にある本棚の前に歩いていく。
あがれば?と促されて、他人の家に勝手にあがりこむことにためらいを覚えたが、羽衣を見る誘惑に勝てず、衣望里はサンダルのストラップを外して、美羽の横に並んだ。
背の高さほどもある本棚の一番下には引き出しが付いていて、しゃがんんだ美羽が、引き出しの中からティッシュボックを平たくした大きさの桐の箱を取り出してみせた。
「こんな木の箱で羽衣を密封できるの?」
「桐の箱をなめちゃいけないわよ。昔から着物が虫に食われるのを防ぐのに使われていたし、上下の箱が隙間もなくぴったりかみ合うようになってるんだから」
「でも、ふたを開けたら、飛び出して消えないの?」
「私のへその緒が一緒に入っているから、大丈夫。まるで、それを護っているように衣は離れないのよ」
二人で箱を挟んで座り、美羽が上下の箱が合わさった筋目に爪を入れて、少しずつ溝を広げていく。まんべなく四方に爪を入れ浮かせたふたを、美羽が持ち上げて横に置いた。
小さく折りたたまれた、赤ちゃん大の着物が現れたのを見て、衣望里が唾をのんだ。
美羽が立ち上がって広げると、それは丈も幅もどんどん伸びて、美羽の身体に合う大きさになった。
華麗、壮美、雅やか。どんな言葉を並べても言い尽くせない美しさに、衣望里は言葉もなく魅入った。
例えて言えば、雪が降り積もった真っ白な山の中、流れ落ちるまま凍った滝に鮮やかなライトをあてたなら、豊かな色彩が飛沫やうねりまでも表現して、こんな風に生き生きと輝くのではないだろうか。
空中では半透明なのに、美羽が身にまとえば、しっかりとした質感と光沢を感じさせる生地に変化するのが不思議だ。
衣望里は思わず手を伸ばしたが、布が透けて突き抜けるだけで、手に取ることも叶わなかった。
「なんてきれい!」
「ありがとう。こんなに美しいものを、私は一度失いかけたの。戻ったのを見た時、ものすごく安心したけれど、代わりに守哉を失ってしまったのかもしれないと思って辛かった」
「それは、最後までいかなかったということね。途中で美羽の気が変わったの?」
美羽が首を振りかけて、考え込むように下を向いた。
「でも、斎藤さんは、美羽が翼の乙女を止めたかったら、いつでも助けるって言ったじゃない。私が美羽に文句を言った時も、美羽をかばったし、美羽のことを思っていると思うわ」
「助けるじゃなくて、協力するって言ったのよ。助けるなら、自発的な言葉で守哉の気持ちが入っているけれど、協力するは、私が翼の乙女の資格を失くしたいと言わなければ、自分からは求めないという意味でしょ?守哉はただ心配で放っておけないだけなのよ」
「う~ん。そうなのかなぁ。さっきのやり取りだけだと判断しかねるわ。ねぇ、美羽、斎藤さんとの関係をきちんと説明してちょうだい」
美羽が悩んできたことは、未来の自分にも当てはまるかもしれないし、従姉としても放っておけない。衣望里は美羽の話すのをじっと待った。
美羽がためらいがちに口を開き、守哉は名前の通り自分を守ってくれたのだと話す。先を促す衣望里を制し、美羽はその前にと話を変えてしまった。
「衣望里の羽衣は回収できなかったと聞いているけれど、多分翼でしょ?」
急に方向の見えない質問を受けて戸惑いながら、衣望里はそうだと頷いた。
「私の羽衣は衣なのに、名前は美羽でしょ。羽が入っているのはどうしてだかわかる?」
「本当だ!気が付かなった。何か意味があるの?」
「娘の羽衣が意味を成さないように願いを込めて、一族の母親は娘の生まれ持った羽衣とは反対の文字を入れるんだって。そんな気持ちも知らず、六年前に母から翼の乙女の話を教えられて衣を見せられた時、どんな人が迎えにくるのだろうとワクワクしたわ。だから、周りの子たちが次々カップルになっていっても、私だけは申し込みを断っていたの」
「分かるような気がする。中学生の時に聞いたら、私もおとぎ話に憧れたかもしれない。美羽は伝説を信じて、周りの誘惑から自分を守ったのね」
感心しながら、心の中で引っか借りを覚えたのは、美羽の男性関係が派手だという噂だ。
