気ままな三毛猫は反省しない
nobuo
~どんな時でも一蓮托生?!~
***
「ふぃ~、あちぃ…」
背中に会社のロゴがプリントされた青い作業服を着た青年は、顳顬こめかみから頬へ流れ落ちた汗を袖口で拭いながら立ち上がり、う~んと腰を伸ばした。
長時間同じ姿勢でせいで体中が凝り固まり、肩も腰もミシミシと痛む。それもそのはず、腕時計を見れば四時間もぶっ続けで作業していたようだ。
開け放たれた窓から臨む空は清々しく晴れており、太陽に熱せられた風が素通しの部屋の中を吹き抜けていったが、残念ながら涼しさは感じられない。
「おーい、そっちはどうだ―?」
襟元に風を送りながら階下に向けて声を掛けると、ドスンガタンと荒々しく響いていた物音が止み、トタトタと軽い足音が聞こえたのちに鈴を転がしたような少女の明るい声が返って来た。
「こっちはもうほとんどオッケーだよ!」
「本当か~?」
自信満々の彼女の返答を疑う青年。なぜなら長くはないが短くもない付き合いの中で、彼女の大雑把な性格を嫌というほど把握しているからだ。
青年は汚れた軍手のままガシガシと頭を掻くと、億劫そうに階段を下りてゆく。年季が入っている上に長らく放置されていた家屋の階段はギシギシと悲鳴を上げ、今にも抜け落ちそうで怖い。
一階に下りた彼は無造作に転がるダンボール箱を避けながら、声がした奥の部屋を覗き込んだ。
「おいキアラ…って、お前。それで片付けてるってよく言えるな」
「へ?」
仕事の邪魔にならないよう、ラベンダー色の長い髪をツインテールにしたキアラは、鼻の頭を埃で汚したまま、キョトンと振り返った。
彼女は青年と同じ作業服姿だが、よほど暑いのか袖と裾を可能な限り捲り上げた格好で、壁一面に設えられた立派な本棚から抜き出した書籍を、投げ入れるようにして段ボール箱に詰めていた。
暫く開かれることがなかった本は脆くなっているらしく、雑な扱いに所々が破けている。
「お~ま~え~。これはクライアントに渡す物なんだから、丁寧に扱えって言っただろう?」
「えー? もともとボロっちかったんだよ。あたしのせいじゃないよ!」
「もとからボロだからこそ大事にしろよ。どうすんだよ。あとから修繕費なんか請求されたら」
「えっ! ヤバい! き、気を付けるっ」
キアラは髪色よりも濃い紫の瞳を大きく瞠り、手にしていた本をわざとらしいくらい丁寧にダンボールへと詰めた。
二人は業務代行が主な仕事である委託会社【Calico/Cat/Company】、略して
C/C/Cは十数年前に大学生が立ち上げた会社で、
今回の仕事は病床に伏した老人からの依頼で、祖父の弟の妻の甥という、もう親戚ともいえない間柄の親族がだいぶ前に亡くなっており、身寄りがないせいで何年も放置されていた空き家の片付けと解体が業務内容だ。
甥は大学の教授だったそうで、膨大な量の価値ある専門書や論文が置きっぱなしになっているらしく、それらを勤めていた大学や図書館に寄贈し、建物は解体してほしいとのことだ。
そして任されたのはこの二人。ガサツだけど明るく素直な入社二年目の元アイドル・キアラと、彼女とタッグを組む入社五年目の凡庸な青年・トール。彼らは三日前からここ、都北地方の寂れた片田舎に建つ古い洋風の一戸建てで、整理作業を黙々と進め、漸く終わりが見えてきた。
「さて、もう目ぼしいものは無さそうだな」
「やったー! やっとめんどくさい作業から解放されるぅ!」
最後にすべての部屋を確認してそう判断すると、疲れ切っていたキアラの顔がパアッと輝いた。細々とした作業が苦手のキアラにとって書籍の分別と梱包は大変だったらしく、真っ黒に汚れた軍手をしたままバンザイをして喜んでいる。
一方トールはもともとインドアタイプで一人コツコツ型なため、細かな仕分け作業は苦にならない。
用意していた幌付きのトラックにダンボール箱を詰め終えると、後部フレームをあげてロックする。だが彼らの作業はこれで終わりではない。まだ解体作業という大仕事が残っているのだ。
「よし。じゃあ俺は隣近所に解体作業について話してくるから、お前は立て看板を設置してくれ」
「オッケー!」
