第6話 おまじない

 次の日、アーレは自分の畑の世話に取りかかった。

 昨日はもらった牛乳を使ってスープを作り、まだ残っていた牛乳で今朝は久々にミルクティを飲んだ。もう味さえも忘れそうなほど、懐かしい味だった。

 おかげでずいぶん元気が出た。


 かなり高額の臨時収入が入ることになったとは言え、手にしていない物を当てにして遊ぶ気にはなれない。

 日曜・月曜と収穫した魔法の実は、そろそろ一畝空くところだ。

 実のとれなくなった茎を抜いて、次の植え付けの準備をする。

 ほどよく実った野菜も収穫。

 森に行って、いつものところからボロボロになった葉っぱの土をもらってくる。

 ノラ鶏にちょっと野菜の葉っぱの切れ端をあげて、運が良ければ転がってる卵をもらいたかったが、今日は見つからなかった。

 午前中をかけて、次の植え付けに備えた土も何とか鋤けたので、お昼休みを取る。

 午後からは写本をする。

 明るいうちに繕い物も済ませ、夕食の準備も終えて、暗くなったらできるだけ明かりを使わないでいいように早めに寝る。

 毎日繰り返してきた、当たり前の一日。

 昨日みたいに、人に囲まれて話をして過ごすことなど、週に一度の市以外ほとんどなかった。

 金貨があれば、ろうそくもたくさん買える。少しくらいなら夜更かしできるかも。でも金貨を出してもきっと売ってもらえないから、銀貨くらいに替えなければ。

 両替の仕方はよくわからないが、受け取るときに希望を言えばきっとアルトゥールが何とかしてくれるだろう。

 自分は何も知らない。両替の方法さえも…。

 王城の農園勤めは、楽しみでもあり、それ以上に不安だった。


 二日後、家を出てそう歩かないうちに、小さな荷馬車が止まっていた。

 馭者台にはアルトゥールがいて、いつもの制服姿ではなく白いシャツ姿で待っていた。

 前より遅い時間で大丈夫、と言っていたにもかかわらず、二の鐘も鳴る前から、待ち合わせ場所よりずっとアーレの家の近くにいる。

「持っていくもの、あるか?」

 アルトゥールの制服の上着は荷台にあった。上着を脱いだだけで平民っぽく見える。

 荷馬車は農場で借りたもののようだ。人が乗るような感じでもないので、自分の鞄と鍬を乗せてもらい、放り投げるように置いていた上着を軽くたたんで、端に寄せた。

 自分よりさらに早起きしたと思われるアルトゥールに井戸の水の入った革袋を渡すと、軽く礼をして二口ほど飲んだ。

 手を差し出され、馭者台に乗せてもらって、王城の農園まで。大した高さでもないのに、乗るくらいで手なんてちょっと恥ずかしいが、相手に合わせることも必要だ。

 なんだか、田舎の農家の二人連れと言った風情で、いつもは身なりを整えている王城勤めのお兄さんには申し訳なく思えた。

 馬に二人乗りで向かった時とさほど変わらない時間で農園に着いた。


 着くとすぐに魔法の実を植える予定の畝に向かった。

 魔法の石を除いて三日。靴を脱ぎ、素足になって畑の中に行く。

 近くに置いてあった農園の鍬を握り、くるぶしまで足を土に埋めるが、この前のような痛みはなかった。自分の足は殊更土に関しては敏感だ。土が良い土だと教えてくれる。

 両手を肩の高さに伸ばし、じっと目を閉じること十秒ほど。

 …なんか違う。

 首をかしげて手を下ろし、土から足を抜いた。

 畑の脇に戻ると、持ってきた自分の鍬に持ち替え、もう一度畑の真ん中に行く。

 足を土の中にうずめる。

 そして、両手を肩の高さに。

 左の手のひらを軽く天に向け、鍬で地面を突く。

 アルトゥールの目の前で、突いた鍬の柄からほんの一瞬、大地にかすかな光の輪が広がった。

 ほとんどの者は気がつかない程度の光だった。アーレ自身も気づいていない。

 見ていたアルトゥールでさえ、錯覚かと思った。かすかで、わずかな光なのに、地面が光で潤う。

 遠くを見ながら、少し笑みを浮かべたアーレは、いつもと違い、少し近寄りがたい威圧感のようなものを感じさせた。

 それも一瞬で、

「よしっ」

と息をついて腕を下ろしたアーレは、いつものアーレだった。

「…今のは?」

「ただのおまじない」

 そう言うと、足を土から抜き、軽く払って靴を履きながら農場のヨハネス達が来るのを待っていた。

 植え付ける苗の準備をしていたヨハネスも、あの光に気がついた一人だったが、特に何も言わなかった。


 人が集まり、植え付けが始まった。農園の者に混じり、アーレもアルトゥールも苗を植える。

 経験がなく、初めは遅れを取っていたアルトゥールも、すぐに要領を覚えると手際よく植え付けていった。

 ほくほくに耕された畑の土に植えられたのは、魔力の実、体力の実、滋養の実の苗。

 アルトゥールがアーレに依頼した三百個がとれるかは、育ててみなければ判らないが、この量なら充分その可能性はある。

 根が土になじむよう水を撒き、午前の仕事は終わった。

 アルトゥールは午後は別の用がある、とのことだった。

 アーレは午後は他の畑を手伝い、帰りにもう一度植えた苗の様子を確認していると、アルトゥールが戻ってきた。早く帰るなら別の人が送ってくれることになっていたが、結局今日もアルトゥールに送ってもらうことになってしまった。全く知らない人よりは安心できたものの、忙しそうなのに自分のために時間を取るのがちょっと悪いような気がした。


 人通りの少ないところで馬車の御し方を教わり、まっすぐ走らせるくらいならできるようになった。

 カーブもないので、しばらく任せてもらっていると、揺れが心地いいのか、アルトゥールがこくり、こくりと居眠りを始めた。

 自分を迎えに来るために、自分以上に早起きをしているはずだ。

 アーレはそのまま速度を保ちながら馬を進めていった。

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