第15話 おしょくじ会へようこそ!②

「「「いただきます!」」」


 その声と共に、一段と賑やかな食事が始まった。

 そこかしこでカトラリーが立てる音や話し声、笑い声が聞こえてくる。


 目の前のサラダに視線を落とすと、春野菜と果実の鮮やかな色合いが目に飛び込んできた。


「これは……まさか、生の野菜か?」


「ふふっ、そうなのです。召し上がってみてください」


 いたずらっ子のようなアリシアの視線に促され、恐る恐るサラダを口に運ぶ。歯を入れた途端、パリリッと小気味良い音と共に瑞々しい果汁が口中に弾けた。

 生の野菜を食べたのはいつぶりだろう。じんわりとした感動が、胸いっぱいに広がる。


「これは……美味いな」


 レイモンドの呟きとほぼ同時に、ブルーベルが頰を押さえて歓喜の声をあげた。


「わあっ、このサラダ……とっても甘くてジューシー! 生のおやさいって、こんなにおいしいのね!」


「ふふっ、それは良かったです。エリオットが頑張って作ってくれましたからね! お嬢様は、野菜がお好きですか?」


「うん、だいすき! いくらでも食べられそう!」


「まあ、本当にえらいですね!」


「それにね……おやさいを食べると、なんだかむねがぽかぽかする気がするの」


「それじゃあ、お野菜が持っている太陽のパワーが、お嬢様の氷の呪いを溶かしてくれているのかもしれませんね」


「わあ、ほんと? そうかな、そうだといいな……」


「それと、お嬢様……」


 アリシアが何か耳打ちすると、ブルーベルは幸せそうに笑った。心の底からの笑い声を聞いたのは初めてで、レイモンドは静かに目を見開く。

 

 (この子は……こんな風に笑えるのか。呪い持ちの幼い子供が、これほど幸せそうに。)


「……どうされました、旦那様。お口に合わなかったでしょうか?」


 食事の手が止まっているレイモンドに、ヨゼフがそっと尋ねた。

 

「いや、食事は美味いよ、ヨゼフ。ただ、普段と違うことばかりで……頭が追いつかない」


 (自分がこの子くらいの頃は……全てに絶望していた。親からは見放され、人を拒絶し、毎日を生きる希望もなく。それが変わったのは……「アリシア」がこの屋敷に来た時だ。ブルーベルにとってそれが、この娘なのか。)


 ブルーベルはアリシアに口を拭かれながら、美味しそうに野菜を頬張っている。時折顔を見合わせて笑う二人の姿は、本当の親子のようだった。

 

 その後も、華やかで美しい料理が次々と運ばれてきた。どれも良い食感で瑞々しく、食材の新鮮さが伝わってくる。一度凍ってしまうと食感が落ち、煮込む他ないと聞いたことがあるが……。


「これらは、一度も凍結していないのか? 一体どうやってここまで……」


「ええと……少し頑張って、町から運んできました」


「少しじゃないですよね、かなりの無茶です」


「うっ、ごめんなさい……」


 ヨゼフに睨まれ、アリシアが肩をすくめて苦笑いをする。どうやら睨まれるだけのことはしたらしいが、彼女がこの食事会の功労者であることは間違いなかった。


 呪い持ちのレイモンドやブルーベルにとって、あまりにも遠いもの。それが、人の温もりだ。

 人に触れず、話さず、関わらず……一生孤独に人生を終えるのだと諦めていた。

 今日のような明るい笑い声に包まれた食卓は、いくら望んでも手に入らない……望むことすら許されないような、夢物語だったのに。

 彼女の手によって、いとも簡単に叶ってしまった。


 それに……新鮮な野菜の瑞々しさ、生花の放つ芳醇な香りは、明日を生きるのに十分な希望となった。もう一度味わいたい、と願ってしまったのだから。

 

「アリシア」を失ってから八年、ずっと彷徨っていた暗闇の中に、少しだけ光が見えたように感じる。


 (しかし……「アリシア」は死んだのに、自分だけ幸せになって良いのか? 悲しみを反芻し、苦しみながら生きるのが、彼女を死なせてしまった自分への罰ではないのか……。)

 

 そんなことを考えながらスープに口をつけた途端、体中に衝撃が走る。


「これは……」


「アリィの……アリィのスープだ……」


 テーブルの端で、セドリックがスプーンを投げ出して顔を覆った。


 そうだ、その通り……これは「アリシア」のスープだ。

 

 ベーコンと新鮮な野菜がゴロゴロと入り、複雑なハーブの香りを纏った真っ赤なスープ。吹雪の酷い凍える晩には、いつもこのスープを作ってくれていた。


「お水を一切入れないで、潰したレッドプルムをスープがわりにして煮込むんですよ!」と話す、かつてのアリシアの顔が浮かんでくる。

 

 夢中でスープを口に運ぶ二人を見ながら、アリシアは胸の奥で感動を噛み締めた。


 (あの日……あの寒い冬の日、二人に作る予定だったスープを、ようやく飲んでもらうことが出来たわ。マシューがいないことだけが、心残りだけれど……。)


