第5話 王城の農園

 次の日は少し早起きして、待ち合わせの場所まで歩いて行った。

 早めに終わるかも知れない。城下町まで行くなら買い物もできるかも。それを期待して、少しお金を持っていく。

 水の入った革袋と、一応見本代わりの魔法の実を数個と、種も少し。あとタオルと、…


 準備をしながら、何をしているんだろう、とアーレはため息をついた。

 昔から、できるだけひっそりと暮らすよう言われていたし、そう心がけてきた。それなのに、昨日も出かけ、今日も出かける。しかも、今日は見ず知らずの男の頼みを受けて。

 相手は王家に関係ある職に就いた名のある家の者だろう。関わったところでそうそう続く関係とも思えない。恩を着せるほどには、自分に大した技術力があるわけでもない。そもそもあの冷静で強引な態度に好感は持てない。

 軽い人助け。お得意様、と言う範疇に無理矢理入れて、サービスの延長だと、割り切るしかない。


 鐘も遠くにしか聞こえない、道の他になんの目印もない待ち合わせ場所で、二の鐘までまだ時間があるというのに、その人は待っていた。

 今日も馬に乗っていた。農民のために馬車を出すことはないだろうとは思っていたものの、二日も連続で馬にまたがることになろうとは。しかも、男と二人乗りで。

 ロバが飼えたらなあ、とアーレは今さらながら溜め息をついた。

 一日。たった一日。我慢できないこともない。

 初めはそう思っていた。

 しかし、普段見ることのない見晴らしのいい高さ、天気もいい。風も穏やかで、こだわりを捨てれば悪くない散歩道だ。後ろの男が、こんなのでなければ。


 こんなの、と表現はしてみても、別段強面でもなく、仏頂面でもない。さほど表情豊かではないものの、人間としてみれば、普通の顔だ。栗色に近い髪は短くこざっぱりとしていて、紺色に近い深い青の瞳。制服が似合う「お兄さん」は、口をきかなければモテるかも知れない。アーレの範疇ではなかったが。

 二人も人間を乗せた馬を疲れさせないためだろう。せかすことなく、途中短い休憩も入れて、一時間ほどかけて王城の裏手にある農園に着いた。

 道中は特に話をすることもなく、周りの景色を楽しんでいたが、いざ到着すると、妙な緊張感が湧いてきた。

 なんせ、アドバイスしろと言われているが、出迎えた人も、その先にいる人も皆自分より年上で、物を育てることに関してはずっと熟練した皆さんだ。それも王様に乞われて働いているような、腕の立つ人たち。とてもではないが平民の小娘の指導を受けたがってるとは思えない。

 改めて、来るんじゃなかった…。漏れそうになる溜め息を何とかごまかし、農園へと入っていった。


 きれいに耕された、自分の畑とは比較にならない広さの農園。

 様々な野菜がきれいに生えそろい、季節ごとの野菜を途切れさせることなく王に提供するためにきっちりと管理され、大切に育てられていることが、見ただけでわかる。

 そんな中で案内されたその場所は、試験的に一畝ごとに植え付けを変えて育成具合を試しているように見えたが、どれも弱々しく、今にも枯れそうになっていた。恐らく試しているのは昨日、今日ではない。


「ようこそお越しくださいました」

 既に畑に入っていた男が近づいてきた。

「ここを管理しています、ヨハネス・ホフマンと申します。お恥ずかしい限りです。魔法の実を植えた経験のある者が少なく、人聞きに聞いてやれることはやってみたのですが…」

 アーレは、ヨハネスに軽く会釈をすると、すぐに土に触れた。

 黒々とし、ふわふわと軟らかい土は、丁寧に鋤かれていることが判る。

「土は、他の野菜と同じですか?」

「少し変えてますが、基本は同じです」

「これから耕すところがあれば、見せて頂けますか? あと、種と、水と、…あ、こちらどうぞ」

 アーレは、持ってきていた魔力の実、体力の実、解毒の実をヨハネスに渡した。

 周囲から

「おおお、」

と声が漏れた。

「魔力の実だ…」

「これは立派な」

「ガルトナー殿が持ってきた物と同じだ」

 なるほど、この男は買った物をここにサンプルとして持ってきていたのか。実際に育てた物を見ているから、それを育てた者が例えこんな小娘でも受け入れ、話を聞いてくれるのだ。