調子はずれの鼻歌を歌いながら、荷台の端に置いてある看板を引っぱり出すキアラに苦笑しつつ、トールは周辺の家々へ向かう。絶対に大丈夫だと断言できるが、解体作業中に事故が起きたらと心配する近隣住民への説明は必要不可欠だ。
一通りやることをやって合流した二人は、インカムを装着してそれぞれの配置につく。キアラは空き家のほぼ真ん中である二階の廊下へ、トールは玄関前に立って家屋全体を見上げた。
「キアラ。用意はいいか?」
『オッケーだよ! 準備ができたら合図して!』
ヘッドフォンから直接鼓膜に届くキアラの声に頷くと、トールは野次馬している近所の方々に近づかないよう勧告し、両手を空き家に向けて力を発動した。
「はぁぁぁぁぁぁっ、聳そびえろ! ”
手のひらに力を籠めると、どこからともなくゴゴゴ…と地鳴りのような音が響き、敷地を囲むように次々と地面から壁が
『トール~、もうい~い~?』
「…ッ、よし、いいぞっ」
『オッケー!』
キアラの呑気な問い掛けに、力を発動中のトールは歯を食いしばりながらOKを出す。すると直後、空き家の真上の空の色が夜明けのような紫紺に変わり、星を散りばめたようにキラキラと光り出した。
『いっくよ~! キアラちゃんのぉ、”なーっくるぼんばぁぁぁっ”!』
インカムからの掛け声と共に遥か上空に現れたのは、半透明の超巨大なボクシンググローブ。なぜかピンクのハート柄の
隕石が目の前に落下したような地響きに、離れた場所にいる野次馬たちは悲鳴を上げている。
「くぅぅぅぅぅぅっ!」
破壊の衝撃を抑え込むため、トールは力を増幅させて壁を強固に保つ。更には建材の破片や舞い上がった土埃などが周囲に飛び散らないよう壁を湾曲させ、ドーム状にして舞い散る瓦礫を包み込んだ。
脆くなった空き家とはいえ、家屋を一撃で粉々に破壊する衝撃を抑え込むにはそれ相応の力が要る。ビリビリと手のひらに伝わる振動はかなりのもので、指の関節がぎしぎしと痛んだ。
やがて視界を遮っていた土埃が落ち着き、家が建っていた場所が見えてくる。そこにはもう建物と呼べるものは無く、無残にも破壊しつくされた瓦礫があるのみだ。
トールは近隣に被害が出ていないことを目視で確認してから壁を消すと、瓦礫の山からのそりとキアラが這い出てきた。
「ひゃ~、ちょっと張り切り過ぎたかな~?」
埃まみれのキアラはきょろきょろと周囲を見渡し、頬を掻きながらへらりと笑った。
「おい、大丈夫か?」
「うん? 全然ダイジョウブだよ?」
たどたどしく危なっかしい足取りで瓦礫の山から下りてくるキアラに手を伸ばせば、彼女は大丈夫だと言いながらもその手に掴まった。手を繋いだことが気恥ずかしかったのか、トールを見上げてエヘヘと笑った顔が可愛らしく、確かに元アイドルなだけあると改めて思った。
「お前そうして笑ってると、ホント可愛いんだよなぁ」
「!」
ぽろっと零したトールの言葉に、キアラの顔がボンッと赤く染まる。ひょろりと背の高いトールの鎖骨ほどしかない小柄なキアラは妹を思い出させ、ほのほのと懐かしい気持ちになる。が、一方のキアラは確かにアイドル時代はファンからファンレターやプレゼントと共にたくさんの賛辞を贈られていたが、普段まったくキアラの外見に関心を示さないトールが呟いた飾らない誉め言葉は、鏃やじりとなってキアラの心臓を射抜いた。
「トール…あの、あのっ…」
「? どうしたキアラ。トイレか?」
「!!! ち、ちが――—う!」
あくまでも妹にする態度のトールにムカッと来たキアラは、掴んでいた手を振りほどくと力任せに彼の鳩尾へパンチをお見舞いした。
「ぐほっ!」
「トールのばかーっ!」
腹を抱えて蹲ったトールを置き去りにして、トラックへ戻ったキアラは乱暴に無線機を手に取ると、本社のオペレーターへ作業が終了したことを知らせた。
『お疲れ様。では瓦礫処理のための残務処理班を向かわせますから、あなたたちは回収した荷物を持って帰社してください。…そういえばトールはどうしたの?』
「あー、えーっとぉ…」
オペレーターの問いに言い澱んだキアラは、背後をそろりと振り返る。すると瓦礫の上でぐったりと倒れ伏したトールの黒髪が、カラスに突っつかれていた。
***
統合暦三八一年(旧暦一〇三六年)、六月某日、晴れ。
有限会社【Calico/Cat/Company】の広くない社長室では、呼び出された二人の社員が緊張した面持ちで、執務机の前に並んでいる。
