Agri-Witch

河辺 螢

第1話 森の中の畑

 ノラ鶏の声で、目を覚ます。

 今日も天気は良さそうだ。


 アーレは寝台から起き上がると、さっと身支度を済ませ、家の前にある畑に向かった。

 この森の中の畑は、以前はこの集落四軒の家で管理していたが、みんな森を離れ、今ではアーレ一人が家の前の区画だけを細々と耕している。

 森の中にあるので、周りは木に囲まれている。天気が良くても、どうしても朝日は遅く、夕日は早い。木陰から昇って、木陰に沈む。それでも植えたものがすくすくと育っているのは、ここの土壌がいいからだろう。


 周りの森には木の葉の腐った物がたんまりとある。それを畑に蒔いて鋤き合わせる。北の岩場にある石の粉も時々入れてみる。昔、奥の家で飼っていた鶏が家を離れる時に森に放たれ、すっかり野生化して森の奥で自由に暮らしている。その巣の近くにある鶏糞も一緒に漉き込む。

 漉き込んで一週間ほど、置いておく。

 柔らかくほぐされた土がいい具合に落ち着いてくると、そろそろ植え付け。

 植え付ける前に、大地に祈りを捧げる。これが大事、らしい。誰から教わったおまじないかは覚えていないけれど、両手を広げて、鍬で地面をトン、と突く。

 よし。

 時には苗を、時には種を直接植え付ける。よほど寒い真冬以外なら、大抵これで何でも育つ。


 野菜の多くはアーレ自身が食べるために作っていたが、余った野菜は週に一回、歩いて二時間ほどの街の市へ売りに出す。自由参加できる市はアーレにとって貴重な収入源であり、買い物をする機会でもあった。その週に取った収穫物を選りすぐり、できるだけ朝一番で取ったものを多くして、野菜や魔法の実でいっぱいになったリュックを背負い、街まで出発!


「とれたての魔力の実はいかがですかー。体力の実、治癒の実、滋養の実。キュウリにインゲン豆、タマネギもありますよー」

「おお、アーレじゃないか。今日もよく育ってんなあ」

 顔見知りになったお得意さんも何人かいて、ありがたいことに全然売れないということはない。

「今日はインゲン豆とタマネギ、体力の実を頼もうか」

「ありがとうございます」

 用意していたお手製の紙袋に包み、代金と引き換えに商品を渡す。ちょっとおまけも入れて渡すと、

「こっちこそ、ありがとよ」

とお礼を言われ、笑顔に笑顔で返す。


 洞窟から魔法石が取れるようになり、魔法の実の需要は下がる一方だ。

 十年ほど前、森の向こうにある山の洞穴に竜が住みつき、以来竜がいる洞穴とつながっているあちこちで魔法石が見つかるようになった。運が良ければ魔物に当たらず、運が悪くても雑魚い魔物を退治すれば魔法石が手に入る。

 何の石が手に入るかは運次第ながら、魔法の実と違って魔法石は腐ることがない。

 魔法の実は何を育てるか選ぶことができるものの、効き目は穏やかで、実って数日放っておくと腐ってしまう。携帯に便利で腐る心配のない魔法石の方がよっぽど実用的で、重宝がられるのも無理はなかった。

 売れない物を育てる人はいない。魔法の実を専門に育てていた魔法農家は他国へ移住し、この国で魔法の実を育てる人はいなくなっていった。

 洞窟が見つかる前は、魔法の実を作れる魔法農家は貴重がられていたらしい。でも、これも時代の流れ。

 今日も魔力の実と滋養の実が売れ残っている。

 いよいよ野菜作りに転化した方がいいのかなあ、とも思うものの、野菜を専門に作っている人達ほどうまく作れるわけでもないし、畑の規模も小さい。アーレ一人が生きていく程度に稼げれば充分だ。自分が食べるには不自由しない程度に自給自足できてる。

 それに、中には鉱物の魔法が体に合わない人や、魔法石から魔法を取り出せない人、単に魔法の実が好き、と言う人もいるので、誰も作らなくなるとそれはそれで困る人がいる。そんな人の役に立てているのなら…


 ふと、魔力の実が目に入った。

 アーレには魔力がなく、魔法を使うことはできなかった。

 体力の実や滋養の実なら食べることはあるが、魔力の実も魔力の石もアーレ自身には縁遠く、魔力の実は完全に「売り物」として栽培していた。なので、売れ残っても持って帰ったところでどうしようもない。

 どうしようかと考えていたところに、お客さんがきた。

「アーレ!」

「クラリッサ、いらっしゃい」

「魔法の実、まだある?」

「あるわよ」

 クラリッサは、この町に住む商家のお嬢さん。

 一度、街の祭りの出店でアーレの魔法の実入りのスープを気に入ってくれ、以来仲良くしている。

 クラリッサの祖母もまたお得意様の一人で、魔法石よりも魔法の実の方が体になじむ、と時々お買い上げ頂いている。まだ会ったことはないけれど。

「アーレのところの魔法の実が一番だって、おばあさまが言うのよね。私も、あなたの作る魔法の実、好きよ」

「ありがとう。…日持ちしなくて、すぐ腐っちゃうんだけどね」


 腐るのもさながら、魔力の実などは魔法を使う仕事でもしていない限り、日常生活で食べなければいけないようなこと自体がそう多くない。魔力が不足していない時に食べても害にはならないが、やはり魔力が足りない時にこそ補給したい。だからこそ、日持ちがし、持ち運びも便利な魔法石が支持を得るのもよくわかる。

 一応は商売敵なので褒めていては駄目なのだけど、アーレはそもそも魔法石と自分が作る魔法の実が張り合えるなんて思ったこともなかった。


 アーレ自身、いつまで農業を続けるのかわからない。

 家から出るのは週一回のこの市くらいで、自給自足の一人暮らしの農民。

 出会いの機会などほぼないけれど、いつか素敵な人に出会えたら、恐らくあんな森の中の小さな家に住みたがる物好きなんていないから、あの家も畑も手放すことになるのだろう。それくらいの覚悟はあった。さりとて、他に特に何の才能もなく、畑を耕す以外に自分が生きていく方法はないように思えた。

 これからのことなんて、少なくとも憧れる程度でもときめく人に巡り会ってから考えればいい。


 アーレは売れ残りをリュックに戻し、店じまいをすると、なじみの店が並ぶ通りへ向かった。

 今日の儲けで、パンやチーズ、少しばかりお肉も買ってみることにした。

 売れ残りの実をパン屋さんのジョゼフと肉屋さんのトールにあげたら、少しおまけしてくれた。

 新しい靴下も欲しいけど…まだ繕えば何とかなる。今日のところは我慢した。

 そして、2時間かけて家に帰る。

 森の日暮れは早いけど、日暮れまでには帰れるだろう。

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