 アーレの中で少しアルトゥールの評価が上がった。


 土を作るところを見たが、アーレが普段使っている以上に適切に施肥されている。種も、どこから手に入れたのかは判らないが、状態はいい。

 魔法の実は、自分の経験では、冬を除けば特に何もしなくてもいつでもそれなりに実る。

 よりよい実をつけたければ、それぞれの実ごとに旬もありはするが、あまり考えなくてもいい手軽さが、アーレは好きだった。

「あなた様の畑では、どのように?」

「うちは…ここ以上に大したことはしてないです。森が近いので、森にある腐葉土を漉き込んで、北側の岩場の石の粉を入れて、鶏の糞も入れてます。…周りの家が飼ってたんですが、逃げて野生化した鶏がいまして…」

「ここでも鶏を飼ってますよ。卵の殻も使ってます」

「卵は滅多に手に入らないので…。いいですね。時々角細工のお店から出る粉をもらってますけど、最近は手に入らなくて…」


 鶏をはじめとした家畜小屋にも案内してもらった。

 ここは小規模で、別に農場があって、そこで多くの家畜を飼育しているらしい。

 野菜だけではない。王城庭園の花の管理も担っていると聞き、それができるだけの物が揃っている。

 それなのに、育たない魔法の実。アーレにもどうしてなのかわからない。


 これから魔法の実を植える予定と聞いた、鋤いた土地に戻る。

「入ってもいいですか?」

 了承をもらって、靴を脱ぎ、裸足になった。

 皆、その様子を見てきょとんとしている。

 畑の中央まで行き、足で土をほぐす。そしてくるぶしまで土に足をうずめ、ゆっくりと両手を肩の高さまで伸ばし、指先を伸ばそうとしたその時、

「いたたった!」

 叫ぶや否や、土から足を出し、土を払いながら畑の外に出た。

「石でも踏まれたので?」

 座り込んで自分の足の裏を確認するアーレに、案内をしてくれていたヨハネスと、ずっとついてきていたアルトゥールが寄ってきた。

「畑の中、変な物、入ってません?」

「変な物?」

 一同、首をかしげた。

 アーレの足には特に傷はなかったが、少し赤くなっていた。

「石とか。尖ってないんだけど…、変な…、魔法石とか…」

「ああ。入ってます」

 近くにいた、別の男が言った。

「魔法の実を植えるときには、魔法石を入れておくもんだと聞いてきた者がいまして。まさに試していたところ…」

「取ってください、今すぐ!」

 畑に魔法石を入れること自体は、そう珍しいことでもなかった。効果は薄いが、育成の補助、害虫の防御などにも使うことはある。しかし、

「魔法の実は、その茎にも葉にも種にも魔力が含まれています。その魔力と魔法石の魔力が相克されて育たないんだと思います」

「…なるほど」

「まずは取りましょう。取って試しましょう」

 アーレは足の土を軽く払うと、そのまま靴下を履き、靴も履いて農場の人たちと共に、土の中に埋め込まれた魔法石を掘り出していった。

 結構な量の、様々な魔法石が埋まっていた。

 今育てている畝にもあり、特に魔力の実を育てているところに魔力の石を置いてあるものは、ほぼ枯れかかっている状態だった。

「同じ魔法だから、肥料になるというわけじゃないのか」

「いえ、むしろ邪魔してます。育とうとする魔法の種に、同種の過多な魔力が影響して、…それでもここまで持ってるのは、土がいいからかなあ…」

 アーレは弱ってうなだれている苗をそっと撫でた。

 恐らく数日で枯れてしまうだろう。もったいないが。


「…ここのしおれてるのはもう駄目かも知れませんが、他はきっと大丈夫です。後は健闘を祈り…」

「お嬢さん!」

 いきなりヨハネスに手を握られ、アーレはぎょっとした。

「この植え付けを逃すと、もう間に合いません。お願いです。今しばらく、今しばらく我々と共に、この苗が育つところを見守って頂けませんでしょうか!」

「お願いします!」

 周りにいた数人の農園で働く人たちも、一斉に頭を下げた。

 そんなことを言われても…

