第10話 メイドは動く

「ふんふ〜ん、ふふふ〜ん♪」


 アリシアは鼻歌を歌いながら、庭で洗濯物を干していた。今日は珍しく晴れたので、外に干してみようと思ったのだ。洗濯物が乾くのが早いか、はたまた凍る方が早いか……。


 そんなアリシアの元に、銀色の塊が飛び込んでくる。

 

 「ミーシャさん……! たっ、たい……たいへん……!」


「どうしました? ブルーベル様」


 体にしがみ付いているブルーベルの頭を撫でながら、自然と笑みが溢れる。

 

 初めて出会ってから一週間が経過し、ブルーベルは遠慮なくアリシアに触れてくれるようになっていた。お風呂や食事、寝る時まで共に過ごし、過剰なほどスキンシップをとったのが功を奏したのだろう。


「あのね、おと……お父さま、が……」


 遠慮がちにレイモンドの名を口にしたブルーベルは、体をピタリと密着させて震えている。


「レイモンド様が……? どうされたのです?」


 悪い事態を想像して胸の鼓動を速めていると、ブルーベルがパッと顔を上げた。その大きな目には涙が溜まり、うるうると揺らめいている。


「い、いっしょに……ごはんをたべようって……」


「まあ! 良かったではありませんか!!」


 軽々とブルーベルを持ち上げたアリシアは、そのままクルクルと回転した。チョコレート色のワンピースが大きく広がり、フワリと円を描く。


「わ、わあ! まわってる……!?」


 しばらくして降ろされたブルーベルは興奮のため頬を赤くし、呼吸を整えながら言った。


「あのね、うれしいけどね、はじめてだから、きんちょうしちゃって……。ココロノジュンビがあるから、来週にしてくださいっていったの……」


「そうなのですね。緊張することなどありませんのに……。でも、楽しみですね」


「……でもでも!」


 微笑むアリシアに、ブルーベルは再びしがみついた。


「マナーがなってないって、怒られないかな? そうしたら今度こそ、いらない子だってすてられちゃうかも……」


 アリシアはブルーベルの肩を掴み、その目を真っ直ぐに見つめた。少女の青い瞳は不安で揺らめき、そうなる事を本気で心配しているようだった。


「何があっても、捨てられるなんてことはありません。お嬢様は、大切な宝物なんですから。それにマナーも、食事会までにしっかりマスターできますよ」


 確かにブルーベルの食事のマナーは、褒められたものではなかった。フォークとナイフは握りしめるような持ち方で、一口ごとにポロポロと食材を落としてしまう。

 しかしそれは教える人がいなかったからで、アリシアの指導の元、今は着実に上達してきていた。


 だがブルーベルは変わらず不安そうで、子犬のようなうるうるとした瞳でアリシアを見つめる。


「……ミーシャさん、お父さまとわたしと三人で、いっしょにおしょくじしてくれない?」


「……へ、え?」


 アリシアの声が、思わず裏返る。

 レイモンドからは「妻として愛することはない」と宣言され、近づかない約束だ。一週間経った今でも、数度しか顔を合わせていない。

 「一緒に食事」など、家族のようなことが許されるのだろうか。


「しかし、お嬢様……」


「おねがい……! ミーシャさんがいないと、わたし……」


 ブルーベルは縋るような顔を近づけ、ぎゅっと目をつぶってアリシアに頬擦りをした。

 ふわふわのほっぺたが柔らかく触れ、絹のような髪がアリシアの首筋をくすぐる。照れながらというのもポイントが高く、アリシアの胸を突然のキュンキュンが襲った。

 

「ああっ、お嬢様……かわいい、かわいいです! そんなのずるい……!」


 いつもアリシアが頬擦りをしてくるので、喜ばれると思って真似をしているのだろう。他人に触れられなかった過去を考えると、そのおねだりの仕方が愛らしくて堪らない。


「おねがい、いいでしょう……?」


「わ、わかりました……。ヨゼフに頼んで、レイモンド様に聞いてもらいます。ただ、断られたら仕方ないですからね?」


「わあい、ありがとう……! ミーシャさん、その……だいすき」


 小声で囁やかれたその言葉が胸をくすぐり、僅かに涙が滲んできた。アリシアはそれを隠すように、ブルーベルの体を力強く抱きしめる。


「私もですよ、お嬢様。……大好きです!」


 (人から「大好き」と言われるなんて、何年振りだろう。それに、「大好き」と伝えることも。「ミーシャ」の体になってからは、一度もなかったな……。温かくて、とても……とても嬉しい。)


