第2話 羽衣松の木の下で

「おばあちゃん。もうそろそろ普通にしゃべってくれないかな?横に置いてある本は何?まさかその影響じゃないでしょうね?」


「フフフッ……バレちゃった?ミステリーロマンス小説なの。面白いのよ~。衣望里も読んでみる?」


「はぁ~っ。心配して損しちゃった。もう、おばあちゃんったら、何が翼の乙女よ!あまりにも真に迫ってたからドキドキしちゃったじゃない」


「決まってた?目に力を入れながら相手を見て、声を低くして言うのよ。気を付けなさい。王子たちに狩られぬように。あなたには翼の乙女の血が流れているのだから」


「きゃ~っ!決まってる!決まりすぎる!それもだけど、支配者がやってくるっていうのウケるわ。サンタが街にやってくるの歌詞じゃないんだから、もう、おばあちゃんったらお茶目すぎ!」


 祖母の話に身を強張らせていた衣望里は、芝居だと分かった途端、ソファーに倒れ込んで、座面をバンバン叩きながら笑い出した。

その様子を、愛情のこもった目で眺めていた祖母は、まだ笑い止まない衣望里に優しく声をかけた。


「ウフフ……衣望里は怖がりなところがあるからね。翼の乙女のことは、他人には秘密よ。従妹の美羽なら相談しても大丈夫だから、元気づけてもらいなさい」


 聞き捨てならない言葉に、座面を叩いていた手をぴたりと手を止めて、衣望里がソファーからムクりと身を起こした。


「冗談なのよね?まだ続きをするの?」


「まぁ、日本くんだりまで支配者が来ることはないでしょうから、冗談にしときなさい。さて、続きを読もうかしら。逃げた婚約者を侯爵が追ってくる場面からだったわね」


 よいしょっと言いながら座りなおし、手に取った本を開いた祖母は、すっかり読書の世界に入ってしまったようだ。衣望里が声をかけても返事もしない。

不安を抱えたままで、どうにも落ち着けない衣望里は、仕方なく美羽に連絡を取ることにした。


 一時間後なら空いているという美羽に合わせ、衣望里は、ニ十分ほど鎌ヶ崎に向かって歩き、「羽衣の松」までやってきた。

 目の前に青い空と海が広がり、海風に乗って白波がザザザッと軽快な音をたてながら砂浜に打ち寄せる。この羽衣海岸は、全長七kmもあり、弧を描きながら続く砂浜は、まるで富士の裾まで続いているように見える。

 湾曲する海岸に沿って植えられた三万本の松の並木が、近代的な建物などを視覚から遮っているため、青い富士と白波の打ち寄せる海は絶景で、日本新三景、日本三大松原にも入り、国の名勝にも指定されている。

 衣望里が十九年間毎日見ても、見飽きることがないほど美しかった。


 美羽と待ち合わせ場所にした「羽衣の松」は、天女が水浴びをする際に衣をかけたと言われる初代の松から数えると三代目になる。

 曲がりくねった枝を四方へ伸ばす樹齢何百年の巨木は、「羽衣の松」と呼ばれるのにふさわしい風格を持ち、見る者を圧倒する。

 地面に着くほどに長く伸びた大枝に目をやった衣望里は、天女が羽衣をかけるとしたら、この枝ならちょうど良い長さと高さかもしれないと思い、ふといたずら心が湧いた。

 誰も見ていないことを確かめると、布団を竿に干す仕草で、松の大枝にフワリと羽衣をかぶせる真似をする。

 祖母の話を聞いて、さっそく感化された自分が可笑しくなって微苦笑を浮かべた時、背後で女性の笑い声が聞こえたので、衣望里は慌てて表情を引き締めた。


「衣望里、天女ごっこでもしていたの?」


 振り返ると、黒色のハイネックノースリーブシャツに、カーキ色のチノスカートを合わせ、黒のロングベルトと靴でセンス良く決めた美羽が立っていた。

 大学の受験勉強に入ってから会っていないから、もうかれこれ二年ほど経っただろうか。自分とは正反対のクールで大人びた装いが、とてもよく似合っている。でも、中身は意外と熱いことを知っている衣望里は、懐かしさで一杯になり、自然に笑顔が溢れて声が弾んだ。


「久しぶりね。美羽。元気だった?突然呼び出してごめんね」


「うん、元気、元気。大学生になったら衣望里に連絡取ろうと思ってたのに、あっという間に夏になっちゃった。会うのは二年ぶりかな?衣望里はガーリーを卒業して、フェミニン度が増した感じ。きれいになったね」


 近くに住んでいる安心感からか、お互い連絡もしないでいたけれど、会えば血の繋がりを感じて、一気に距離が縮まり会話が弾む。お互いの家族のことも聞いて、心がオープンになった頃合いを見計らって、衣望里は本題を口にした。


「実は、おばあちゃんから、さっき聞いたのだけど、美羽は翼の乙女の話を知ってる?」


 衣望里は、まだ祖母に担がれているのではないかと半信半疑のまま尋ねると、意外にも美羽は、ああ、その話ねと頷いた。


「知ってるわよ。っていうか、さっき聞いたの?遅すぎない?私なんて中学校の時に母から聞いたわよ。その時は絶対に家族以外にはしゃべっちゃいけないと言われていたから、衣望里にも話さなかったけれど……」


「そんなに、早くに聞いたんだ。怖くなかった?自分に翼の乙女の血が流れていて、支配者が探しにくるかもしれないなんて、まだ信じられないし、本当なら怖い気がする」


「衣望里は相変わらず心配性ね。だから、おばあちゃんも、今まで怖がらせないように黙っていたのかもしれないわ。きっかけは、だいたい想像つくけれど、富士山がユネスコ世界文化遺産に登録された時に、三保の松原が取り上げられて目立ったからでしょ?」


 衣望里が頷くと、美羽がやっぱり?当たったと陽気に笑った。


「大丈夫だって、ヴァルハラ王国の支配者がこんなところまで、来るわけな‥‥‥」


 衣望里の心配性をからかいながら笑っていた美羽の顔が、突然固まり表情が消えた。

 何事が起きたのかと、衣望里が自分の背後を振り替えると、海岸沿いの砂浜を、遠くの方から明らかに日本人でない髪色の外国人が二人歩いて来る。

 衣望里がまさかという表情を美羽に向けた途端、二人の頭には「逃げろ!」の文字がスパークした。

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