第27話 王都への道
王都までの道のりは長い。
風の魔石を装備している馬車とはいえ、夜明け前から領地を出てギリギリ夜の舞踏会に間に合う計算だ。
ヨゼフは御者台に座り、マールは到着まで眠るということで、馬車の中は実質二人きりとなる。
最初こそドギマギとしたアリシアとレイモンドだったが……時々仮眠を挟みながら、様々な話をした。
領地のこと、子供の頃のこと、好きな料理のこと……。
レイモンドが語った思い出の中には、必ず「アリシア」が存在していた。しかしレイモンドはその名を口に出さず、「ある人」と表現する。
思い出を語るレイモンドは嬉しそうで、それでいて酷く寂しそうで……。アリシアは、如何ともし難い感情になった。
(旦那様は……まだ「
「……どうかしたか?」
氷狼のブランが拾われてきた時のことを話していたレイモンドは、アリシアの反応に首を傾げた。その顔は昔のように、少年の微笑みを湛えている。
「いいえ、何でもありません。続きを聞かせてもらえますか? ブランはアルのように、ニンジンが大好きだったとか……」
「そうなんだ。屋敷のどこに隠しても、すぐに見つけて食べ尽くしてしまって……。屋敷の者全員でニンジン探しゲームをしたこともあったが、ブランの圧勝だったよ。──あの時は、楽しかったな」
懐かしそうに目を細めて話すレイモンドは、確かに幸せそうだった。アリシアは沈んだ気持ちを消し去るように、小さく首を振る。
(「出会わなければ」なんて、私らしくもない! 大きな傷を作ってしまったことは確かだけれど、幸せな思い出が消えたわけじゃない。傷は、これからゆっくり癒やしていこう。楽しいことをたくさんして、それが治癒薬となるように。せっかくまた出会えたのだから……。)
アリシアを見て、レイモンドもまた思いを巡らせていた。彼女の表情は、クルクルとよく変わる。驚いたり、喜んだり、はたまた涙を流したり……。
決してわざとらしくはなく、それでいて十分過ぎるほど感情移入する聞き手は、話す者を乗り気にさせた。
(これほど楽しく話が出来るのは久しぶりだ。それに……まるで長年連れ添って来たかのように、居心地が良い。)
元々人嫌いなレイモンドであったが、アリシアと話すのは苦ではないし、窓の外を眺めながら時々起こる沈黙も、不思議と心地良い。
その横顔を眺めながら、自分の胸に沸き起こる感情に戸惑う。
(今までしっかり顔を見たこともなかったが……横顔までもが、「アリシア」に似ている。それだけでなく、相槌の打ち方や表情の豊かさまでも。やはり彼女を見るたびに、「アリシア」のことを思い出してしまう。)
視線を感じた彼女は、僅かに首を傾げながら微笑んだ。その笑みに、強く胸が締め付けられる。
(この感情は、彼女に対してのものなのか。それとも彼女を通して「アリシア」を想っているのか。おそらく……その両方なのだろう。)
「アリシア」が亡くなって八年。その間、片時も忘れることなく想い続けていた。それでも面影や声、仕草の記憶は、どうしても薄れていってしまう。
しかし目の前の彼女が来てから……「アリシア」の記憶が、かえって鮮明に蘇ってきた。忘れていたはずのちょっとした癖も、そっくりな彼女の仕草で思い出す。
だが一方で、彼女に惹かれていることも確かだ。温かい感情や笑顔を向けられるたび、胸がいっぱいになる。それは「アリシア」を思い出すからではなく……彼女の心からの優しさが成すものだ。
(亡き「アリシア」への想いも、目の前の彼女への想いも、どちらも失いたくない。不誠実だと罵られるかもしれないが……二人とも、大切なのだ。)
うとうとし始めたアリシアの頭をそっと支え、自分の肩にもたれかけさせる。静かに聞こえる寝息が、確かに
(王城へ行けば……彼女を虐めていた妹やロイの婚約者、そして婚約破棄をした張本人のロイがいる。彼女にとっては辛い思い出もあるだろうに、俺の為に舞踏会へ行くと言ってくれたのだ。その思いに報いる為にも……必ず守り抜くと誓おう。傷つける者は、決して容赦しない。)
薄手の手袋に覆われた拳を固く握りしめ、窓の外に目を向ける。外は白み始め、一面の銀世界から抜けようとしていた。
