第6話 猫又は水の魔力持ちが好き

 猫又が、私の保護者に、千台の黒龍様に会いに行くというお出かけの承諾を得るために、また我が家に来ると言い張った。どうしようもなく、生意気なやつだけど、うちに最強にして、最凶の存在がいると知っていても、黒龍様のお使いを果たそうという忠義ぶりは大したものだと思う。


 魔力持ちは、保有量が小さいものが大きな魔力に接すると魔力酔いを起こす程度だが、妖の妖力は、その差による影響が存在そのものに関わる。猫又パンチ君のような小さい妖力しかないものは、銀狼族のような妖の王族とまで言われている強大な妖の妖力を浴びると、消滅することもあるらしい。らしい、というのは、伝説の銀の狼は、妖力を1400年の間、大きな力を使ったという史実がないので、検証のしようがないからだ。世間では、どこにいるのか、果たして、本当に存在しているのかすら分からないと言われる存在だ。それに、上位の妖は、下位を眷属にして守ると言われていて、実際に、黒龍様のような巨大な力の側に、パンチ君のような小さなものが、消滅することなく存在している。この辺りは、まだまだ謎が多く、陰陽大学の賀茂先生を筆頭に研究者たちは、鋭意調査中だ。


「若様ぁ、お家に帰らないんですかー」

「うん、私の家は、育児はしなくて、子供は預けちゃうのが伝統でね。で、こっちがお父さまのおられる瑞祥のお家だよ」


 私の説明に、パンチ君は、ちゃんと理解できないのか「ふーん」と言いながら、それでも嘉承の家には行かなくて済んで、ほっとしているようだ。嘉承には牧田がいるから、猫股を連れて帰ると、機嫌が悪くなっちゃうからね。まぁ、どうせ、私が猫又を瑞祥に連れて来たのは、もう完全にバレていると思うけど。


 玄関を開けてくれたのは、瑞祥の執事の木崎だった。


「お帰りなさいませ」


 私が猫又と手を繋いで帰ってきても、普通に出迎える優秀な執事の木崎なので、その後ろに真護と明楽君がいても、顔色を変えることもない。ただ、木崎は、完全に牧田教の信者なので、手洗い、うがい、身だしなみは、絶対に譲らない。三人とも、速攻で手を洗いに行かされ、その間に、パンチ君はがっつりと抱きかかえられて、念入りに手足を拭かれ、ブラッシングまでされていた。私達三人も、手洗いとうがいを済ませると、木崎のジャケットの胸ポケットから出てきた櫛で髪の毛を整えられて、それぞれ制服のリボンも結び直された。


 ・・・木崎、牧田教の信者を通り越して、もう司祭にまで昇進していたのか。


「旦那様は、奥様とサンルームにおられますよ」

「うん、分かった」


 瑞祥のサンルームは、お祖母さまの母君で、先帝陛下の妹君であらせられた内親王殿下が降嫁された折に、その持参金で作られた。国営の植物園よりも大きなドームを持つ巨大なガラス製の建物だったが、去年、お祖父さまが壊してしまった。水と土の魔力を持つ瑞祥は、全員、体温も血圧も低い、超寒がり一族なので、皆、家にいる時は、サンルームで過ごしていることが多い。特にお祖母さまは、水と土よりも、さらに体温が低くなると言われる闇の魔力を一番多く持っておられるので、二属性の瑞祥よりも寒がりがひどいらしく、サンルームが再建中は、西都の冬の底冷えが耐えられないということで、帝都にいる双子の叔父様達をお供にして、海外に「避寒」にお出かけされたまま、いまだにお帰りになる様子がない。そんなわけで、瑞祥一族、特に土の四条と二条が、魔力を総結集して、普通の数十倍の速さで再建されたサンルームだというのに、一番の使用者は、お祖母さまではなく、その次に寒がりのお父さまだ。


「お父さま、ただいま」

「おかえり、ふーちゃん。真護君、明楽君、いらっしゃい」


 いつものように、穏やかな白皙の美貌が迎えてくれた。


「こんにちは」

「おじさま、ごきげんよう」


 明楽君は、いつも礼儀正しいけど、真護は、お父さまの前では、いつもちょっとだけ猫を被っている。それぞれ、ぺこりと頭を下げて挨拶をすると、お父さまが笑顔でソファに座るように勧めてくださった。


「あれ、ふーちゃん、その子は、にゃんころじゃなくて、妖くん?」


 さすがに、お父さまは鋭い。私に、抱っこされている小さな黒猫を妖と直ぐに見破った。パンチ君は、妖力は小さいし、瑞祥邸に来てから、文字通り、借りてきた猫のように大人しいのに、瞬間、バレちゃったよ。


「うん。パンチ君って言うんだよ」


 嘉承ほど猛々しくはないが、瑞祥も大きな魔力が漂っている家なので、パンチ君は、やっぱり怖いらしく、私にぴったりと引っ付いている。お父さまに妖とバレて、怖いのか、私のシャツに、きゅっと爪を立てた。


