第11話 嫉妬 1

 農園で働くようになり一ヶ月半ほどが過ぎた。

 第二王子の婚礼準備は魔法の実を含めた様々な食材におよび、城の外にある農場や牧場も忙しくなっているようだった。

 魔法の実のために雇われてはいたが、人手が足りないのが目に見えてわかる現状に、アーレは農園に行った日は目についた仕事を積極的に引き受けていた。

 農園の人からも、技術指導者と言うよりはパートタイムの労働力として期待されるようになり、時々自分の知らない肥料のことや、新しい品種の育て方の話も聞くことができ、時に種を分けてもらえることもあった。


 アルトゥールは魔法の実入手の特命を受けて動いていたが、順調に進んでいることから他の物品の管理や来客に関する準備など様々な仕事を回され、何かと多忙になっていた。

 それでもアーレの送り迎えは自分がする、と断言し、実行していた。

 一度決めるとやりぬく。それを邪魔しようとする者は、それなりの反論ができないとバッサリ切る。いつもそうなのだろう。アーレも切られた口だ。


 一度遅くなるので待っているように言われ、近くにいた人がそれなら、と代わりに送ってくれようとしたが、自分が断るよりも早くアルトゥールが「帰りに話があるから」と断っていた。

 そう言われると「乗合馬車で帰ります」とも言えず、アルトゥールが来るのを待って送ってもらったものの、特に大した話はなかった。

「あまり人に家を知られたくないんだろ」

と言われて、気遣ってもらったことに気がついたが、それなら乗合馬車で帰れたのに、と気遣いどころにちょっと首をかしげた。



 忙しい中でも城内では訓練の一環として、月一回の模擬戦があった。騎士団員や衛士が互いの技を競い合う場だ。

 何の気遣いか、その日はお昼休憩が遅番になり、

「見てきていいよ。お昼休み、長く取っていいから」

と言われた。農園のおじさん達がニヤニヤするのがちょっと居心地悪いが、一度見てみたいと思っていたところだ。

 用意されていたお昼のサンドイッチを紙ナプキンに包み、会場だと教えてもらった城内の騎士団の演習場に足を向けた。


 演習場には結構な数の人が集まっていた。

 よく見えるところは熱狂的なファンと思われしご令嬢方に既に占領されていたので、人目を忍べる裏手に回り、行儀が悪いのは承知の上で木の上から観戦することにした。森で木の実を取るために鍛えており、木登りは得意だった。

 模擬戦は、一対一での本格的な戦いだ。刃を潰した模擬刀を使っているにせよ、当たれば痛いに違いない。

 勝負が決まるたびに、令嬢方の黄色い声が飛ぶ。時々声が低くなるのは、お目当ての人が負けた時なのだろう。声だけでご令嬢方の人気が測れる。


 食事も終わったところで、ひときわ大きく黄色い歓声が上がった。

「次! シュレーゲルとガルトナー」

 アルトゥールの家名が呼ばれた。

 ご令嬢の人気は半々、と言ったところか。

 合い構えて、すぐに剣の当たる音がした。

 どちらも容赦なく攻める。周りの声も熱い。良きライバルか、でなければ相当仲が悪いか、どちらかのように思えた。

 アルトゥールの剣は、流れる水のようだった。対する相手は、踊るように剣を弾ませる。一見激しい相手の剣の方が優勢に見える。しかし、アルトゥールはそれをうまくよけ、隙を見ては確実な攻撃をしている。

