第26話 いざゆかん、舞踏会へ
「そこ、もっと引っ張って! あと2センチ上!」
針を手に持ったサリーが鬼の形相で叫ぶ。使用人達が群がった中心には、レイモンドが死んだ魚の目をして立っていた。色とりどりの布を顔周りに当てられ、無の境地に至っている。
その周りでは氷狼のアルが、布切れの山に飛び込んだり引っ張ったりと、嬉しそう跳ね回っていた。
「ひええ、もう腕が上がらないよぉ〜」
「頑張ってくださいエリオット! もう少しです!」
現在はレイモンドの宮廷服の仕立て中で、手持ちの服のサイズを確認しながら、同時並行で服に使う色を選んでいるのだ。
レイモンドは背が高いため、布地のサンプルを押さえている小柄なエリオットは、腕を伸ばしてプルプルと震えている。
「もう……いいか……」
着せ替え人形のように服を着替え続けたレイモンドが、呻くように呟いた。
「まだだよ、旦那サマ! ……見ておくれよ奥サマ、このつんつるてんな裾! こんな短い丈じゃ、舞踏会どころか街へも出掛けられないよ。まったく、こんな古い服しかないなんて……いつ仕立てたズボンなんだい?」
「これは確か……15歳の頃、領地の視察に出かけた時ですね。レイモンド様があまりにお洋服を持っていないから、街の洋服屋さんで仕立てて……」
皆の不思議そうな顔に気付き、アリシアはハッと言葉を止めて微笑んだ。
「……と、セドリックが話していました」
「そうだよね。旦那サマが15じゃ、もう10年前くらいだろう? 奥サマが知るはずもないよねえ。……まあとにかく、こりゃダメだ! 裾をほどいて縫い直しても、全然丈が足りやしない。全部仕立て直しだよ」
サリーが肩をすくめてそう言うと、離れた所でクッキーをつまみながら眺めていたマールが口を挟む。
「ほっひひゃはふへ、ほっひのほうがいいほ」
「ちょっとマール、せめて食い終わってから喋ってくれよ!」
「ゴクンッ……あ〜、仕立て直すならね、そっちじゃなくてあっちの色の方がいいよ〜。旦那様の髪色には彩度が低い方が似合うもん〜」
マールは紅茶のカップを傾け、テーブルに置かれていた紙を手に取る。
「だいたい何? サリーのこのデザイン! 金のヒラヒラとか首元のフリルとか……ゴテゴテ過ぎるわ〜、一昔前の王族みたいじゃない?」
「何さ! 実際旦那サマは王族なんだし……金ピカヒラヒラは、舞踏会のロマンなんだよ! それにマールのデザインはシンプル過ぎんだ、これじゃ豪華絢爛な会場の中で埋もれちまうよ!」
「何〜!?」
「なんだってんの!?」
「ちょっ……二人とも、落ち着いて!」
バチバチと火花を散らす二人の間に割って入る。
「デザインは話し合って詰めていきましょう。まずコンセプトを決めて……二人のデザインの良い所を入れていきましょう、ね?」
「あたしゃ旦那サマを、会場で飛び抜けるぐらい目立たせたいんだ。全員の目を引く美しい旦那様を、一際輝かせるジャケットとズボン……」
サリーは夢見る少女のような顔で天を仰ぐ。
「目立たせたいなら、派手な色を使う必要はないのよ〜。舞踏会って、ただでさえみんなカラフルな色を着てるじゃない? 逆にシックな色の方が、目を引いたりするのよね〜」
「……マール、アンタ賢いじゃないの」
「ふふーん、それほどでも?」
椅子にふんぞり返ったマールを、皆が拍手で讃える。
「マール、すごいです! ……でも、サリーのこのデザイン案は良いと思いますよ。雪をイメージしているなら、ここの色をこう変えて……。あと演出にもこだわりたいですよね、ダンスの終盤で……」
話し込む女性陣の後ろから、レイモンドが恐る恐る尋ねる。
「あー……盛り上がっている所悪いが、そろそろいいだろうか……」
「「「ダメです!!」」」
