精霊は時を戻した

一人きりになっても、時は過ぎてゆく。


 手袋の先を眺めていると、クラスメイトの陰口が耳に入る。


「あんなのが、未来の王太子妃だなんて」


「魔法が使えないんだったら、せめて座学でも頑張ったらいいのに、異世界人にさえ負けてるんでしょ」


「ほんっと、いい恥さらし」


 雑言は気にならない。

 ただ、全く会ってくれなくなったマキシムのことだけを思う。

 なぜ、会ってくれないの。


 いつもマキシムが、ヒナコ達とランチを食べている中庭の前をわざと通ってみる。

 ヒナコがなにか言うと、みんなで楽しそうに笑う。


 私のことは誰も見ない。

 私を見て、私を。

 私のマキシム。



 授業をさぼって生徒会室に来てみる。

 誰もいない。

 そうっとドアを開けた。

 初めて入る部屋。

 生徒会長の椅子。


 ここにマキシムが座っているのね。


 テーブルの上には揃いのマグカップが5つ。一つだけ色が違う。ピンク色。

 きっとこれは、いつも手伝いに来るあの黒髪の女のもの。 

 手にとって床に投げつけたい衝動にかられる。


 だめだ。


 手袋を掴んで指を握りしめる。

 痛くなるように。

 この気持ちから逃げられるように。



 しばらくそうして立っていると、部屋の外から足音と話し声が聞こえてきた。

 とっさに壁とロッカーの間の隙間に滑り込む。

 こんなに狭い隙間に入れるのは私くらいね。

 頭の後ろに硬いスイッチが当たる。


 このスイッチがあるから、わざと隙間を開けてロッカーを置いたのかしら。

 押さないように首をずらしていると、

 話し声が近づき、ドアが開けられた。


「ああ、もう、疲れたぁ」


「いや、ヒナに怪我がなかったからいいものの、階段から突き落とすなんて酷いことするな」


「犯人は、また、カンザート公爵令嬢だろう。殿下、放置しておいてよろしいのですか」


「あの令嬢は王太子妃の座を狙ってるのでしょう。フェミア嬢があの調子だから、自分にチャンスがあると勘違いをして」


「何とかしようとは思っているのだが、カンザート公爵は隣国とのつながりも太くてな。ヒナコに怪我がなくてよかった」


 マキシムと生徒会役員とヒナコが話をしているようだ。

 ヒナコは、カンザート公爵令嬢とその取り巻きから嫌がらせを受けているみたいね。

 すこし、気分がいい。



「それより、あの素晴らしい魔法を教えてください。転落した瞬間に、マットのようなものが出現したのが見えました!」


「ああ、これね。マットレス魔法。ここの制服はさ、足首まであるじゃん。絶対いつか階段で転ぶと思って、開発しといてよかった。日本でも超ロングスカートが流行った時に、よく、階段で裾を踏んで転びそうになったんだよね~」


 女の甲高い声笑い声が、ロッカーの後ろにも響いてくる。

 雑音を無視して、マキシムの声だけを拾いたいのに、どうしても耳に入ってくる。


「でもさ、フェミちゃんは、ほんっとやばいと思う。今日もさ、昼休みに、こっちのことじっと見つめてたじゃん。もう、なんか目が怖い。病んでるよ。病院連れてった方がいいって」


 ! あの女がマキシムに私の話をしている。


「本当ですよ。彼女に王太子妃なんて重責は務まりませんよ」


「まだ、陛下は婚約解消を許可してくれないのですか?」


「ああ、父上は、妖精の血を王家に入れることにこだわってる。王宮に閉じ込めて、子供を産ませるだけで良いと仰せだ」


「ひっどぉいー。女を子を産む道具だと思ってんの?もう、この世界遅れてるよ~」


「ではヒナコが私の隣で、それを変えてくれないだろうか」


「えっ」


 思わず声がもれ出てしまった。だけど、同時に同じ声を発した女の声に消された。


「私は、ヒナコの新しい知識を好ましく思っている。ヒナコとならこの国をより良くできると思っている」


 うそ、うそ、うそ、うそうそうそうそうそ。


 両手で口を押さえている間に、頭の中にはマキシムの声がぐるぐる渦を作っていく。


「うそっ、マキシム。わたし、嬉しい」


 耳も、耳もふさがなきゃ。ああ、手が足りない。




「ですが、陛下とローデグリーン令嬢はどうします。殿下」


「フェミア嬢は、もう、限界でしょう。同室のヒナコ嬢の物を壊したとか」


「うん、私の机に飾ってた、映像魔法で撮ったみんなとの写真をハサミで切られちゃたのよ。怖くて、すぐ部屋を変えてもらったんだけど、もう、ホント、病院連れてったほうがいいよ」


「そうしたいのだが方法がなくてな」


「じゃあ、こういうのはどう? 日本でよく読んだ小説ではね、悪役令嬢が卒業式で断罪されるの」


「写真を切った罪でか?」


「それだけだと弱いから、階段から突き落としたり、ならず者に殺人を依頼した罪で」


「いや、それはカンザート公爵令嬢の仕業では?」


「嘘も方便だよぉ。それでフェミちゃんが治療受けられたら万事オッケーだって」



 もう、何も聞きたくない。何も、聞きたくない。聞きたくない。



 気がついたら、真っ暗になっていた。隠れ場所から出てきても、部屋には誰もいない。


 部屋の奥の窓から見えるのは細い爪のような白い月。

 もっとよく見たくなって、窓を開けて、広いテラスを歩いた。


 びゅーっと、強い風が吹いた。

 後ろから。

 後押しをしてもらっているようで、私は、


 テラスの脇の机に登り、

 柵を乗り越え、

 暗闇に飛び込んだ。




 衝撃はなかった。


 空気の塊の上に私は落ちた。


 もう一人。私の腕を掴む白い長髪の男の人。


 違う、ヒトではなく。


 暗闇でも光る紅い瞳で、私を見つめるのは、美しい姿をした精霊だ。


 初めて見るのにも関わらず、精霊だと何故かわかる。この世界のヒトが私を妖精だと感じるように。

 違うのだ。


「君はさ、飛び降りたぐらいじゃ死ねないよ」


 その美しい精霊は美しい声で、憎たらしいことを言った。


「降ろして」


 久しぶりに出した声はひび割れて、醜かった。この美しい精霊に聞かれるのは恥ずかしかった。


「いいね。その歪んだ絶望感」


 精霊は私のもつれた髪を撫でて、結んでいたリボンを解いた。今の私の髪は蛇の髪を持つ地獄の醜女のように醜いだろう。この美しい人の前に、これ以上存在するのは耐えられなかった。


「妖精は美しいものを愛する。精霊は歪んだ心に惹きつけられる」


 歌うように美貌の精霊は告げ、私の顎を持ち上げた。


「とはいえ、精霊も美しい容姿を好むものだ。では、時を戻そう。その忌々しい禁忌魔法を使う前に」



 そして、私は禁忌の成長魔法を使うことになったマキシムと出会う前に巻き戻ったのだ。

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