目の前に翼の乙女の衣があるのにどうして?という衣望里の心の声が聞えたように、美羽が理由を答えた。
「恋物語に憧れていたくせに、ずっと待っても迎えが来なくて、だんだん一人いるのが寂しくなったの。そんな雰囲気が出ていたのかな。余計に男の子から声をかけられるようになって、中には折れない私を、プライドが高いと言って詰る男子もいた。意中の男の子が私に夢中になっているのを面白く思わなかった女の子たちからは、陰で私が遊んでいると悪い噂を流されたの」
「そんな……ひどい」
「狭い街だから、親戚にもその話が耳に入って、一歳年上の守哉が真実かどうか私に探りをいれにきたわ。根も葉もない嘘の噂を聞いた時、すごいショックだった。秘密なんかより自分を守りたくなって、翼の乙女の話を守哉にしてしまったの。そしたら、守哉が恋人のふりをして、私を守ってやるって」
多分痛ましいものを見る顔でもしていたのだろう。美羽は衣望里を気遣うように、偽の恋人宣言をしてから、複数の男の子が言い寄ってくることもなくなったし、女の子からやっかみを受けることも、遊んでいると陰口を叩かれることもなくなったから大丈夫と言って、にっこりと笑った。
「美羽は辛い思いをしたのね。ごめんね。助けてあげられなくて。斎藤さんが美羽の傍にいてくれて本当に良かった。それで、二人は本物の恋人になったのよね?」
「うん。私はそのつもりだった。大学受験に合格したら、本物の恋人になるつもりだったの。まだ先のことだけれど、将来のことまで考えて、水産学科の食品化学を専攻したのよ。守哉は両親のスーパーを継ぐ気だから、食品衛生管理の資格を取って、役立ちたいと本気で考えたの」
「そんなに真剣だったの。なのにどうして、その、…最後までいかなかったの?大学生になったら本物の恋人になるはずだったんでしょ?」
「富士山の世界遺産登録の審査で、四月に三保の松原を除外するように勧告が出されたせいなのよ」
美羽は大きくため息をついた。
「知らなかった。二カ月前に勧告があったの?それじゃあ、海岸でみたあの二人は、二カ月前の勧告を知って、訪ねてきたかもしれないのね」
「そうだと思う。いくら、三保の松原を含めて富士山が世界遺産に登録されたニュースを見たからって、数時間後にいきなり飛んでこられるほどヴァルハラ王国は近くないから。いっておくけど北欧にあるのよ」
「ごめん。そんなことも知らずに色々と誤解して、秘密が漏れたらどうするのとか、斎藤さんを疑うような失礼なことを、本人の前で言ってしまったのね。恥ずかしいわ。本当にごめんなさい。斎藤さんにも謝っておいて」
衣望里は心から反省して、頭を下げた。
「守哉は全部受け止める人だから、大丈夫。衣望里が支配者たちを見てパニックになっているのも十分分かっていたと思う」
「一年違うだけなのに、斎藤さんはものすごく大人なのね。誠実な人のようだから、結婚するまで手を出さないのかも」
「それは、買い被りすぎ。この場所に支配者たちがやってくるのを予想して、最後の最後で、私に考えるラストチャンスをくれたんだと思う」
「最後の最後?」
「うん。そっちの部屋はベッドルームになってるの。スーパーの倉庫の二階を改装して住んでいるから、素っ気ない部屋だけどね」
美羽の視線につられて、衣望里はリビングの横にある扉に目を向けた。
プレハブハウスの味気ない部屋の向こうにベッドがあると聞いて、衣望里はあらぬことを想像しそうになり、どぎまぎしながら美羽の顔に視線を戻した。
「守哉と関係を結ぼうとしたときに、なぜか三保の松原を除外しろという勧告が頭をよぎったの。染みの浮いた天井を見て、これが現実なんだから、もういい加減夢から覚めようと思って、集中しようとしたわ。守哉はあの通り心の広い人だし、スーパーで扱うものは生活必需品だから、不況にも強いし、こんなに現実的な考え方をする私は、元々おとぎ話の世界には向いていないの。もし、今更支配者が来たとしても、答えは決まっているって思ったのに……」
