帰還勇者と新世界~聖剣の勇者をもう一度~

根古

序章

勇者Ⅰ

 異世界に憧れていた。


 未知の世界で特別な力を持ち、皆を救うヒーローのサクセスストーリーに憧れた。


 だがそんなものはただの妄想で、あり得ない夢物語だ。

 いや、あり得ない、そう思っていた。

 あの日までは。


――


 中学生活もようやく馴染んできた夏。

 すっかり日も落ち、月明かりが街を照らす中、如月颯太きさらぎそうたは一人帰路についていた。


「ふぅ……」


 上り坂を上り一息をつくと、額に汗が流れるのを感じる。

 もうすっかり夜だというのにこの暑さにはうんざりする。

 早く家に帰ってシャワーを浴びたいものだ。

 その思いが颯太の足取りを速める。


 しかし、突如として颯太は立ち止まった。


「なんだこれ……」


 突然の眩暈、耳鳴り、そして吐き気。

 とても我慢のできない状況に、その場でうずくまる。

 体感にして数十分の間、必死で苦しみに耐えるしかない。

 やがて症状は嘘のように治まり、息を整えながらゆっくりと顔を上げた。


「……は?」


 颯太の口から困惑の声が漏れた。

 見慣れぬ草原、照り付ける太陽、そしてどこまでも続く地平線。

 それはとても住宅地とは思えない光景が目の前に広がっていた。


「な、なにが……」


 目の前の信じられない光景に呆然とする。

 ここは一体どこなのか、どうしてこんな場所にいるのか、まさか幻覚でも見ているのか、そんなことさえ考えてしまうほどだった。

 しかし照り付ける日の光は間違いなく颯太の肌を焼き、吹き付ける風は紛れもない草花の匂いを運ぶ。

 まるでこれが現実であると突きつけるかのように。


「どうなってんだよ……」


 そんな颯太の呟きも、柔らかな風と共に空へと消えていった。



 しばらく茫然していた颯太だったが、いつまでもこうしているわけにもいかないと思い立ち上がる。

 まずは自分の身に何が起きたのかを確認することにした。

 服装は制服のままで、カバンの中身も変わっていない。

 そこで思い当たったかのように颯太は慌ててポケットの中に手を伸ばす。


 手に持ったのはスマートフォン。

 現代の便利機器であり、今となっては使わない時はないといってもいいほどの優れモノだ。

 しかしここにおいてはそうではなかった。

 その画面には無情にも「圏外」という文字が映っている。


 やっぱりダメか。


 颯太は落胆しつつも、今はそれどころではないと頭を切り替えすぐに次出来ることを考えた。

 すなわち移動だ。

 ここでジッとしているという選択肢もあったが、何もしないというのは返って不安を煽るものである。

 そのため、とりあえず颯太は移動することを決断した。

 歩き出す前にもう一度周りを見渡す。

 目に映るのは草原のみ。人影はなく、聞こえる音といえば虫の音ぐらいだろうか。

 今どき珍しい自然豊かな土地と言ってしまえばそれまでなのだが、やはりどこかおかしいと感じつつ、颯太は先に進むために足を踏み出した。


 恐怖に似た緊張感が足取りを重くしながらも、一歩一歩と勇気を振り絞って進んでいく。


 だがそんな颯太をあざ笑うかのように、この世界は何の変化ももたらさなかった。

 歩いても歩いても、見えるのは地平線。人はおろか建物一つ見えてこないのだ。


 颯太の心には焦燥感が芽生え始め、不安が募っていった。


 このままでは日が落ちてしまい、夜になれば真っ暗になってしまうだろう。そうなれば動くこともままならなくなるはずだ。


 そういった思いは颯太の足取りを軽くしていく。


 そして数分過ぎた頃、颯太はとある物体を目に留めた。

 それは丸みを帯びた黒い物体。

 モゾモゾと動く様から、生き物のように思えた。

 颯太は恐る恐る近づいてみる。

 

