第26話 目に映る力

 アルトゥールが家に戻ったのは、間もなく正午になる頃だった。

 軽く昼食を取ったアーレは、客間のソファに座り、本を読んでいた。

 アルトゥールが手を軽く振ると、控えていた侍女は一礼して部屋を出た。

「具合はどうだ?」

「ずいぶん良くなってるわ。ありがとう」

 まだいつも通りというまでにはいかないものの、しびれはなく、頭の痛みも和らぎ、会話も普通にできる。


「忘れてたんだが」

 子爵からもらっていた葉の残りを出すと、あの味を思い出したのか、お互い苦い表情になる。

「本当は煎じて飲ませるらしいんだ。…煎じるってどうするのか、わかるか?」

「煮詰める、と言えばわかりやすい? 葉を摘んで、乾燥させて、煮詰めればいいのだろうけど…。あの場所で、私があれじゃ…」

 しばらく沈黙が続いた後、アルトゥールは滋養の実の葉をアーレに渡した。

「一回三枚、三日間、は言われたとおりにやった」

「うん…」

 あの想像を絶する味と一緒に、三回もだ、と怒っていたのを思い出す。自分のあの味の記憶が一度だけなのを思うと、申し訳ない気持ちになった。

「まだ追加でしばらく飲んだ方がいいかもしれない。…任せる」

「…うん」

 とは言え、任せられてもなかなか困る味だった。


「じゃあ、行こうか」

「えっ?」

 突然の「行こう」にアーレが戸惑っていると、

「森の家。今日はまだ日帰りだ」

「…連れて行って、くれるの?」

 まだおとなしくしておけ、と言われると思っていた。医者にも、部屋付の侍女にもそう言われていた。それなのに、自分の願いを優先してくれる。

「揺れがきつかったら、やめておくが」

「…行きたい」

 アーレが素直に自分の願いを口にすると、

「我慢はするなよ。何かあったら、早めに言うんだ」

と言って、少し睨むような目で見た。こくりと頷き、無理はしないこと、今日はまたここに戻ることを約束すると、すぐに出発した。


 使ったのは、昨日小さな町からここまで乗ってきた、現地で調達した荷馬車だった。

「経費で落ちなかったから、うちの物になった。好きに使っていい。うちに置いておいても、森に置いておいても」

 手頃な大きさで、森の近くの街に行くにも手軽に使えそうだったが、

「私にはちょっと大きすぎて引けないかも」

と言うと、アルトゥールはぶっと吹き出した。

「自分で引く気か…。馬か、ロバの方が良ければロバでも調達しよう」

 ツボに入ったのか、結構長い間、こらえながらも笑い続けていた。笑われて拗ねていたアーレも、アルトゥールが楽しそうにしているのを見て、つられて笑ってしまった。


 森に戻ると、まず畑を確認した。

 1週間近く水をやれなかったが、どの苗も枯れていなかった。

 次の種を植えようと耕しただけの土地には、小さな何かの芽が生え始めていた。

 自分がいなくなれば、この畑も森に戻るのだろう。遠くに見える隣の家の畑を見て、そう思った。

 鍬は歪んでしまった先の鉄の部分が取られ、今は柄の部分だけが壁に立てかけて置いてあった。街で修理を頼むつもりだったが、詫びと共に新しいものを農園からもらっていて、修理をする必要がなくなっていた。

 明日は市が出る日だが、さすがに今日ここまで連れてきてもらっておきながら、明日も街まで連れて行ってほしいとは言うことができず、あえて口に出さずに諦めた。


 実り過ぎたものも含め、野菜や魔法の実を収穫する。王城の農園で作業を覚えたアルトゥールも手伝ってくれた。

 滋養の実のついた葉を見て、アルトゥールは少し顔をしかめた。あのまずい薬の正体だ。青々とした葉は、枯れかけた葉以上に濃い味を含んでいるように見えた。

 怖い物見たさか、アルトゥールは小さな若芽をちぎり、口に入れた。うまくはないが、あれほどのひどい味はせず、全然我慢できる。

 アーレにも声をかけると、アーレも言われるまま試して驚いた。大きな葉でも、採りたてであれば難なく口にできる。効果も同じなら「生薬」としての活用方法には検討が必要なようだ。

 試しに何種類かの魔法の実の葉を茎ごと干してみた。エッフェンベルガー子爵から預かっている生薬の本にも何か記述があるかもしれない。アーレは後で調べてみることにした。


 朝、ガルトナー家で読んでいた本は、侍女が見繕って持ってきてくれた物だった。ガルトナー家には図書室があり、実用書も多くあると話してくれた。物によっては頼めば借りられるかもしれない。