 二人はお互いの体温を確かめ合うように、しばらくそのまま抱き合っていた。


 ・・・・・


 その日の食事後、ヨゼフがアリシアの部屋を訪ねてきた。

 

「旦那様から、了承いただけましたよ。三人でお食事ということで良いそうです」


「ほ、本当ですか……!?」


 レイモンドからの返事は予想外で、アリシアはポカンと口を開けた。ブルーベルにはああ言ったが、断られる可能性が高いと思っていたのだ。


「やった……! 三人で、ごはん!」


 ブルーベルは喜びのあまり、ベッドの上で小さく飛び跳ねている。その姿を見て、アリシアはグッと唇を結んで立ち上がった。


「それでは私も、覚悟を決めるしかないですね。メイドとして妻として……レイモンド様とお嬢様の初めてのお食事を、とびきりハッピーで感動的なものにしなくてはなりません!」


 メラメラと燃えるアリシアの目を見て、ヨゼフは数歩後退った。悪い予感しかしない。


「お、奥様……何を……」


「そうと決まれば、まずはお料理から! 私、エリオットと相談して来ますね!」


 止める間も無く部屋を飛び出したアリシアを、二人は唖然としながら見送るしかなかった。


 ・・・・・


「エリオット! 今、お時間よろしいですか?」


 突然炊事場を訪れたアリシアの姿を見て、小心者のエリオットは飛び上がった。料理の仕込みの最中だったようで、お玉を持ったまま固まっている。


「お、奥さま! どうしたの……?」


「お料理の最中でしたか? お邪魔してしまったらごめんなさい……。今日のお料理も、とても美味しかったです!」


「わあ、ありがとう……です。奥さまが手伝ってくれるようになって、とても助かってるんだぁ。ぼく一人だと、全然手が足りなかったから……」


 エリオットは赤面し、コック帽を目深にかぶり直した。

 アリシアはメイドとして日々屋敷中を駆け回っており、炊事場の手伝いも申し出ていた。プロの仕事に手を出しては悪いかと遠慮し、調理はあくまでも補佐に留めていたが。


「今日ここに来たのは……来週のお食事の相談で。レイモンド様とブルーベル様が、一緒にお食事を取られるのはご存知ですか?」


「うん、知ってるよぉ! 珍しいから、すぐ噂が回ったんだぁ。奥さまも一緒だって聞いたよぉ」


「ご存じなら、話は早いです。……私、その日の食事を、とびきりハッピーで素敵で、感動的なものにしたいんです!」


 拳を突き上げるアリシアの迫力に押され、エリオットは訳も分からないまま拍手をした。


「ぼくもそうしてあげたいけど……そんな素敵なお料理作れるかなぁ……」


「貴方のお料理、一品一品はとても美味しいので自信を持っていただきたいのですが……レパートリーがちょっと少なすぎます。言い方が悪くてごめんなさいですけど……」


「が、がーん! それは、そう……そうなんだけどぉ……」


 ショックを受けたエリオットは、床にガクリと膝をついた。

 

「シチュー、ビーフシチュー、ポトフ……と回ると、またシチュー。『今日のメニューは何だろう?』とワクワクするような……ときめき的なエッセンスが足りないのです」


「うう、それはぼくも思っていたよぉ。でもぼく……故郷の町では見習いの料理人で、ここに来るまでお皿洗いしかしたことなかったんだぁ。だから料理は、まかないで作ってるのを眺めてた物くらいしか、レシピを知らなくて……」


「まあ! それでは、本当に調理の才能があるのですね。教わったわけでもないのに、シチューはどこのレストランにも負けないくらい美味しいもの! 見習いだったなんて、思いもしませんでしたわ」