 それは確かに動物のような見た目をしていた。

 黒い体毛に赤黒い瞳、鋭い牙を持った獣だ。

 その姿を見て颯太は息を呑む。

 あまりにも禍々しいその様に恐怖心を抱き、自分の軽率な行動を悔やんだ。

 しかし後悔したところで状況が変わるわけではない。


 相手もまたこちらの存在に気付いたようで、ゆっくりとした動作で顔を向ける。


 低い唸り声をあげながら、その獣は颯太に向かって飛びかかってきた。


 次の瞬間、颯太の視界には綺麗な青空が広がっていた。

 一瞬遅れて自分が仰向けに倒れていることに気付き、痛みと共に背中を打ち付けた衝撃が襲ってくる。

 どうやらあの黒い獣に押し倒されたようだった。

 慌てて起き上がろうとするも、すぐに動きを止めてしまう。

 理由は単純明快、腹の上に獣の重みを感じたからだ。

 直後、自分の脇腹に強い痛みを感じる。

 何か尖ったもので刺されたような感覚だった。

 反射的に颯太は脇腹を見た。


「う、うわあああああああああ!」


 思わず悲鳴を上げる。

 そこには深々と突き立てられた鋭利な爪があった。

 あまりのことに理解が追い付かない。

 何故こんなところにいて、どうして襲われているのか、なんで、なんで、なんで。

 疑問ばかりが浮かんでくる。

 そんな颯太のことなどお構いなしに、獣は何度も爪を突き立ててきた。


「痛い、痛い、痛い!」


 その都度、激痛が走り、顔を歪める。

 颯太の体からは血が流れ出し、地面を赤く染めていった。


 初めて経験する死の感覚。

 今までに感じたことの無い恐怖に怯えながらも、ただされるがままに身を委ねることしかできない。


 やがて意識が薄れ始め、瞼が重くなる。

 もうダメかもしれない。

 そんな考えが頭をよぎったその時――


 突如として獣が視界から姿を消した。


「大丈夫ですか!」


 耳に届いたのは紛れもなく人の声。

 霞む視界に映ったのは、とても美しい少女の顔だった。


 長い金髪が風に揺れ、蒼く澄んだ瞳が心配そうに見つめてくる。

 その姿はとても幻想的で、まるで物語に出てくる天使のようであった。


「しっかりしてください、今すぐ治療しますので!」


 そんな天使の言葉を最後に、颯太の意識は暗闇の中へと落ちていくのだった。



「――うわあああ!」


 颯太は飛び起きた。心臓が激しく脈打ち、呼吸も荒くなっている。


「ゆ、夢か……?」


 まだはっきりしない頭で呟き、辺りを見渡した。

 見慣れぬ部屋の光景。

 石造りの壁、ベッド、そして窓の外に見える景色。

 どれも見覚えのないものばかりだった。


「ここは一体……」


 記憶を整理しようにもうまく思い出せない。

 何かとても怖い思いをした、そんな記憶だけが脳裏にこびりついている。

 そこまで考えたところで、颯太は腹部の違和感に気付く。

 服を脱いで確認すると、包帯が巻かれていた。


「そうだ、俺は……」


 そこで奇妙な世界にきたこと、獣に襲われたこと、そして誰かに助けられたことを思い出す。


 ふと、扉が叩かれた。返事をする前に勢いよく開かれる。

 

「目が覚めたんですね! 本当に良かったです」


 部屋に入ってきたのは先程助けてくれた美少女。

 彼女は安堵の表情を浮かべると、手に持っていたバスケットを机の上に置いた。


「えっと、貴方が助けてくれたんですよね?」


 あの悪夢が現実のものだったのだと認識した颯太は自分の腹を擦りながら問いかける。


「はい、そうです。治療が間に合って良かったです、その様子だと身体は問題はないようですね」

「はい、本当に……ありがとうございます」


 颯太は深々と頭を下げ、心の底から感謝の言葉を告げた。

 治療はおろか、あの恐怖から助けてくれた恩は何物にも代えられない。


「いえ、気にしないでください。私は当然のことをしたまでですので」


 そう言って彼女は微笑んだ。


「では改めて自己紹介をさせて下さい、私の名前はルーナ・ステラ―ルです。気軽にルーナとお呼びください」


 そう言うと彼女――ルーナはスカートの端を摘まみ、軽く会釈をする。

 その優雅な仕草に、まさにお嬢様のような雰囲気を感じる。


「よ、よろしくお願いしますルーナさん、俺は如月颯太って言います」

「はい、よろしくお願いしますソータ様。では早速ですが、何があったのか教えて頂けませんか?  ソータ様の身にいったい何が起きたのかを……」

「は、はい、わかりました」

 