・・・・・
「は〜い、かんせ〜い!」
化粧ブラシを手に持ったマールが、得意げに胸を張る。無事王都に着いたアリシアは、馬車の中で身支度を整えていた。
「まあ……これが私……?」
「奥サマは元が良いからそんなに手を加えてないけど、もっと美人になったでしょ〜?」
「すごい、自分じゃないみたいです……。ありがとうございます、マール!」
美人ではあったが童顔なアリシアの顔は、化粧によって大人びた印象に整えられていた。
スッと引かれた眉に、大きな目を強調するようなブラウンのアイシャドウ。白すぎて不健康にも見えそうな頬は、薄桃色のチークによって彩られている。
ドキドキと胸を高鳴らせながら馬車を降りた先には、ヨゼフとレイモンドが待ち構えていた。
アリシアを見たレイモンドは、ハッと息を呑んで黙り込んでいる。
「ど、どうでしょうか……」
アリシアはドレスの裾を持ち、控えめに
黒に近い濃紺のドレスは、下の方にいくにつれ白のグラデーションとなっている。所々に雪の結晶の刺繍や氷の魔石で出来たビーズが縫い付けられ、まるで静謐な真夜中にしんしんと雪が降り注いでいるようだ。
スカート部分にはたっぷりとフリルが仕込まれ、ふわりと大きく膨らんでいる。肩部分はオーガンジーレースのストールで覆われ、動くたびにヒラヒラと煌めいた。
「素晴らしいですよ、奥様! どこからどう見ても貴族の御令嬢です!」
「まあヨゼフったら、普段は違うみたいな言い方ですね!」
「だって……メイド服を着て魔法箒を背後に従えた伯爵夫人なんて、この世界のどこにもいないですよ! ね、旦那様?」
「あ、ああ……よく似合っている、と思う」
話が噛み合っていないレイモンドは、しばらくアリシアを見つめた後フイと顔を背けてしまった。横を向いた耳は、僅かに赤く染まっている。
レイモンドの服も、アリシアと同じく濃紺を基調としていた。暗い生地の中で、銀の肩章やボタンが美しく際立っている。繊細な刺繍は雪の結晶をモチーフにしていて、同じく銀の糸で縫い込まれていた。
「旦那サマ、髪飾りを〜」
ぼーっとしているレイモンドに、マールが何かを手渡した。
「あ、ああ……そうだった。これを、髪に」
レイモンドが差し出したのは、シンプルな髪飾りだった。中央に氷の魔石が埋め込まれてはいるが、舞踏会に似つかわしくないほどの地味さだ。
アリシアが手に取ろうとする前に、レイモンドが氷の魔石に指を触れさせる。すると瞬く間に、魔石から氷で出来た華やかな装飾が出現した。
「まあ……! すごく美しいです! これは……!?」
「ああ……ある人にプレゼントしようとしていた、魔石の髪飾りだ。ここに魔力を込めると、華やかな氷の装飾が現れるようになっている。そういう術式を刻んであるから、誰でも同じように使えるようになっていて……」
「これ、旦那サマが考えて職人に作らせたらしいのよ。これを奥サマが身につけるじゃん〜? で、舞踏会で注目を集めれば、髪飾りの注文が殺到するってワケ〜! 氷の魔石はスノーグース領でしか手に入らないし、領地収入が上がれば、私達の給料も上がってウハウハなのよ〜!」
興奮気味に話すマールは、目をお金の形にしながら喜びの舞を踊っている。
「そ、そんなに上手くいくでしょうか……」
「だからそこは、旦那サマと奥サマのダンスにかかってるの〜! 頼んだわよ!」
「え、ええ〜……」
ガシリと手を握られ、アリシアは苦笑いを浮かべる。マールはにんまりと笑いながら、結い上げられたアリシアの頭に髪飾りを取り付けた。
「ダンスの終盤に、大きく頭を回す部分があるでしょ〜? 旦那サマは首尾通りに! 奥サマは思いっきり頭を振ってね〜!」
「? わ、わかりました……」
「ほら、時間ですよ! 早く行った行った!」
「では、行こうか。……手を」
差し出されたレイモンド手の上に、そっと手を乗せる。ひんやりとしたその手が、高鳴る胸の緊張を少しばかり和らげてくれた。
二人は顔を見合わせて頷き、王城へと足を踏み入れた。
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