「六年も待って、ようやく断ち切った夢だもん。叶いそうになったら、誰だって今の道を行っていいのかどうか不安になるわよ」
この小さな街で、女性が自分の足だけで生きていくには、限られた道しかないし、たいていの女性は男性の人生に寄り添うことになる。
十九歳の自分たちは、まだほんの少しだけ夢をみていたいのだ。
衣望里は美羽の気持ちが痛いほど良く分かり、同情しながら尋ねた。
「それで、途中でやめてって言ったのね」
「言ってないけど、痛くて、無理って‥‥‥ムグッ」
咄嗟に美羽の口をふさいだ衣望里の頬は真っ赤だ。美羽の目が笑っている。
「もう、言わなくていいから。つまり、斎藤さんは、美羽にまだ覚悟ができていないから突っぱねたと思ったんだ」
「そういうこと。説明しようとしても、今は聞きたくないと言われたの。家に帰ったら帰ったで、衣が消えていてパニックになって探したから、母にも処女喪失と誤解されたし、泣きっ面に蜂って感じだった。時間が経ってから衣が色を取り戻した時には、嬉しくて泣いちゃった。別に処女にこだわるわけじゃないけれど、衣は私の一部だから、失って辛かったの」
美羽は母の誤解をそのままにして、衣を守哉に預けたという。
「へその緒を箱から取り出して、箱のふたを開けておけば、衣は消えるから、守哉の好きなようにしていいと話したのだけど、残念ながら男性には衣は見えないのよね。今もこの通り存在しているわ」
「大事にされているのね。美羽。なんか、斎藤さんの気持ちが伝わるようで泣けてきちゃった。斎藤さんは美羽が後悔しないように、美羽の気持ちが本当に固まるまで待っているんだと思う。絶対に美羽のことを愛しているよ。今度はうまくいくといいね」
うん、と頷いた美羽の目も潤んでいる。二人の邪魔をしないよう、衣望里は守哉が偵察から戻る前に、スーパーを後にして旅館に隣接する自宅へと帰ることにした。
海岸の道を避けて歩きながら、美羽が衣は自分の一部だと言って大事そうに撫でた様子を、衣望里は思い出していた。
両腕を開いて、脇から手首までの下をじっと見つめるが、幻影さえも見当たらない。
もし、自分の羽が見えたなら、どんな風だったのだろうと、衣望里は少し残念な気持ちになった。
確か祖母は、保管しそこなった羽衣は、その子が成長して誰かと結ばれるまでは、姿を色々変えて、その子を近くで見守ると言っていた。
腕周りをチェックしただけでは諦めきれず、辺りをキョロキョロ見回してみる。もうすぐ七月になろうとする太陽は、夕刻の時間になっても、わずかに動く鳥や虫の気配さえも、クリアにするほど明るく照り輝いている。
それなのに、衣望里の望んだものは、道に落ちた影にさえも見当たらなかった。
見えないから何物にも縛られずに生きられるのかもしれない。
きっとそうだと自分を無理やり納得させて、泊り客の出迎えで忙しくなる旅館の手伝いをするために、衣望里は家路を急いだ。
今日一日で頭に入った情報があまりにも多すぎて、衣望里は祖母が言った一番大切なことを忘れてしまっていた。家に帰って祖母の声をきくまでは。
自宅の扉をあけ、リビングにいる祖母に聞こえるように、ただいまと声をかけてから、二階の自分の部屋に上がる。夕食の配膳を手伝うために、浴衣に着替えようとしたところに、ノックが聞こえたので、衣望里がドアをあけると、そこには硬い表情の祖母が立っていた。
「今夜は旅館の手伝いをしなくていいと羽音から連絡があったわ。家の外にも出ないようにね」
その途端に、忘れていた祖母の言葉が、衣望里の頭に蘇った。
『保管しそこなった羽衣は、その子が成長して誰かと結ばれるまでは、姿を色々変えて、その子を近くで見守るらしいの。でも、支配者たちは羽の気配を感じることができるから、翼の乙女の居場所を知らせる役割も果たしてしまうのよ』
無いはずの翼が、背中で震えたように感じた。
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