 目を見開いて驚くアリシアを見て、エリオットはポッと頬を染めた。料理人としての自信がなかったエリオットに、その言葉が染み渡る。


 (奥さまは欲しかった言葉をくれる、不思議な方だなぁ……。)


 目の前のアリシアは、百面相をしながら一人で思案している。

 

 彼女は一日中屋敷を駆け回っていても、疲れた様子を見せたことがなかった。

 そして一日の終わりには必ず、お皿洗いを手伝ってくれた。お皿を拭きながら自分などとも心底楽しそうに会話をしてくれるアリシアに、エリオットも人として惹かれ始めていた。

 

 驚いたり笑ったり、クルクルとよく変わる表情を見ていると……自分もその笑顔を向けられるのに値する、価値のある人間なのではと思えてくる。

 

 そんなことを考えながら眺めていると、アリシアが「あ!」と手を叩いた。


「では私が、他のレシピをお教えしましょうか? 材料と手順が分かりさえすれば、貴方なら美味しく作れるはずです! もちろん私もお手伝いしますので」


「ほんと? いいのぉ?」


「もちろんです! 一緒にスノーグース家の食卓を盛り上げていきましょうね」


「……奥さまは奥さまなのに、お料理まで出来るなんて、すごいなぁ。今までの『奥さま』は、ぼく……話したこともなかったよぉ」


「私なんて、ただのしがないメイドですよ。それで、ええと……」


 アリシアは、キョロキョロと炊事場を見渡す。


「どうかしたの?」


「……やはり、食材は全て『冷凍』ですか?」


 炊事場には、料理の材料らしき物が見当たらない。常温保存されているであろう野菜や果物、パンなどが無いのだ。


「うん。スノーグース領ここに来るまでに、全部凍っちゃうんだぁ。野菜もパンもお肉も……。だからそのまま、氷の魔石の倉庫に入っているの。一度冷凍されると食感も落ちちゃうから、煮込むしかないんだよぉ。そう考えると、奥さまからレシピを聞いても、作れる料理は限られてくるかも……」


「そうですか……。食材は全て、商人から?」


「うん。ジャックっていう男の子が一週間に一度来て、必要な物を売ってくれるんだぁ」


 その名前を聞いた途端、胸がドキリと音を立てる。

 ジャック。かつての「アリシア」だった時にも屋敷に来ていた、商人の息子だ。あの頃は見習いの少年だったが……今はどのくらい成長しているだろう。


 アリシアは平静を装いながら、話を続ける。


「ここのお庭で、何か育てていたりは……?」


「とんでもない、一年中吹雪なんだから! そういえば……昔はあったかい日もあって、畑で収穫出来たとかセドリックが言っていたけど……。たぶん酔ってて、夢を現実を間違えたんじゃないかな?」


「……一度、セドリックに話を聞かなければなりませんね。どうして昔と、こうも変わってしまったのか」


 アリシアは小さい声で呟き、パッと顔を上げて微笑んだ。


「食材は、私が何とかします。元気の出る食事には、お日さまをたっぷり浴びて育った、新鮮なお野菜が必要不可欠なんです! レイモンド様とお嬢様のお食事会、一緒に素敵なものにしましょうね!」


 えい、えい、おー!と、二人は仲良く拳を掲げた。


 ・・・・・


 炊事場を出て、アリシアは一人屋敷を歩いていた。

 セドリックの部屋は、聞かなくても分かる。二階の端の、庭が一番良く見える部屋だったはずだ。


 しばらく歩き、古ぼけたドアの前まで辿り着く。静かにノックをすると、部屋から呻くような返事が聞こえてきた。アリシアは軋むドアを開け、ゆっくりと部屋に入る。


 部屋に踏み込んだ途端、ムワッと広がるワインの香りが襲ってきた。部屋の奥のソファには、真っ赤な顔をしたセドリックが崩れるようにして座り込んでいた。


「……なんだ、嬢ちゃんか。こんな所に、何の用だ?」


 セドリックはしゃくり上げながら、アリシアの方を振り向いた。

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