 自由に本を手に取れる生活には、やはり憧れた。

 森にいる間も勉強を見てくれる者、作法を教える者もいたが、やがて学びの時間はなくなった。

 森の家にあった本は、徐々に数を減らしていった。

 自分の部屋の本は守りはしたものの、生活のため売るのを期待していた者もいただろう。


 魔女としての自分に期待を寄せる者もいたが、アーレには何もできなかった。まじないをすれば喜ばれたが、本当に効いているかどうかもわからなかった。

 「お嬢様」と呼ばれていたが、やがて「アーレ様」、そして「アーレさん」におちついた。そう呼ばれることは嫌ではなかった。しかし、呼び名に親しみが込められても、他の住人との距離が縮まるどころか、むしろ遠ざかっていた。


 街で物を売るには、笑って座っているだけでは駄目だった。

 自分の口調が周りと違うことに気がつき、街の人の話し方をよく聞いて、どうすれば親しくなれるのか、普通だと思ってもらえるのか、工夫してみた。


 森の他の住人がいなくなってからは、叱る者がいないので少し挑戦的なしゃべり方もできるようになり、街の人の言葉に寄せるだけでも周りの態度はずいぶんと変わっていった。演じている自分ではあったが、「アーレ」と呼ばれ、会話をし、受け入れられるのが嬉しかった。

 やがて、演じた町娘、アーレが自分になっていった。


 自分一人が暮らせるほどのお金を手に入れ、時々物を買う。

 寒い冬も枝や薪を拾える。

 夏は木々の影のおかげでさほど暑くない。

 井戸は家のすぐ近くにあり、川もそう遠くなかった。

 時々木の実やキノコ、山菜やノラ鶏の卵なども手に入る。

 自分は恵まれている。だからさみしがるのは間違っている。

 自分はここに帰る。

 友達もできた。

 知り合いもできた。

 好きだと思える人も。

 時々会えれば、充分。充分なのに…

 何かが足りない思い、満たされない心。


 突然、頭の上を影が横切った。

 アルトゥールはアーレの肩を抱き、家の近くに引き寄せた。

 警戒しながら上を見る、その目線の先には、牛の三倍くらいはありそうな大きさの竜がいた。森の畑の上を旋回している。魔法の実を食べに来たのだろうか。

 アルトゥールはアーレを下がらせ、家の壁に立てかけておいた剣を握った。

 ゆっくりと降下した竜は、気遣ったのか、隣の家の草だらけの畑に降り立った。

「グォーウウウウ」

 野太く響く声を上げ、こちらを見る。

 アルトゥールはしばらく構えていたが、剣を鞘から出すことなく、構えを崩した。


 アルトゥールの背後に近づいたアーレは、こんな近くで竜を見たのは初めてで、少し緊張していた。

「おなかがすいているのかな」

「いや、…心配してた、ようだ」

 剣を持たない右手を口元に添えて、竜をじっと見る。

 竜はアーレを見ていた。

 さっき摘んだばかりの魔力の実とトマトをそっと竜に差し出すと、軽く匂いを嗅いでから口に放り込んだ。ガツガツしない上品な食べ方だった。

「大地への祈りが消えて、おまえに何かあったのかと様子を見ていたらしい」

「…竜の言葉がわかるの?」

「いや…。言葉じゃない。何か伝えようとしてくる者の気持ちというか…。わかるというほどはっきりしてない。俺は中途半端な魔法しか使えないから」


 中途半端、と言われたのが不思議だった。

 この国の者は平均してささやかな魔力を持ち、生活の補助に使うこともあったが、魔力を持たない者も少なくない。その分、そうした者に対する偏見もなく、自身を支える魔法を何一つ持たないアーレも引け目を感じることはなかった。

 「魔法使い」と呼ばれるほどの者は多くなく、滅多に会うこともなかったが、皆、敬意を持っていた。だからこそ、魔力を持たない自分を「魔女」呼ばわりする者達に、そしてその代償に過剰な敬意と孤独を与えた者達に、もどかしさと苦痛を抱き続けていた。


 アルトゥールは普段は魔力を使うことがなく、むしろ隠しているようにさえ見えた。それなのに、鍬を誰かに隠されて困っていた時、手に書かれた魔法は的確に自分の探す物へと導いてくれた。何の迷いもなく施してくれた魔法は、信じる者に優しく、いたわりに満ちた力を発揮してくれた。