「パンチ君、お父さまが、君のお使いのお返事をして下さる方だよ」 


 私が、床にパンチ君を降ろそうと屈むと、更に爪を立てて、しがみつこうとするので、これは完全にシャツに穴が開いた。牧田にバレると面倒なんだけどな。


「パンチ君、爪は引っ込めてよ。痛いって」


 私が降ろそうとすると、パンチ君は、もがいて、私の首に縋りついてきた。瑞祥は、怖くないし、パンチ君の好きな水の魔力が漂っているから、大丈夫なはずなんだけどな。うちの迷老人達の笑いのツボと同じくらい、妖の怖がるツボは謎だよ。


「三人とも、お帰りなさい」


 そこに、董子お母さまが、ワゴンを押している美咲さんと一緒に、サンルームに入って来られた。今日は、図書館の司書さんのお仕事はお休みだったようだ。


「おばさま、ごきげんよう」

「董子ちゃん、こんにちは」


 二人が立ち上がって、お母さまに挨拶をしている横で、私は、まだパンチ君と揉めていた。


「パンチ君、ちゃんと降りて、お父さまにご挨拶をしないとダメだよ。お父さまの許可がないと私は、遠出は出来ないんだから」

「あら、新しいにゃんころちゃん?」


 うにうに言いながら、嫌がって私から離れようとしない黒猫を見て、お母さまが微笑まれた。ちらりとパンチ君が声の主の方を見たと思ったら、ぴょんと私から飛び降りて、とことこと、お母さまの前に歩いて行った。


「まぁ、まぁ。可愛らしいにゃんころちゃんねぇ」


 いやいや、お母さま。その子は私の土人形じゃないから。お母さまに悪態をつかれては大変だ。慌てて【風壁】で、逃げたパンチ君を捕獲しようとしたら、小さな妖が、ぺこりと頭を下げた。


「どーもー。にゃんころパンチでーす。よろしくお願いしまーす」


 おい、そこの猫又。お前は、私の土人形じゃないだろう。何を勝手に、にゃんころを名乗ってるんだよ。


「あら、可愛らしいこと。にゃんころパンチ君って言うの」


 お母さまが、いつものおっとりとした雰囲気で、椅子にお座りになると、にゃんころパンチ・・・じゃなくて、猫又パンチは、こくこくと頷いて、お母さまの足元で、ゴロゴロと喉を鳴らした。めちゃくちゃ懐いていないか。


「姫さま、お膝にぃー、乗せてくださいー」


 はああああああっ?


 突然、かわいい猫のふりをして、なれなれしい態度を取る猫又に、さすがの明楽君も呆れて、真護はドン引きしていた。


「ふーちゃん、あの猫又、ちょっとおかしくない?」

「女の人は好きみたいだよ。うちのお母さんも風なのに、ずっとくっついていたくらいだし」


 水の魔力持ちが大好きだという猫又パンチ君は、女の人も大好きらしい。どうしようもないな。何が「姫さま、お膝にぃ」だよ。聞いているこっちが恥ずかしいよ。


「あら、パンチ君は、もしかして、にゃんころちゃんじゃなくて・・・」


 もじもじしながら、上目遣いにお願いをしてくる猫又に、お母さまが何か違和感を覚えたようで、小首を傾げた。


「にゃんころでーす」


 違うだろっ!何を勝手に言い切ってるんだよ。


 お父さまの方を見ると、面白そうにパンチ君の方をご覧になっていた。お父さまも、たいがい小さくて可愛いものに弱いからね。パンチ君は、生意気だけど、黒い毛皮に、両手足の先と口元に白い毛が生えていて、愛嬌のある感じではある。生意気だけど。


「パンチ君、お父さまにお願いがあるんじゃないの?」


 私が、後ろから声をかけると、パンチ君が、くるりと振り返って、お父さまの方を見た。


「私に?何かな」


 お父さまは、にこにこ顔なのに、パンチ君は、ちょっと残念そうな顔をして、また、とことこと私達の方に戻って来た。めちゃくちゃ渋々だな、おい。


「いいよ、こちらに来なくても。董子の膝に乗りたいんだったら、乗せてもらいなさい」


 あまりに分かりやすい猫又の態度に、お父さまが苦笑しながら、手をひらひらとすると、パンチ君は、嬉々として、お母さまの元に戻った。


「あいつ、風の魔力持ちに対する態度と違い過ぎない?」

「うん、ものすごく分かりやすい子だね」


 呆れ果てたような真護の言葉に、猫好きの明楽君も、さすがに同意したが、パンチ君は、私たちの視線も会話も全く気にする様子もなく、ただただ、お母さまのお膝の上で、嬉しそうに香箱座りをして、喉をごろごろと鳴らしていた。


 ・・・どこの飼い猫だよ。 

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