一人は入社五年目の男性社員トール。年齢は二十九歳独身で、黒髪黒目の平凡な容姿の青年。もう一人は入社二年目のルーキー、キアラ。成人して間もない十九歳の女の子で、毛先をくるりとカールさせたラベンダー色の髪をツインテールに結った、大きなアメジストの瞳が印象的な元アイドルという経歴を持つ美少女だ。
そんな凸凹な二人を革張りの椅子に座ったまま見上げているのは、C/C/Cを立ち上げた創業者でもある社長兼会長のケンゾーで、彼の背後で静かに微笑みを浮かべて佇んでいる金髪美女が、C/C/Cの影のボスと囁かれている社長秘書のマリナだ。
「さて、君たちを呼び出したのは依頼についてなんだが」
ケンゾーがそう切り出した途端、二人の体がビクッと揺れた。特にキアラの顔色は青を通り越して白くなっているし、トールは苦虫を噛み潰したような表情で天井を仰いだ。
「実は…」
「す、すみません!」
ケンゾーの話を遮って、突然キアラが大きな声で謝った。
「本を破いちゃったのはあたしです! 細かい作業好きじゃないのに、ずっと同じことしてて疲れちゃって! トールに注意されてからは気を付けてたけど、何冊かはちょっと…けっこう破けちゃったと思います…」
ゴメンナサイと深く腰を折ったキアラを横目に見ていたトールも、お手本のような角度で頭を下げ、ケンゾーに謝罪した。
「キアラのせいだけじゃないです。先輩として監督不行き届きだった俺の責任でもあります。申し訳ございませんでした」
「トールぅ…」
感激したように潤んだ眼差しで見上げてくるキアラに、トールは安心させるように微笑みかけ、そして改めてケンゾーに頭を下げた。
「キアラがガサツなのはわかっていたことなのに、注意が足りなかったのは俺の落ち度です。飽きっぽいし、注意力も散漫だし、幼稚園児の方がよほど言うことを聞くってわかってたのに、目を離してしまい申し訳ございませんでした」
「へ?」
「おまけに能天気で大雑把で、スキルを使う時も俺がフォローしてやらなければ、どれくらい周囲に被害が出ているかわかりません」
「…」
「本当に手のかかる妹分ですが、素直に反省しているので、今回はどうか、どうか大目に見てやってください。お願いします!」
トールが嘆願して顔を上げると、ケンゾーは口元を手のひらで覆って肩を揺らしており、彼の後ろではいつも通りの微笑みを浮かべるマリナが、なぜか虚ろな目で窓際に置かれた観葉植物を見つめている。
二人の不自然な様子に首を傾げていると、隣から地の底を這うような低められたキアラの声が聞こえてきた。
「ト~ル~…」
「ん? どうしたキアラ、そんなヘンな声出して…ごふっ!」
俯いてプルプル震えているキアラを覗き込むと、彼女はキッとトールを睨みつけ、握り締めた拳を容赦なくトールの顔面に叩き込んだ。
「~~~ッ」
「トールのあほんだら~っ」
豪快にひっくり返ったトールを振り返ることなく、泣きながら社長室を飛び出していったキアラの背を見送ったケンゾーは、今度こそ声をあげて笑い出した。
「ふっくっくっく! 仲が良いようで何よりだね」
「…どこをどう見たらそんな言葉が出てくるんですか?」
ズキズキと痛む鼻を擦りながら立ち上がったトールは、恨めし気にケンゾーを睨む。そんな彼の態度も楽しいらしく、ケンゾーは眦を拭いながらトールにソファーへ座るよう勧め、マリナにお茶を頼んだ。
「いや、君もそうだけど、キアラがあんなにも率直に感情をぶつけられるなんてね。ウチに引き抜いてきた時には男性不振が酷かったのに、たった二年ですっかり克服できたようだ」
「その代わり俺の苦労が増してますけどね」
今でこそ明るく素直なキアラだが、C/C/Cに入社したばかりの頃はマリナや他の女性スタッフにばかりしがみ付いていた。ケンゾーから社長命令だと半強制的にトールとバディを組まされたのが気に入らなかったのか、初めは何度か仕事をボイコットもされた。
こっそり聞かされた事情によると、中学一年生からアイドルグループに所属していたらしいのだが、高校生になってから悪質なストーカーに付き纏われ、ポストやゴミ袋が荒らされるなどプライベートを覗かれた上に個人情報をばら撒かれたそうだ。
