《四話:僕と凪の関係性について》
僕と豊四季が揉めに揉める様子に辟易した凪が、
「麺屋こうじの昼の部に行きますっ」
と、この街を代表するつけ麺屋の名前を宣言したことで取り敢えずは決着。
時刻はすでに一四時を回っていた。
東口のサイゼリヤ前から、西口の麺屋こうじへと移動する。
ドンキホーテとモディの間の路地を抜け、突き当たりを右に折れる。
しばらく進むと、左手にはJリーグ・柏レイソルのオフィシャルショップが入ったサッカーショップ・カモさん。
今年のユニフォームも格好いいよね、とかそんな話をする。
しばらく真っ直ぐに進むと陸橋が掛かっていて、駅前の混雑を避けながら西口と東口を行き来することが可能だ。
陸橋の上からは東武野田線……通称アーバンパークラインとJR常磐線を眺めることができる。
やはり、東武野田線の少しくたびれた白色のボディは良い。実家のような安心感だ。
車両の入れ替えが徐々に進んでおり、少しばかり寂寥感を覚えているのは、何も僕だけではないだろう。
常磐線については、「居酒屋みたいなものだ」と凪パパが言っていた。
意味が分からなかったが、そのうち分かるようになるらしい。
「柏といえば誉だと思うけどなあ」
「何を言っているの、王道家よ」
「ま、まだ言っているの……?」
凪の辟易もごもっとも、僕たちはいまだに熱い舌戦を繰り広げていた。
「豊四季の言う通り、吉村家直系でありながら、自家製麺を使用したあの一杯は極上この上ないよ? 家系としては文句なしの頂点。まさにキング。舌が痺れるくらいに濃厚なスープを体験したら、もう並みの家系では満足できなくなってしまう、もはや禁断の一杯。『家系の王道を行く確かな味』というキャッチコピーも素晴らしいと思う」
「分かっているじゃない。でも確かに、『誉』も見た目のこってりギトギトに反し、実際のところは、上質な豚の背脂使用していることに加えて、椎茸を隠し味とすることであっさりした飲み口のスープに仕上がっていて完飲間違いなし。何なら、ライスまで追加してしまう奥深さがある。そこは認める」
千葉県北西部で生まれ育った人間の柏愛は異常。
その愛情は、ラーメンと柏レイソルがもたらしている。
好きならーめん屋を語られないやつなんて論外だし、柏レイソルの新加入選手を把握していないやつなんてモグリだ。
「それにしても不思議なものだよな」
「緑ヶ丘続、唐突に、なに」
「凪が言うと『らーめん』って平仮名に聞こえるのに、豊四季がいうと『ラーメン』ってカタカナに聞こえる。同じ言葉なのに、どうしてもこうも響き方が違うのか」
言葉とは「何を言うか」よりも「誰が言うか」の方が大切なのだとその身をもって教えてくれたのかもしれない。
「緑ヶ丘続、喧嘩を売っているの?」
ドン、とお尻に衝撃。
もうそろそろ限界なので口を結ぶことにする。
そうこうしているうちに、麺屋こうじに到着。
平日かつ昼食の時間を外したおかげで、すんなりとテーブル席につくことができた。
それにしても世界に誇るべき名店の待ち時間がゼロで、どこにでもあるサイゼリヤが行列――柏の高校生は馬鹿舌なのか?
という余談はさておいて、ここの昼の部といったら、つけ麺一択。
全員が特製つけ麺を注文。もちろん僕の奢りだ。
豊四季のやつ、チャーシューをトッピングしやがった。
ふざけるなよ。
「へえ、じゃあ波ちゃん、ご近所さんだねっ」
どうやら、豊四季の最寄り駅は僕や凪と同じらしい。
僕と凪の二人だけのスペシャルで特別な時間--二人だけの登下校--が三年間続くものだと思っていたのに。
しばらくは、三人で帰ることになりそうだ。
「緑ヶ丘続、露骨に嫌そうな顔」
「ダメだよー、づっくん? 仲良くしてっ?」
凪に窘められたら頷くほかあるまい。
イエスマン上等だ。
話題も一段落したところで、つけ麺が登場。
魚介ベースのドロドロとしたスープが太い麺によく絡む。そしてほどよく炙られた極厚なチャーシュー。
控えめに言って最高だった。
間違いなく、この街を代表するラーメン屋の一つだ。
凪は肩に届く髪を後ろで結いていた。ポニーテールだ。
ラーメンを食べる時に髪を結ぶ女の子……最高です。ああ、でも、女の子というか、凪だからいいのかもしれない。
その証拠に、同じように結んでいる豊四季には全くもって感情が動かされない。
そんな心の声が聞こえたのかギロリと睨まれる……。戯言です。
尋常ではない速さでつけ麺を平らげ、スープ割りを楽しみがながら、豊四季が言った。
「二人は付き合っているの?」
「ぶはっ」
「えっほ! えっほ!」
「きゅ、急にどうしたんだよ」
「そそそ、そうだよぉ、波ちゃんっ」
「そんなに動揺しなくても」
「いやーびっくりした」
「びっくりしたねっ。うん、びっくりしたっ」
「…………」