・・・・・
二週間後の早朝。
屋敷の外はまだ夜の闇に包まれ、ひっそりと静まり返っていた。
屋敷の玄関に集まった一同は、煌々と光るランプの光に照らされている。
アリシアとレイモンド、そして使用人のヨゼフとマールは、火の魔石入りの防寒具を着込んでいた。
いよいよ、舞踏会へと出発する日が来たのだ。
「……では、行ってくる」
レイモンドの言葉に、ブルーベルが眠い目を擦りながら答える。
「気をつけて、早くかえってきてください……」
「はい。すぐに帰ってきますからね! それにしても、サリーが私のドレスまで作ってくださっているとは思いませんでした……」
アリシアはドレスを身に纏っているが、分厚い防寒具を上に羽織っているので、外から全容は見られない。
「当たり前だろう! 逆に何故無いと思ったんだい? 旦那サマもそうだけど、うちの自慢の奥サマのお披露目でもあるんだ。それに洋裁家にとって、ペアの舞踏服は永遠の憧れ……」
目の下に真っ黒な隈を作ったサリーは、言いながらフラフラと倒れた。それを慌てて抱き止めたアリシアは、彼女の手を握りながら呼びかける。
「サリー! こんなに無理をして……。本当にありがとうございます。レイモンド様の服もあるのに、私のドレスまで作って大変だったでしょう? ほとんど寝ていないんじゃありません……!?」
「いいんだ。アタシの作った服を着て、舞踏会に行ってくれるだけで本望だよ。二人が踊る姿が見られないのだけが残念だが……帰ってきたら、一曲踊ってくれるかい?」
サリーはアリシアの腕の中で、菩薩のような顔をして呟いた。涙ながらに頷くアリシアの後ろで、レイモンドが不安そうな表情を浮かべる。
「それは問題ないが……結局、一度もダンスの練習ができなかったな。貴方のドレスもまだ見ていないし……」
珍しく心配そうなレイモンドに、アリシアは胸を張って言った。
「大丈夫ですよ! ダンスなら何度も一緒に踊ったことがありますし……」
「? 誰と誰とがだ?」
「あー……私は、ロイ様と? レイモンド様も昔はお上手だったと、セドリックが……」
半分寝ぼけたセドリックが、うんうんと大きく頷く。
「ロイか……では、負ける訳にはいかないな」
アリシアの言葉を聞いたレイモンドが、眼光を鋭くして呟いた。
(旦那様が対抗心を出すなんて珍しいけれど……兄として、弟のロイ様には負けたくないというプライドがあるのかしら?)
「ほら、そろそろ行きますよ! ここまで準備して、間に合わなかったら大変です」
外は吹雪ではないとはいえ、僅かに雪が降っている。長い道のりの中で、悪天候に見舞われたら大変だ。
ヨゼフの言葉に、横たわっていたサリーがピョンッと跳ね起きる。
「じゃあ、頼んだよマール!」
「まかせて〜! 特別ボーナスも貰ったし、バッチリ化粧して奥サマを王国一の美女にしてくるから〜」
マールは大きな化粧具セットを手に、ニヤリと口の端を上げた。
「まさかマールがお化粧まで出来るなんて……貴方一体何者なんです……」
「ほらほら、無駄話はあと! 出発しますよ!」
キリキリ動くヨゼフに背中を押され、馬車に押し込まれる。
「じゃあね、旦那サマ! 髪留めの件は打ち合わせ通りに!」
追いかけてくるサリーに、レイモンドは黙って頷く。
「いってらっしゃーい! ミーシャさん、お父さま!」
「ほどほどに頑張れよ! 上手い酒、土産に持って帰ってきてくれよな〜!」
真っ白な世界の中で、明かりのついた邸宅がみるみるうちに遠ざかっていく。アリシアは窓から大きく身を乗り出し、小さくなった人影に大きく手を振った。
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