「……エリオット、どうやってこのスープを? お前は飲んだことがないはずだが……」


 一口ずつ確かめるようにスープを飲むレイモンドは、口いっぱいに料理を頬張っていたエリオットに尋ねる。


「え、ええっとぉ……ごくんっ……奥様が、昔ここに勤めてた人?の書いたレシピを見つけてくれてぇ、その通りに作ったんだよ……ね?」


 エリオットは、アリシアの方をチラチラと伺いながら答える。これらはアリシアが教えた料理だが、誰かに聞かれたらそう答えるようにお願いしていたのだ。


「レシピ? そんなのどこから……」


「キッチンの奥に仕舞われていたのを見つけましたの」


 アリシアは話を引き取り、ニコリと笑った。こんな時のためにと、古紙に書いておいたレシピを取り出す。


「ほ、本当だ! アリィの筆跡だぞ! この個性的な丸文字……」


 セドリックがレシピを奪い取るように掴み、目を丸くして凝視した。

 

 (個性的で悪かったですね! 前の「アリシア」の筆跡を再現したのだけど、昔は教育も受けていない村娘だったから……。今はもう少しマシな字ですよ!)


 アリシアが心の中で拗ねていると、セドリックが再び顔を覆って泣き出した。


「うぅ……またアリィの料理が食べられるなんて……。こんな日が来るとは……」


「ミーシャ……だったな」


「は、はい……!」


 レイモンドに声をかけられ、アリシアは身を固める。

 相変わらずその目は青く冷たく、こちらを射抜くような凄みを帯びている。


 (また「アリシア」の真似をするなと怒られるかしら? ただ旦那様とお嬢様に、温かい食卓を用意したかっただけなのだけれど……。でも無事野菜を召し上がってもらえて満足だし、怒られても我慢だわっ!)


 ぎゅっと目を閉じていると、レイモンドがカチャリとフォークを置く音が聞こえた。


「……素晴らしい食事会だった。料理も会場も……皆揃っての食事というのも。久方ぶりに、食事が楽しいと思えた。礼を言おう」


 レイモンドがゆっくりと頭を下げ、一同は驚きで黙り込む。


「ありがとうございます……! これは、皆が本当に頑張ってくれたからで……」


「そんなことないよ! 全部奥さまのおかげ!」


「そうだよ〜、一番頑張ったのは奥サマじゃないか!」


「うんうん! ミーシャさんのおかげで、すっごくたのしかったの!」


 口々にかけられる言葉に、アリシアは胸を熱くする。努力をした結果を、褒められたり、認められたり……それは「ミーシャ」がずっと渇望していたことだった。


「各々への褒美は別で考えるとして……ミーシャ、何か望むことはあるか?」


「そんな……望むことなどありません。レイモンド様とブルーベル様が喜んでくださった、それだけで満足です」


 そう言って笑うアリシアは、本当に満足していた。

 

 「ミーシャ」として生きてきた八年間、ずっと望んできたことが、この家で叶えられている。

 ハグの温かさも、愛を与え、与えられることも、努力が認められることも。

 それに……レイモンドの元で、また昔みたいに働けているのだ。これ以上を望むなんて贅沢だろう。

 

 アリシアの思いは知らず、隣に座っていたヨゼフが興奮気味に口を出す。


「駄目です奥様、何でも良いのですよ! 奥様は私物を何も持っていらっしゃらないから、ドレスとか宝石とか……。それとも、これを機にメイドでなく、しっかり妻として対応してもらうとかどうです……」


「あ! メイドと聞いて思い出しました! 一つだけ、良いですか……?」


「ああ、何でも言うと良い」


「あの、私……レイモンド様の執務室を、お掃除させていただきたいのです!」


 ピカピカの笑顔でされた宣言に、ヨゼフはガクッと椅子からずれ落ちる。


「一度入らせていただいた時に、散在した本や埃が気になっていたのです。でもレイモンド様には近づかないようにとのご命令でしたので、今まで掃除出来ず……」


「そんなのは……褒美と言わん……」


 レイモンドはそう呟いた後、ため息を吐きながら前髪をかき上げた。


「これからは、執務室にも自由に出入りして良い。近づくなとは言ったが……そうだな。手に触れなければ、それでいい。他に望むことは?」


「ありがとうございます! 他に……他にですか……」


 色々と考えてはみるのだが、頭がぐるぐるとして考えがまとまらない。

 色とりどりの野菜や、魔法掃除具、家具や調度品が浮かんでは消え……。


「またこうやって、みんなで食事をしたいです……」


 ぽつりと呟いたアリシアの言葉に、レイモンドはほんの僅か、微笑みを浮かべながら答える。


「……ああ、そうだな。準備が大変でないなら、毎日でも」


 それを見たヨゼフは、これでもかというほど目を見開いて叫んだ。


「え!? 旦那様、笑っています!? 旦那様が笑うなんて……初めて見ました!!」


「騒ぐなヨゼフ、笑ってなどいない」


「いや、絶対笑ってましたって! みんなも見ましたよね!?」


 鼻息を荒くするヨゼフの横で、アリシアだけがぼんやりと立ち尽くしている。

 

「またこんな風に、一緒に食卓を囲めるなんて……。ああでも、あと足りないのは……子犬と、マシュ……」


 言いかけたアリシアの体が、ぐらりと傾いて床に崩れ落ちた。


「奥様!!?」


 

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