事務所が警察に被害届を出して接近禁止命令が出たにも拘らず、付き纏いは続き…いや、更にストーカー行為は悪化し、とうとう自宅に侵入された。
力尽くで押し倒された恐怖から無自覚だったスキルが発動して難を逃れることができたけれど、犯罪者とはいえ人一人半殺しにしてしまった事実がある以上アイドルは続けられず、解雇されたそうだ。
ストーカー男だけでなく、暫くゴシップ系週刊誌の男性記者にも追い掛けられたそうで、当時のキアラはすっかり男嫌いになっていたという。
マリナから受け取った湯呑みに口をつけると、緑茶の良い香りが鼻腔を擽り、ホッと心が落ち着く。祖父母と一緒に暮らしていたトールは、コーヒーや紅茶よりも緑茶の方が馴染み深かく、好みでもある。
祖父母は、そして三つ年下の妹は元気で暮らしているだろうかと郷愁にかられ、決して消えない胸の内に積もった澱を飲み下すべく、トールはお茶を一気に飲み干した。
「まあ、憎まれ口や軽口を叩き合えるっていうのは、ある意味気を許している証拠だ。キアラのバディに君を選んで正解だったよ。
嬉しそうにそう言われてしまえば、否定などできない。トールは背筋がむず痒いのを我慢した。
このC/C/Cでは、入社に際して特定の条件がある。それは”スキル持ち”であること。千人に一人くらいの割合で存在する”スキル持ち”。その能力は多種多様で未知数、普通の人間にとっては憧れる反面恐れられてもいるらしい。
ちなみにキアラは圧縮した空気の塊で攻撃するスキルで、トールのスキルは次元という形の無いものを壁として具現化させ、結界を作ることができる。
「ところで話は変わるけれど、次の依頼の話は聞いたかい?」
「いえ、まだ」
「そう…」
訊ねておいて先を話そうとしないケンゾーの様子を訝しく思い、トールは眉を顰めた。
「言い難いほど厄介な依頼なんですか?」
「いや、まあ…そうだな。なにせ警察から頼まれたんでね、きっと碌なことじゃないと思っていたら、案の定そうだった」
断れなかったのかと聞けば、ケンゾーは持ちつ持たれつだよと苦笑した。まあC/C/Cがスキルを使って起こした騒ぎを大目に見てもらうこともあるので、仕方が無いのだろう。
「とにかく、マリナがOKしたので依頼は受けた。そこで
「え? 俺単騎でユリたちとですか?」
「そう。キアラのトラウマに触れそうだからね」
他のペアと組むなど滅多にない。詳細はユリから聞くように言われ、社長室を後にした。
思案しながら向かったオフィス兼待機室では、膨れっ面でアキヅキにしがみ付いているキアラと、スマホを片手に二人を楽しげに見ているユリがいた。
「よ、トール。社長の小言は終わったか?」
赤い髪をポニーテールにしたユリが、トールに気が付きキシシと意地悪そうに笑い、無口で無表情なアキヅキはキアラをコアラのようにくっつけたまま、紺色のボブヘアーを揺らしてペコリと会釈した。
「小言じゃねーよ。それより次の仕事について、お前らに聞けと言われたんだが」
「ああ。あー…」
ユリが言葉を濁してキアラを見る。すると、目が合った彼女は小首を傾げた。
「キアラ。仕事の話をするから、一旦アキヅキから離れて」
「え~。このままでもちゃんと聞けるもん」
「キアラは聞く必要はないよ。メンバーに入ってないから」
「え! なんで?!」
噛みつく勢いで訊ねられたユリは、社長命令だからと端的に応えた。
「次の仕事はストーカー男が住んでいた家だからって、アンタは外されたの。文句なら社長に言いな」
「…ッ」
ストーカーと聞いてキアラの肩がビクッと揺れた。ハクハクと何かを言いたそうに口を開け閉めしていたが、結局何も言わずしょんぼりと部屋を出て行った。
「可哀そうだけどしょうがないね。いざっていう時にフラッシュバックが起きたら大変だし」
「わかってる。あとで俺がフォローしとくよ」
「よろしく。じゃあ気を取り直して、今回の依頼についてだが———」
そう切り出したユリの説明によると、ケンゾーが言っていた通り警察からの依頼だった。
場所は連続殺人事件の犯人と思われる男の自宅で、郊外にある一軒家だ。
トールたちがニュースなどで得ていた情報では、男が一緒にいたと目撃証言のある女性が、男の父親が所有する山中で遺体で発見され、鑑識が捜索に入ったところ、更に二体、女性と思われる白骨死体が発見されたというところまで。