「付き合っては、いないよ」
咳払いをしながら、僕はいう。
別に付き合っているわけではない。
僕が一方的に、凪を好きなだけ。
いわば、片思いである。
「そ、そうそう! お友達というか……幼なじみというか……?」
友達、幼なじみ――。
いざ、そのようにカテゴライズされると、胸が痛む。
その痛みを、自分の深い場所へ押し込むように、ぐいっとコップの水を飲み干す。
残った氷がからりと冷ややかな音を立てた。
これでいい。
僕は、ただ君のそばにいられたら――君の笑顔を守ることが出来たら、それだけでいいのだから。
「この世界線ではそんな感じなのね……」
ぼそりと小さな声で言った豊四季。僕はわずかに聞き取れたが、
「うん……? 波ちゃん、なんて?」
凪の耳には届かなかったようだ。
「いいえ……ごめんなさい。変な事を聞いてしまった」
「そんなことないよっ! 何でも聞いて……? 友達だから……!」
「ありがとう、凪」
すっかり打ち解けた二人を微笑ましく眺める。
豊四季波という人間が、いつか、凪にとっての大切な存在になってくれたらいいと思う。
凪を縛り付ける僕という鎖を、いっそのこと断ち切るほどの存在になってくれたなら。
そんな事を茫洋と考えながら、女子トークを聞くともなく聞いていた。
三人の最寄り駅である清水公園駅までは東武野田線の急行で六駅、約二十分だ。
旧型車両のヒーターは効きが尋常ではなく、これに慣れ親しんで育ったものとしては高機能な新車両は幾分味気なさを感じてしまう。
ヒーターの暖かさに食後の満腹も加わって、凪は、読みかけた本を片手に、こくりと眠りに落ちていた。
心地良さそうな寝息を聞いていると、僕まで幸せな気分になれる。
……この寝息を録音してスマホに入れておきたいな。勉強のBGMにしたら永遠に集中が続きそうな気がする。
肩を貸す気満々だったものの、無情にも反対側の豊四季の方に身を寄せている。
「緑ヶ丘続、このあとの予定」
凪を起こさぬよう小さな声。
「デートの誘いみたいだな。まあ、ないといえばないが……」
「『ないと言えばない』。予定のない暇人に限ってその言い回しをする」
「…………凪を送っていくから、そのあとに落ち合う流れでも大丈夫か?」
「過保護」
ふざけるなよ。
帰宅途中、凪が誰かに襲われたら大変だろうが。
「仕方ないんだよ、こればかりは。そうしないと気が済まない」
「何だか意味深。話す気がないなら、匂わせないでほしいところ。まるで冴えないライトノベルの主人公みたい」
「悪かったな、冴えなくて……」
「まあ、何でもいい。拡散されたくなければ」
「分かっているよ……。それで、どこに行けばいい?」
「では、清水公園に。ポニー牧場の先、第一公園広場に夜八時」
「あの少し開けた場所だな。分かった」
その後、特に会話を交わすこともなく、ただ車窓を流れていく景色を眺めていた。
陽が暮れゆくには少し早い時間帯だ。帰宅ラッシュを前に車内は閑散としている。
何でもない時間だった。
多くの人にとって、何の感慨もなく流れていく瞬間だ。
始まりの朝や終わりの夜のように、大きな意味を有する時間ではない。
それでも僕は思う。
ただ空の色が移ろうだけの時間だからこそ、詩的で美しいのだと。
人々はこの瞬間をマジックアワーと名付けた。ただ流れていってしまう時間だからこそ、感じる切なさがある。
その切なさを、尊さと言い換える事もできるだろう。
こんな……何気ない瞬間を、時間を、愛せるような、何気ない日常に彩りを感じられるような二人でありたい。
凪の幸せそうな寝顔を見ながら、そんな事を考えた。
電車が清水公園駅に到着した。
気がついたら三人して眠ってしまっていたようで、慌てて起き上がり、ホームへ飛び出す。
「うー、あぶなかったねっ……寝ちゃったっ」
重たい瞼を擦りながら、呂律が上手く回らないようだった。
「随分と気持ち良さそうに寝ていたぞ」
「う、うそ……、寝顔、もしかして、見ちゃったっ……?」
「ううん、見てない、見てない。寝顔なんてミテナイヨ……」
「ここだけの話」
豊四季が凪に耳打ちする。
「凝視した上に卑猥な笑みを浮かべていた。凪、気をつけて。男子高校生はただの獣よ」
「うぅ……」
恥ずかしそうに両手で顔を覆い、身をよじる凪。
「卑猥な笑みなんて浮かべてねえよ。人を欲求不満みたいに言うな」
「はっ(笑)」
……本当に腹が立つな、コイツ。
改札を抜けると、
「じゃあ私は、こっちだから」
と波が西口を指差した。
「じゃあね、波ちゃん。また明日、学校でねっ」
「ありがとう、凪。またね。そこのボンクラも、しっかり送って行くのよ」
「言われなくても……」
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