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「お邪魔します」

「誰もいないからそんな猫かぶらなくていいのに」

「礼儀は通すわ」

「それより、荷物そこら辺に置いて、こっちこっち」


 狭くて短い廊下を抜け、リビングに出ると、彼女は背負っていたリュックを放り投げ、右手に見えていたドアを開けた。どうやらそちらが作業用の部屋らしい。中に大きなモニタが三枚と、それにキーボード、マウス、タブレット、それからコントローラーとパソコン用の機材が見えた。


「モデル、だけなんだよね?」


 部屋に移動した美波を椅子に座らせた須藤紅音は「そうだよ」と能天気な返事をしながらも、何故かモニタの上に付けられたウェブカメラの位置を調整している。三つある画面はそれぞれに起動中のマークが表示され、左から順にデスクトップ画面に切り替わり、やがて三つでワンセットになった何とも派手なピカソを思わせるペンキ画が現れた。


「ちょっと待ってね」


 紅音は更に彼女の拳ほどもある大きなマイクを美波の前に持ってくる。それは電源を入れると一瞬ぶんと音をさせ、それから七色に光った。


「これ、かっこいいでしょ。最新のやつなんだよ?」

「あのさ」

「あー、まだ何も言わないで……音量バランスどうだろ」

「だから」

「うん、大丈夫かな。美波ちゃん、そんな叫ばなさそうだしね」

「須藤さん」

「何?」


 モニタの左右二つにはブラウザが表示され、中央のものにはファミレスで見せられた青い髪のCGの少女が現れた。ファミレスのそれはバストアップだけだったが、今目の前に映っているものは全身ある。それが紅音のマウス操作の後で突如動き出した。CGの顔が怒っている。それは明らかに今の美波の表情だった。


「モデルって話は?」

「だから……モデルじゃん?」

「いやこれモデルじゃなくて完全に中の人でしょ? モデルというのは外側の話で、写真を撮影したり、動きのデータを取ったり、そういうことを意味すると思うんだけど?」

「じゃあ訂正。中の人やって」

「いや」

「なんで?」

「私は目立ちたくないの。あなたみたいにはならない」

「あたしみたいって?」

「見たままよ。天才って騒がれたばっかりに普通の人生を歩めなくなってる。あの頃同じクラスにいた人たちは今みんな高校に通っているわ。おそらく大半はそのまま大学に行って、就職して、結婚して家庭を持って、そうやって生きていく。けれどあなたの今の人生はどう? 一歩先のこともよく分からない、行き先の分からない地下鉄に乗っているようなものじゃない。私はそんなものに乗る気はないの。小学校の時に注意したでしょう? そのままじゃ困るって。今困っているからこうして私に声を掛けたんでしょ?」


 ぽかんと口を開けた須藤紅音は表情を驚きから笑顔に変化させると、大きく両手を開いてそれを叩きつけ、特大の拍手をした。


「すごいすっごーい! やっぱり美波ちゃんって天才じゃん。たった九歳の時にそんな未来のことまで分かってたってことでしょ?」

「誰だってそれくらい分かるわ。みんな、そんなにバカじゃないんだからさ」

「あたしは分からなかった。だから親や先生、大人たちが褒めるままにうかれて、天才だって自分のことを信じ込んで、ここまで来た。別にそれについて後悔はしてないよ。美波ちゃんにどう見えてるかは知らないけど、あたしはあたしの生きたいように生きて、生きたいように死ぬだけだから。その何が気に食わないの? 別にちょっとだけ一緒に遊んでって話じゃん?」


 ずかずかと他人の領域に土足で入り込んでくる。それは小学生の頃の須藤紅音のままだ。


「私はね、あなたのように目立ってはいけないのよ」

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