だが警察から提示された書類には、周辺地域で行方不明の女性の内の数名が男と接点があることがわかったため、あと少なくとも五人の被害者がいるのではないかと予測されているらしい。
連続殺人事件の容疑者として名が挙がったが、決定的な物証も証言も無く捜査は難航していた上、数日前に男が拘留中に急死したことで、ますます暗礁に乗り上げてしまったという。
「そこでC/C/Cのスキルを頼ってきたわけさ」
「頼られても…もう鑑識かなにかが自宅だって調べ尽くしただろう? なにも出なかったのか?」
「そうみたいだね。でも十数年前に木材やセメントなんかを大量に購入した記録が見つかって、もしかしたら隠し部屋でも作ったんじゃないかと考えたらしい」
「隠し部屋? 自分で? そんなマンガじゃあるまいし」
「いや。男は無職だったから時間は有り余るほどあった。小型であれば重機の運転もできたそうだから、警察も可能だと考えたんだろうさ」
生家は大地主で、いくつものマンションやアパートを経営しており、多額の家賃収入があったため、男は働きに出ることも家業を手伝うこともせず、五十を過ぎても自由気ままな生活をしていた。
若い頃に何度かストーカー行為で厳重注意を受けており、当時被害を受けた女性は男の異常性を証言したという。
「山で見つかった遺体の写真も見るかい? 被害者の証言からしてもホント、異常で気持ち悪いよ」
渡された資料に目を通すと、被害者は自宅にウェディングドレスを送りつけられ、「結婚式が待ち遠しい」「早く君とずっと一緒にいたい」などと妄言を書いた手紙が毎日のようにポストに入っていたらしい。
添付されていた写真の遺体も白いドレスのようなものが着せられており、男の異常な執着心を如実に表している。
「俺らの仕事は、隠し部屋があるかどうかを調べ、あったらそこに他の被害者がいるかを確認して、警察の鑑識が入れるよう通路を確保すればいいんだな」
「ああ。アキヅキのスキルで大体の見当がつけば私が力ずくで開けるから、トールにはその間、壁や天井が崩れないように支えておいてほしいんだ」
「了解」
ユリの計画にアキヅキはコクコクと頷き、トールも了承した。
アキヅキの持つダウンジングのスキルで場所を特定し、ユリの怪力のスキルで強引に道を作る。当日は警察関係者も同行するため、彼らの安全を確保するためにトールが選ばれたのだろう。
トールは細かな手順を頭に詰め込みながら、しょんぼりと部屋を出て行ったキアラの後ろ姿を思い出していた。
***
「ツいてねー…」
容疑者宅の荒れた庭に停車したワゴンタイプの社用車の後部ドアから顔を覗かせたユリは、せっかくの美貌を歪めて大粒の雨を降らせる濃灰色の雲を睨んだ。
梅雨時にも拘らず一昨日までは清々しく澄み渡っていた空は、昨夜の零時を回った直後から崩れ出し、猛烈な雨がビシャビシャと耳障りな音を立てて泥跳ねを撒き散らかしている。なのに隠し部屋=屋内だと思っているのか、警察は日時を変更することなく捜索を決行した。
「なんで雨天中止にしないんだよ。こちとら家の中だけじゃなく敷地内全体を歩き回って探さなきゃならないっつーのに、アイツらは場所が特定されてからの出番だからって車で待機だ~あ?」
「聞こえるぞ、ユリ。仕方がないだろう。役割が違うんだから」
ぶつくさ文句が絶えないユリを諫めている間にも、アキヅキは作業服の上からレインコートを着込み、可愛げのない長靴に足を突っ込んでいる。
ダウンジングの範囲が半径五メートルとそれほど広くないため、彼女は家屋の周囲から草だらけの庭、野晒しにされて錆だらけの鉄屑になり果てた自動車が複数ある駐車スペースまで、くまなく歩かなくてはならない。損な役目だ。
そして一緒に行動するアキヅキのバディであるユリと、助っ人のトールも同じ格好をしている。些か梅雨寒でひんやりしているとはいえ、レインコートの中は蒸していて暑い。
そして警察側から同行するのは、中年の刑事と鑑識官が一名ずつ。興味と疑心半々の眼差しで、C/C/Cの三人の言動を具つぶさに観察していた。
「さて手始めに家の周りから始めるか」
「ん。”