 畑の質はいい。人もいる。設備もある。原因も分かった。後は何とかなる、自分がいなくても。

 そう思うのに、周りのこの期待の目は何なんだろう。


 腕組みをして様子を見ていたアルトゥールが、そっと背後に寄ってきて

「ひと月手当、金貨一枚」

とささやいた。

 思わず振り返る。

「週二日出勤、もちろん自分の家の畑優先でいい。他にも希望により現物支給あり。…卵とか」

「卵! …、…殻?」

「何で殻…。当然中身入り」

 肥料じゃない。

 何という魅惑の申し出。

「農場のベーコンなんかも、頼めば手に入るかも」

「べ、べべべ、ベーコン」

 ベーコンなど、いつ食べたきりだろう。

「是非、ご検討ください。本日も牛乳をお持ち帰り頂きましょう!」

「ぎゅ、牛乳!!!」

 キラキラと目が光る。

 周りの者が、笑顔を見せる。

 その中で、一人、腹黒い笑みを浮かべた男が言った。

「返事は?」

 即答しそうなところで、何とか踏ん張った。

「期間は?」

「三ヶ月」

「天気が悪くても、育たないし」

「出来不出来は不問」

 思わず目を見開いた。そんな、好条件すぎる…

「途中で都合が悪くなっても…」

「応相談。…出勤は今日よりもう少し遅い時間でもいいんじゃないかなあ…」

 アルトゥールがそう言ってヨハネスに視線を動かすと、

「大丈夫です!」

と、即答した。

「…お返事はいかほど?」

 より優しい口調なのに、よりいやらしく聞こえるのは何故だろう。

「よ、よろしくお願いします」

 何故か敗北感を感じながら、三ヶ月間の高給にわかバイトが決まった。


 その日は夕方まで農園にいて、牛の乳搾りまで体験させてもらい、三ヶ月間のバイトの契約書を受け取って家路についた。

 契約の時に、後見人がいるけれど適当にやっておく、と言われて、了解した。

 面倒なことは雇いたい側が何とかするだろう。

「できれば、荷馬車でいいので、馬車をお借りできたら…」

「次までに検討しよう」

 にべもない返事で、その日の帰りも二人乗りだった。

 馬が可哀想、と思ったら、行きとは違う馬だった。さっき、世話になった行きの馬に野菜の葉っぱをあげたばかりだったので、見分けがつく。

「ほら、私が重いから、馬だって疲れて交代…」

「朝のは借りていた。これは俺の馬だ」

 どんな馬だって乗りこなせる有能なお兄さん、と言うことか。

 夕暮れの街を抜け、人気のない静かな道を馬が歩いて行く。星が出てきて、相手が相手なら、それは多分ロマンチックな光景なんだろう。


 家に着く頃にはすっかり暗くなっていた。こんな時間に家の外にいることはまずない。

 朝待ち合わせをした場所まで着き、礼を言って降りようとすると

「ここから家まで何分だ?」

と聞かれた。

「あ、えっと、すぐ近く」

「何分」

「すぐそこ…」

「数字で」

「…十五分、くらい?」

 ちゃんと返事したのに、いや、ちゃんと返事をしたからこそ、そこに置いておけなかったのだろう。

 さらに家の近くまで送られ、馬を下りてもまだついてきた。

 家が見えてくると、

「中に入って鍵を閉めるまで見とくから」

と言って足を止めた。

 背負っていたアーレの荷物もそこでようやく返された。

 これが「ちゃんと送る」ということだ。

「…ありがと」

 お礼を言って、走って家に入った。

 一応鍵はあるが、鍵をかけてもかけなくても、大して変わらない程度の家だった。


 かすかに明かりがともるのを見て、アルトゥールは周りを見た。

 家に、誰もいない?

 小さな畑は、家に近い方には作物が植えられていたが、隣家に近い方は雑草が茂り、若木が生えていた。

 少し離れたところにも家はあったが、そのどこにも、人の気配がない。

 あまりに静か過ぎる集落を見て、アルトゥールはアーレがここで一人で暮らしていることを知った。

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