食器を洗う音

マツ

食器を洗う音

 小学生の頃、母と父は夕食どきによく喧嘩をした。父は決まってモノに当たり、投げつけたりはしなかったけど、ビール瓶の底を食卓に打ち付けたり、拳で壁を殴ったりした。狭い家だったから、音はとても近くで響いて私を怯えさせた。怒りを持て余した父はたいてい家を出ていき、母は母で行き場のない感情を食器にぶつけた。お皿もお茶碗も割れてしまうんじゃないかと思うくらい乱暴な音をたてて洗いはじめるのだった。その音を、受け止めることも聞き流すこともできず、いたたまれなくて家を出てしまいたかったけれどできなかった。怖くて体がこわばって動けなかったからかもしれないし、そんなことをすれば父の後を追いかけるようなかたちになってしまい、母からは私が父の味方になったように見えて、彼女を孤立させてしまう、それはしちゃダメだ、と本能的に感じ取っていたのかもしれない。あのとき、母はだれに対し怒っていたのか。理不尽な父に?その理不尽さに対し、どうすることもできない自分自身に? それとも、その様子を眺めるだけで何もしてはくれない、いや、何かをしてもらおうなんて母として望むことの許されない、私に? 自分の部屋なんてなかった私は外に逃げ出さないのならそのまま居間にい続けるほかなくて、母が洗い終わるまで、食器と食器がぶつかる音を、聞き続けなければならなかった。




 夫は私に背を向けじっとテレビを見ているが、私のことを気にしているのは背中のかたちのぎこちなさでわかる。私はおかしくなる。腹立ちはすでにおさまり、子どものように小さく見える夫が、愛おしくさえ思えた。私の怒りは、あのときの母親の怒りとはずいぶん違う。あの怒りには、もっと根が深くて、排水溝を覗いた時のような先の見通せない暗さがあった。もしかすると母は、誰かにではなく、何かに怒っていたのかもしれない。あの頃は、妻という役割や母という役割が今以上に重くのしかかり、しかもそのことに対する疑問を表明するための言葉が、ほとんど出回っていない、そういう時代だった。そう考えると母は、怒りを私にぶつけたのではなく、言葉以外の手段で、私とわかちあいたかったのではなかっただろうか。なぜなら、私は幼かったとはいえ、あの家でただひとり、母と同じ女だったからだ。

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食器を洗う音 マツ @matsurara

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