ユリの合図に車を降り、土砂降りの中を練り歩く。探索のために地面に向けて広げたアキヅキの左手は次第に冷えてゆき、生爪から赤みが失われていく。
「あ、反応…」
アキヅキが漸く足を止めたのは、探索開始から三時間以上も経った頃。家の中はもちろん、敷地内の見える範囲のほとんどを歩き尽くし、念のためにと家屋の裏側にある、雑草に埋もれた古くてボロボロの小屋の前でだった。
「ここは?」
「風呂場です。と言っても何十年も使われた形跡の無い、玉砂利を埋め込んだようなタイル張りの五右衛門風呂です。床も壁面もかなり傷んでいて危ないので、中には入らないでください」
ユリが同行している刑事たちに訊ねれば、鑑識官が手にしていたファイルを捲り説明した。鍵は中から閂で閉めるタイプのようで、軽く引いただけで扉は軋んだ音を立てて開いた。
「確かに使ってなさそうだ。蜘蛛の巣と埃がすごいな」
「雨漏りもね。見て、梁や風呂の蓋が腐ってる」
ホラー映画やホラーゲームでしか見たことがないような光景に、皆が眉間にシワを寄せた。
「ここはすでに調べましたが、なにもありませんでした。…間違いじゃないんですか?」
アキヅキに向けて訝るような視線を向ける刑事たちに、本人よりも先にユリが牙を剥いた。
「ちょっと! アキヅキの力を疑うっていうの!」
「いや、そういうわけじゃ…」
「じゃあなんだっていうのよ!」
ぎゃいぎゃいと騒ぎだしたユリたちを余所に、トールは小声でアキヅキに訊ねた。
「まだ反応はあるか?」
「ある。ここの下方、空間」
はっきりと告げたアキヅキに頷きを返し、トールは一人で小屋を念入りに調べ始めた。
腰の高さほどもある伸び放題の雑草を掻き分け、放置されているガラクタや朽ちた木片を避けていくと、小屋の裏の足下に凹みが見つかった。
きっとここで薪を燃やして風呂を沸かすのだろうと考え、屈み込んで奥を覗き込む。すると凹みの上側に、五右衛門風呂に必要とは思えない小さなスイッチを発見した。
(なんだ?)
試しに押してみると小屋の中でガチンと金属音がし、微かにモーターのような振動音がする…気がする。
「もしかして当たりか?」
慌てて表へ回り込み、刑事が止めるのも聞かずに中へ駆け込むと、耳を澄ませて振動音を辿った。
「やっぱりここだ。風呂の底から聞こえる」
「トール?」
ユリの呼び掛けにも応えずに身を乗り出して底面を調べると、タイルの一つが押しボタンのように沈み、次の瞬間、風呂の底は自動車のスライドドアのように横にずれ、地下への階段が現れた。
「「!」」
「見つけたよ」
驚愕に目を丸くする刑事と鑑識官に反し、ユリは腕組みをして偉そうに踏ん反り返っている。ともあれ先に進む道が現れた。
邪魔なレインコートを脱ぎ、スマホのライトを懐中電灯代わりに階段へ踏み入る。明らかに素人仕事と見てわかる、セメントを塗り固めただけの壁面や天井はヒビだらけで、今にも崩落しそうだ。
凸凹の階段を慎重に下りてゆくと、やがて正面に頑丈そうな金属の引き戸が現れた。
開けようと試みたが、やはり動かない。小さな鍵穴があるが、肝心の鍵は無い。
「よし、漸く私の出番だな!」
ぎゅうぎゅうと無理やり先頭に出てきたユリは、トールに結界を張るように指示すると、突き出した両手の指先に意識を集中させた。
「出てこい! ”
「わっ、待て!」
見る間に鋭く長く伸びた指先はライトを反射して鈍色に輝く。そしてトールが結界を張るや否や、目にもとまらぬ速さで取っ手の脇に突き刺した。
「おりゃあっ! ぐぬぬぬ……はああああああっ!」
女性のものとは思えないユリの雄叫びと同時に、ベコベコと金属製の引き戸は蛇腹状に折れ曲がり、まるでアコーディオンカーテンのように開いた。
無理に開けた衝撃で天井に亀裂が入り、パラパラと細かな破片が落ちて結界に当たる。
「強引すぎるぞユリ! 俺たちを生き埋めにする気か!」
「大丈夫大丈夫。そのための助っ人要員じゃないか」
親指を立ててキシシと笑うユリに、トールは諦めたように嘆息した。
部屋の中はプールのような消毒のニオイが充満していた。スマホのライトだけではほとんど何も見えず、真っ暗闇の中をそろそろと進むのが精一杯で、探索などしようがない。―――とその時、天井の照明が点いて一気に室内が明るくなり、一同は驚いて振り返った。
「………ごめん」