「祈りが欲しいの?」

「いや、魔法を欲しがってるわけじゃない。…今は、そうじゃない。普段は、大地の祈りを感じると、…心が安らぐ。だからここにいる。そう伝えて欲しいと言っている」

「私の祈りは、魔法じゃないわ」

「魔法だ」

 竜も、アルトゥールも、同じ目をしていた。

 敬意を持てど、恐れず、優しく、対等に接してくれる。かつて、周りの人にそうあってほしいと願った目だ。

「おまえは、自分のことを知っておいた方がいい」

 空を見上げた竜が羽ばたき、飛び立った。巣にしている洞窟へと向かって去って行く。

「おまえは森の魔女だ。自分で魔法を出せなくても、魔力がない訳じゃない」

 アルトゥールは鍬の柄に使っていた棒を手に取ると、アーレに渡した。

「軽くでいい。祈りを」

 言われるまま、いつものように靴を脱ぎ、地面に浅く足をうずめる。

 手を伸ばしかけた時、左手を握られた。いつもと少し勝手が違ったが、握られたまま、祈りを捧げ、大地に棒を突いた。

 棒の先から光が生じ、輪になって広がっていくのがアーレにも見えた。

 細い光の線が通り過ぎた後には、粉になった光がゆっくりと降り注ぎ、わずかな祝福を与えながら、やがて土の中に溶け込んでいった。

 今まで、自分では見たことのない、感じたことのない世界だった。


「…見えていたの?」

 アルトゥールは、ゆっくりと頷いた。

「私の、魔法?」

「おまえのだ。おまえは自分で魔法を発することができない。恐らく感じることもできないんだろう。だが、森の主の一部であるその木を通して、魔力を大地に還元することができる。優しい魔法だ。土を潤し、水を沸き立たせ、緑を育てる。優しく、強い…」

 自分では感じることもできなかった魔法を見ることが出来、その力を褒められ、それでいて恐れられることもない。

 アーレは、今まで抱いていた魔法に対する「嫉妬」に似た気持ちが消えていくのに気がついた。


「見えないからコントロールできない。感じられないから過剰に放出することもある。体にため込み過ぎることもあるだろう。おまえの母方の一族は、そうやって命を縮めてきたんだそうだ」

 命に関わると言われて、急に自分の魔法が怖くなった。

「ここでこうしてひっそりと暮らせば、おまえ自身のペースで、時々魔法を大地に返していける。今まではそれでバランスがとれていたのかもしれない。でも俺は、おまえがここで一人で暮らすのはいいことじゃないと思っている」

「森を…出ろと?」

「俺と、暮らさないか」

 その言葉の意味が、わかりすぎて混乱した。本当に、自分が思っている意味で言っているのか、むしろそれを疑った。

 パクパクと口は開くのに、言葉が出ない。

「俺は、おまえの魔法が見える。おまえに見せることもできる。訓練を積めば、きっと俺がいなくても自分のことをわかるようになるだろう。自分に魔力があると知ったら、おまえはちょっと寄ってきた者にも施すようにむやみやたらに魔法を使うに違いない。俺はそれを止めることができる。今の竜のように、おまえになついてきた者の仲介もできるだろう」


 売り込まれるのは、自分へのメリット。思いつくのも、自分へのメリットばかり。

 しかし、アーレにはアルトゥールのメリットが何も思い浮かばなかった。

 身寄りなく、一人で生きる農民。ささやかで小さな畑しか持たず、週に一回人と会い、小銭を稼いで生活している、庶民の中でも決して豊かではない者。

 周りの者から置いて行かれた、仕方のない存在。

 「厄介者」という名がふさわしい…

 そんな自分が、アルトゥールの隣にいるなんて、許されるわけがない。

「ずっとついている訳にはいかないが、おまえを守るくらいの力はあるつもりだ」

「…駄目よ」

 アーレが否定の言葉を口にすると、アルトゥールは、ただ

「そうか」

 と言って、それ以上の提案をしなくなった。

 驚くほどに、あっさりとしていた。

 つないでいた手は簡単に離され、しばらく黙って考えた後、

「…仕方がないな。俺はこの程度の男だ。でも、おまえをほっておくわけにはいかない。…俺が駄目なら、誰かいないか、少し考えさせてくれ」

 それは、意外な展開だった。

 アーレは、アルトゥールを否定したつもりなど少しもなかった。それなのに、アルトゥールから続く言葉は、

「多少なりとも魔法が使えて、魔法が見通せる奴でないとな…。魔女に偏見を持たず、庶民に偏見がなく…となると、家を継ぐ奴らは難しいか…」

と、自分を除く次の候補を斡旋しようと、まるでお見合いを勧める親戚のおじさんのように、真剣に考えていた。

「俺みたいに口が悪くなくて、優しい奴がいいな。いや、別に結婚まで考えなくても、後見でいいのか。それなら、…少し時間をもらう」

 そして、また剣を家の壁に立てかけると、畑仕事の後片付けをし、帰る準備を始めた。

 こんな展開で一緒に帰るなどあり得ないと思っていたのに

「持って行きたい物があったらまとめて。荷台に積む」

と、戻ることが当然のように言った。

「え、あ、…私、ここに」

 残る、と言いかけた途端、よく見せるあの怖い顔になって睨みつけ、決して怒鳴りはしないのに

「約束は」

と発した声は、恐怖だった。

「はいっ!」

 反論などできるわけがなく、家にあった本と、干しかけていた魔法の実の葉、下着と服、それに摘んだばかりの野菜や魔法の実を荷台に乗せて、ここに来る前に約束した通り、ガルトナー家へ向けて馬車を走らせた。

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