 これは勝つな、と思っていたら、案の定、相手の剣が宙を飛び、アルトゥールが勝利した。喉元に剣を突きつけ、笑いもしない目が怖い。

 何を話したのか、口が動くと相手が両手を振って降参を示していた。

 …怒らせたら怖そうだ。


 とりあえず知り合いの試合を見ることができて満足し、木から下りて農園に戻ることにした。

 ご令嬢方の団体の横を通り過ぎようとしたとき、

「あら」

と言う声が上がり、声のした方に顔を向けると、うちの何人かと目が合った。どれも知らない人たちだった。

 ご令嬢方と比べると、自分の格好はみすぼらしくぼろぼろだ。下働きの者がこんな格好で模擬戦を見ているなんて場違いこの上ない。そこを指摘されるのかも。

 一礼して急ぎ立ち去ろうとしたが、

「そこのあなた、ちょっとこちらへ」

 美しい黒髪の令嬢に呼び止められてしまった。他のご令嬢は遠くから様子を見ている。

 取り囲まれないだけましながらも、王城の「使用人」に「ご令嬢」が声をかけるなんて、どれだけ気まずいか知れない。

 念のため、かしこみ、一礼をして後について歩いたが、人のいない方へと導かれそうだったので、ほどほどのところで立ち止まった。

「どのようなご用件でしょう」

 令嬢は自分より先に立ち止まり、アーレの方から声をかけたのが気に入らなかったらしい。振り返るや否や

「下女のくせになんですの!」

と、いきなり激した。

 きれいな顔が台無しだ。黙っていればかわいいのに。

 アーレがあまりに反応が薄く、恐がりもしないので余計に怒りが増したようだった。

「あなた、下女のくせにアルトゥール様にこびを売って親しくしているって聞きましたわよ。あの方は紳士で、身分に関係なく平等に接してくださる方ですけど、誤解なさらない方がいいわ」

 要するに、アーレとアルトゥールが親しいことを知っているご令嬢が、注意をしているのだ。アーレはそう解釈した。そんなのは当人間の問題だろうに。

「はあ…」

 中途半端な相槌がまた良くなかった。

「あの方は伯爵家のご子息ですのよ。あなたごとき下女が親しくしていいような方ではありません。自覚なさいませ!」

 親しくするなと言われても

「…仕事ですから」

「仕事を超えてますわ! これだから下々の者は。殿方に色目を使ってお仕事を得るだけでなく、愛人の座にでも納まるおつもりなのかしら」

 いきなり飛躍した展開に、アーレの頭は追いつかない。色目を使た? 愛人??

「あの方にはふさわしい方がおりますの。下品な目で身分のそぐわない方を誘惑しないでくださいませ!」

 ここまで言われて、ようやくピンときた。

 「ふさわしい方がいる」…つまり、婚約者がいる、と言うことか。

「…ああ。それは…気がつかず…」

 そんなこと、全く考えも及ばなかった。


 そう言えば、貴族社会には、幼い頃から婚約者をあてがわれている者が多いと聞く。アルトゥールにもそういう人がいるなら、手厚い送迎を受け、親しく話をしている自分のことを見るなり噂で聞くなりすれば、きっと不快に思うだろう。

 それが、この黒髪の令嬢だとすれば…。

 このような人前で恥ずかしげもなく激高するのは当然。むしろ、自分の立場を守るため、懸命に戦うだろう。

 これは、正当な怒りなのだ。こんな人が多いところで怒らせてしまったことを申し訳ない気持ちになった。

 自分が謝らなければならない。

 アーレは居住まいを正し、スカートをドレスを裁くように手に取り、膝を深く折って礼をした。

「大変申し訳ございませんでした。アルトゥール様のご婚約者の方であるとはつゆ知らず。わたくしの無礼の数々、ご心配をおかけしましたことを、お詫びいたします」

 急に礼儀正しくなったアーレの態度に、令嬢が荒々しく振っていた扇が止まった。

「わ、わかればいいのよ」

 「わかればいい」、つまり今の謝罪が正解で間違いない。

 アーレはさらに謝罪の言葉を重ねた。

「一時雇いの身とは言え、今しばらく現在の仕事を続ける必要がございます。王命によりますので、仕事を辞めるわけにはいきませんが、決して、ご心配に及ぶようなことはございません。いつもアルトゥール様には良くして頂き、感謝しております。お嬢様に誤解を招きましたこと、改めてお詫び申し上げます」

 意を決すると、弁解の言葉がするすると口から出てきた。世話になっている分、アルトゥールに不利なことになってはいけない。思ったのは、ただそれだけだった。


 自分でも判っていた。誤解されうる近さがあると。それが標準的な貴族の、女性に対する接し方なのか、自分の思い過ごしなのかわからなかった。

 しかし黒髪の令嬢にそう言われて、自分だけじゃない、世間一般から見ても自分たちの距離が近すぎるのだと改めて思い知らされた。

 人と関わることなく過ごしてきた自分の距離感のなさのせいだ。

 もう一度深々と礼をして、その場を立ち去った。

 垢抜けない下働きの農民にしか見えないにもかかわらず、さらりと詫びの言葉を吐き、農民らしからぬ丁寧な所作に周りがざわついていたのにも、アーレは全く気がついていなかった。

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