壁際でスイッチを押した格好のまま固まっているのはアキヅキ。いつも通りの無表情ながら、どこか申し訳なさそうな雰囲気を感じさせる。
とにかく明るくなったのはありがたい。改めて探索を開始しようと室内へ視線を戻した一同は、異様な光景に息を呑んだ。
「これって…」
部屋は二十畳くらいのワンフロアだ。床には幾何学模様の絨毯が敷かれ、一人掛けの布張りのソファーが、中央にぽつんと置かれている。
壁際には縦長のガラスケースが十個ほど並べてあるが、汚れて曇っているために中は見えない。微かに黄色味を帯びた白いものが入れられているのがわかる程度だ。
だが何よりも一番に一同の視線を奪ったのは、正面の壁を覆い尽くすような超巨大な額縁。大きく引き伸ばされたウェディングドレス姿の女性の写真が、大切そうに美しい花のレリーフが施された豪華な額縁に入れられ飾られていた。
「死んだ男って独身だよな? じゃあこの引き伸ばした写真って…」
「この女性は男の母親ですね。彼が生まれて間もなく亡くなったそうで、男の父親の家を家宅捜査した際、これと同じ写真を見た覚えがあります」
「うぇ、キモ…。マザコンかよ」
愕然と呟いたトールの問いに刑事が険しい表情で答え、それを聞いたユリが嫌悪に顔を歪ませた。そんなユリを少し離れた場所からアキヅキが呼ぶ。
「どうした?」
「ユリ、これ、反応ある」
僅かに青褪めてガラスケースを指差すアキヅキ。それだけで意味を察した面々は、一様に表情を強張らせた。
「これ全部に? まさか中に被害者の女性が…」
驚愕に目を瞠る刑事を余所に、鑑識官がケースを調べる。四方から写真を撮り、軽く叩いてみた結果、難しい面持ちで首を横に振り、見解を告げた。
「どうやら防弾ガラスのようですね。ただ衝撃を与えても割れないでしょう」
「じゃあ今は中を確認することはできないんだな?」
「はい。それに問題が。あの狭い階段からどうやってこのケースを外に出せばいいのか…」
見るからに階段とガラスケースのサイズが合わないため、ケースごと地下から出すのは不可能だ。ならば機材を持ち込んでガラスを切断し、被害者をケースから出して搬送するのなら―——
「その方法もどうでしょうか。防弾ガラスを切断するのには時間がかかります。床や天井、それに壁も劣化して脆くなっているので、作業中の振動でも崩落に繋がるかもしれません。それが証拠にほら、雨が浸みて壁が濡れているし、さっきから細かな破片が落ちてきています」
「なっ?! ではどうしたら…」
刑事の視線がトールに向けられた。先ほどスキルを発動させて、安全を確保したのを見ていたからだろう。だが、
「無理だ。俺の結界では不完全だ。力の流し方で多少は形を変えられるけれど、全方向を補うことはできない」
「そうさ。それに作業がどれくらい続くかわからないだろ? その間ずっと発動してなんていられないよ」
「なぜ?」
「当り前だろう。じゃあ何かい? アンタは何時間も全速力で走り続けられるのか?」
「!」
ユリの言葉に刑事たちは驚きを隠せないようだ。
知らない者からすれば、スキルは無制限に使える便利な力のように見えるのだろうが、所詮は人間が発する力の一つなのだから、腕力や脚力と一緒で、使い続ければ疲労する。当然だ。
「とにかく一旦ここを出よう。方法を考えるのも外ですればいい」
なにやら嫌な予感がして地上へ戻ることを提案すると、刑事以外は賛成した。
「せめて一つだけでも開けてくれないか? さっき彼女が見せた怪力なら、防弾ガラスだって壊せるだろう?」
「それはやめた方がいいでしょう。さっきも言った通り、この地下室はいつ崩落してもおかしくない。万が一天井が崩れて埋まったとしても、この頑強なガラスケースの中ならば、破損は最小限で免れるかもしれません」
「…ッ」
必死の形相で頼まれたが、それを断じたのはユリではなく鑑識官だった。確かに彼の意見は尤もで、ケースから出された被害者を運ぶ方法も無い今、無闇に手を出すべきではない。
納得したと判断して歩き出した一同だったが、階段に差し掛かったところで背後から鼓膜を破らんばかりの破裂音が響いた。
慌てて駆け戻れば、刑事がガラスケースに向かって銃を構えている。そして銃口の先にあるケースには、小さな凹みを中心に広がる無数のヒビ。
