第50話 赤い炎
ゴオゥ
赤い炎が迫ってくる。目を閉じていても、その熱の激しさが伝わってくる。ロイが私を抱きかかえて飛んだ。でも、稲妻のような炎を避けきることは難しい。何度飛んでも、熱い魔力が追いかけてくる。
焦りながらも、やっと101桁の呪文を唱え終わり、目を開けた瞬間に真っ赤な炎が襲ってきた。ロイが私に覆いかぶさった。
大きな手のひらのように広がった炎は、私とロイを包みこむ直前に金色の膜で遮られた。キラキラ光る金色の結界が私とロイの周りを囲み、燃え盛る炎の侵入を防いでくれている。
これは、バトラール先生が黒板に書いた数字のおかげだった。本当は4年生で習う結界の呪文。
シャルの魔石で作った金色の結界は頑丈で、赤い業火を防いでくれている。でも、赤の王子の本気の魔法攻撃だから、長くは持たないだろう。少しずつ、金色の光が弱くなっている。
強い魔力の発動に気が付いたのか、官邸の人たちがあわてて部屋に入って来るのが結界越しに見えた。
もう少し、あと少しだけ保って。
ピキピキと結界にひびが入る。
赤い炎の向こうでは、職員に囲まれたペインリーが何かを叫んでいる。赤の王子は笑っている。
ピキッ
ああ、だめだ。もう、壊れる。
魔力圧に苦しそうにうずくまったロイを庇って立った。
握りしめた魔石にはもう魔力は残ってない。
そして、銀色の精霊が現れたのが見えた時に、結界はパリンと粉々に割れた。
一瞬で、私とロイは灼熱の炎に包まれた。
ああ。
銀の王子の魔法は間に合わなかった。
私とロイを燃やし尽くした炎が消えた後、
床には焼けただれた精霊が横たわっていた。
耳としっぽは焼け落ちて、皮膚はベッタリと赤く溶けて貼りついている。
全身が焼け焦げて原形をとどめていない。
そんな……。
崩れ落ちて、泣きそうになった。
ああ、ロイ……。
あまりに痛ましい姿を、ただ座り込んで見ているだけだった。
「……ぅ」
微かに、ほんの小さなうめき声が聞こえた。
ロイ?
ロイの声?
まだ、生きてるの?
それなら!
銀の王子が私をロイから引き離そうとしたけど、それを振りほどいて目を閉じる。
邪魔しないで!
大丈夫。
私は強い。
私はがんばれる。
急いで呪文を唱える。
黒板に書かれた184桁の呪文じゃ足りない。もっと、もっとずっと強い魔法が必要。
誰も成功したことのない伝説の魔法。数字好きの私に、先生がこっそり見せてくれた禁書に載っていた、人間の限界に挑戦するかのような呪文。
見たのは僅かな時間だったけれど。
私にはできる。
『完全再生復元治癒』
命がある限り、どんな状態でも治せる奇跡の魔法。
とても強い聖力と魔力の両方が必要とされる。
私はSSSランク。聖力は充分ある。そして、さっき指輪に吸収された王子の本気の攻撃魔力がある。
きっとこれは私にしか唱えられない。
1184桁の呪文を唱えきった時、
体からズルっと聖力が抜け落ちた。
そして、白銀のまぶしい光がロイを包んだ。
いつも通りのロイの姿を確認してから、私は意識を失った。
目が覚めた私が最初に見たのは金色の瞳。そこからポタポタと水滴が落ちていた。次から次へと。
ああ、シャルが泣いている。
泣かないで。
ずっと握られていた温かい手を握り返す。
私は大丈夫。
そう言いたかったけど、口を開けることもできなくて、体が重くて、また、目を閉じた。
次に目が覚めた時も、同じ金色の眼差しが私を見つめていた。天井には金色のシャンデリア。
ああ、私の部屋。そして、私の精霊。
「……シャル」
私の呼びかけに、シャルは金色の瞳を潤ませて微笑んだ。
私は2週間近く眠っていたらしい。その間シャルはずっと側にいてくれたようだった。
「ごめんね。カナデを守れなかった」
シャルは何度も謝ってきた。
「僕のせいだ。全部、僕のせいなんだ。……ごめん」
そう言って、うなだれたシャルはとても辛そうだった。
「謝らないで。シャルは守ってくれたよ」
起き上がってシャルを抱きしめたかったけど、体に力が入らなかったから、かわりに手を伸ばした。シャルはすぐに私の手を握ってくれた。
「シャルの指輪が私を守ってくれたよ。指輪の力で、私はいつもシャルに守られてる」
私はシャルの手をギュッと握り返した。
「彼女を産んだ聖女は、召喚された時に身ごもっていたんだ」
シャルが、ゆっくりと話してくれた。
「聖女自身も知らなくてね。異世界召喚で記憶が飛ぶから、陛下が最初の男だと思っていた。精霊との間に子供はできないとみんなが諭しても、これは奇跡なんだって信じていた。純粋な女性だったんだ」
私は黙って、ベッドの上でシャルに背中を預けて座って聞いていた。後ろから私を抱きしめて座ったシャルの体温を感じる。
「出産した子供は、誰にも似ていないピンク色の髪と目をしていたんだ。それで、聖女は思い出した。思い出してしまったんだ。……前の世界で最後に見た男の髪の色を。死にゆく自分を見ていた瞳の色を。……なぜ、自分が死にかけたのかを」
シャルの冷たい手を取って握った。少しでも温めてあげられるように。
「狂ったように叫んで、赤子を殺そうとする聖女を見かねて、陛下は僕に聖女の記憶を消すよう命じた」
シャルの指先が少し震えていた。大丈夫。そう声にださずにつぶやく。
「初めはそれでどうにかなったんだよ。でも、召喚者は心が不安になると、夢を見るんだ。聖女はその時の夢を何度も何度も見て、僕はその度に記憶を何度も何度も消した。でも、……疲れてしまったんだよ。記憶を消す時にはそれを共有する必要があって、聖女の記憶、押し入って来た強盗に、襲われて、暴行されて、首を絞められて殺される記憶を、僕も何度も何度も……」
シャルは後ろから私をぎゅっと強く抱きしめた。私にしがみつくかのように。
「だから、逃げた。連絡が取れないように、ダンジョンに入って、狩って狩って、狩りつくして。戻った時には聖女は死んでいた。子供の目の前で、ナイフで自分の首を切って」
そんなの、シャルのせいじゃない。シャルは悪くない。
「僕のせいだ」
違う。
首を振って、シャルの言葉を否定する。
シャルは黙って、しばらく私を抱きしめていた。私も、それに付き合って、ただ静かにシャルの体温を感じていた。
どれぐらい時間が過ぎたのだろう。
シャルは、後ろから抱きついたまま、小さくてかすれた声で、私に聞いてきた。まるで哀願するかのように。
「こんな弱い僕でも、カナデは側にいてくれる?……僕を嫌いにならないでくれる? ……僕は側にいてもいい?」
私は答える代わりに、後ろを向いて、シャルの完璧な形
の唇に自分のそれを重ねた。
シャルは私の精霊だ。誰にも彼を渡さない。絶対に。
私はそう、心に決めた。
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