「やはりダメか…」
「ダメかじゃないよ! アンタ何して———」
ユリが怒りに任せて刑事に掴み掛った瞬間、足元から唸り声のような地響きが鳴りだした。音は次第に大きくなり、振動が加わり、床や壁に稲妻のような亀裂が走った。
「ヤバい崩れるぞ! 走れ!」
トールの叫びに皆が一斉に階段へ向かう。その間も床は崩れ落ち、天井からは剝がれた瓦礫が雨のように降ってくる。
「足元は支えるから、とにかく走れ! ”Dimension wall”!」
最後尾から結界を張って脱出をサポートする。走りながらのスキル発動は難しく、気を付けないと足が縺れて転びそうだ。
スマホのライトを点ける余裕も無く、暗い階段を勘を頼りに必死に駆け上がる。こんなに長かっただろうかと不安に駆られたその時、トールの頭上が大きく崩壊した。
(あ…。俺死んだわ)
迫る瓦礫に死を覚悟した彼の脳裏には、これまでの人生や家族の顔が、走馬灯のように浮かんだ。
そして最後に思い出したのは、なぜかしょんぼりと肩を落としたキアラの後ろ姿。仲直りできないまま死んでしまうことが、悔まれて仕方がない。
(願わくば、次はもっと彼女と寄り添えるバディが現れ、ずっと笑顔でいられるよう―——)
「キアラ…元気でな」
「トールもね! ”なっくるぼんばーっ”」
瞼を閉じたと同時に間近で聞こえたのは、耳慣れた少女の声と衝撃音。目を開ければ正面には暗い地下階段ではなく空が広がっており、分厚い雲の隙間から覗く青空をバックに、ツインテールのシルエットがそこにあった。
「危機一髪だったね! トールっ」
振り返った少女の髪が彼の頬を撫で、アメジストのような紫の瞳が、笑みの形に細まる。
なぜここにいるのかとか、ユリたちは無事なのかとか、聞かなければならないことがあるのに、キアラに生きて会えた感動のせいで、トールはなかなか言葉が出てこなかった。
「……キアラ、お前…来てくれたのか?」
「うん! あたしたちは二人で一組だからね。助け合うのは当たり前だよ!」
えへん! と胸を張ったキアラ。その言葉は二年前、トールが何度も何度もキアラに告げた言葉だ。
男性不振でトールと協力しようとせず、突っ走ってはミスばかりしていた当時のキアラに、フォローしては必ず掛けていたお決まりのセリフ。『バディなのだから助け合うのは当然だ』と。
温かいもので胸が満たされたトールは、キアラと共に地上へ向かった。階段が崩れたために手を貸し合って通路を攀じ登り、漸く外へ出ると雨はすっかり上がっていて、爽やかな風が吹いていた。
(ん? 風?)
違和感に首を傾げたトールの足下には、粉々になった木材の破片やタイルの欠片が散乱していて…。
その有様に事態を把握したトールは、サーッと顔色を悪くした。
「キ、キアラ? ここに建ってたはずの小屋は…?」
「え~とぉ、吹っ飛ばしちゃった?」
「…」
「コッパミジン?」
テヘッ☆とあざとく小首を傾げたキアラに、トールはくらりと眩暈がした。
「おま、お前…吹っ飛ばしたって?!」
「だってキンキュージタイだったんだもん! それにあんな汚いところに入りたくないし!」
「だからってぶっ壊してもいいってことじゃないだろう!」
ぷくっと頬を膨らまして抗議してくるが、そういうことじゃない。
風呂場自体も証拠品の一つだったはず。それを破壊してしまったとなれば、始末書だけでは済まされないだろう。
解雇まではされないかもしれないが、謹慎処分や減俸は確実。懐に大打撃だ。
縋すがる気持ちでユリとアキヅキを見れば、ユリは肩を竦めて首を横に振っているし、アキヅキに至っては合掌してトールたちの冥福を祈っている。
とうとう頭を抱えて蹲ったトールの肩を、キアラは呑気にポンポンと叩いた。
「元気出してよトール。ダイジョーブだって! 二人で協力し合えば、どんなことだって乗り越えられるよ!」
「…」
虚ろな目をして顔を上げたトールへ、キアラはアイドル時代に培ったと思われるキラキラの笑顔で、親指を立てて自信満々に宣った。
「だってあたしたちはバディだもん! ねっ?」
気ままな三毛猫は反省しない nobuo @nobuo
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