 颯太は自分が体験したことを話し始めた。

 突然知らない場所にいたこと、獣に襲われて死を覚悟したこと、そしてルーナに救われたこと。全てを正直に話す。


「なるほど、そのようなことが……やはり私が想像していた通りでした」


 話を聞いた後、ルーナは顎に手を当てながら小さく呟く。

 その様子から、何か思い当たる節があるように見えた。


「あの、何か心当たりがあるんですか?」

「あっ、失礼しました。そうですね……正直心当たりはありますが、少々込み入ったお話になってしまいますので、まずは場所を変えさせて下さい」


 そう言われ、颯太は部屋を出る。

 ルーナの後に続き、長い廊下を歩いていく。

 しばらく歩くと、大きな両開きの扉の前にたどり着いた。

 彼女がノックをして中に入る。

 そこは広々とした空間だった。天井は高く、壁には幾つもの絵画が飾られている。

 そして一番奥には巨大な玉座があった。

 そこに腰かけている人物を見て、颯太は思わず息を飲む。

 煌びやかな装飾が施された王冠、そして赤いマントを身に付けた男。

 一目見ただけで分かる、彼はこの国の王なのだと。


「お父様、お連れしました。こちらが例の少年です」

「おお、君がそうなのか!」


 王――オルドレッドは立ち上がると颯太の方へ歩み寄ってきた。

 何が何だか分からない颯太は思わず身構えてしまう。


「おっと、驚かせて済まない。君には大変苦労を掛けてしまった」

「い、いえ、大丈夫です……」


 未だ何のことから分からない状態のまま、日本人らしい回答をしてしまうのが性というものだ。


「とりあえず私の方から説明をしよう、あれはそう、つい先日とある神託が下ったのだ――」


――曰く、異世界より勇者を召喚せよ、と。


 それを受けて、彼は国中の魔法師を集め召喚の儀を執り行ったのだという。


「つまり、ここは……異世界ってことですか?」

「ああ、そうだ」


 一つ一つ事実を確認してく。


「そして、貴方方が俺を異世界から召喚したということですか?」

「はい、そうです。申し訳ありません、我々の都合で勝手に呼び出してしまった挙句、あんな危険な目に合わせてしまって」


 ルーナが深く頭を下げる。

 

「いや、そんな! 顔を上げてください!」


 慌てて颯太は彼女の肩を掴んだ。


「俺はこうして生きているし、それに命を助けてもらったんです。感謝こそすれど、責めるつもりなんてないですよ!」

「そう言って頂けると助かります。でも、本当に良かったです、ソータ様を助けることができて……」

「はい、助けて頂いてありがとうございます」


 改めて颯太は頭を下げ、ルーナもまた頭を下げる。

 続いてオルドレッドも頭を下げようとした所を颯太とルーナで防ぎ、その場はいったん落ち着きを取り戻した。

 そして場が収まったところで、颯太は切り出す。


「それで、勇者というのは……?」


 まさかとは思いつつも、颯太は問いかけた。


「うむ、そうだな。まずはそこから説明するべきだな」


 そしてオルドレッドは語り始めた。

 この世界に現れた魔王と呼ばれる存在について。

 魔王とは数百年毎に突如として現れ、魔物を率いて人々を襲う怪物なのだと。

 人々は為す術もなく殺され続け、幾度となく滅亡の危機に瀕してきたそうだ。

 しかし、ある時現れた一人の勇者によってその危機は回避され、以来現在まで人類は平和な時を過ごしているのだという。


「だが最近になって再びその脅威が現れた、それも今まで以上に強力な力を持った奴なのだ」


 オルドレッドは険しい顔で語る。

 

「我々の精鋭部隊も容易く敗れ、既に我ら人間の領域の三割は奴の手に落ちた」


 事態は想像以上に深刻なようで、かける言葉が見つからなかった。

 

「このままでは間違いなく人類は滅びる、そんな所で神託を受けたのだ」


 それが勇者召喚の神託。

 颯太がこの世界に来ることになった理由。


「我々は藁にもすがる思いで召喚を行った。そして君が選ばれたのだ、人類の希望たる勇者に」

「俺が、勇者……」


 とても信じられる話ではなかった。

 彼らの話は全て本当なのだろうが、全てにおいてスケールが違い過ぎて実感が湧かないのだ。


「でも、俺はただの学生で……」


 期待の眼差しに思わず言い訳を投げる。


「もちろん無理強いなどしない、君にも家族がいるのだろう? もし断っても悪いようにはしない、しばしの時間の後、元の世界に返すだけだ」

「いえ、そういうわけじゃなくて……」


 困り果てた颯太はルーナに視線を向ける。

 彼女は優しく微笑みながら言った。


「私も、ソータ様の意思を尊重します」

「ルーナさん……」

「どうか自分の気持ちに従ってください、そして後悔のない選択を」


 そう言われ颯太は考える。

 自分がどうしたいのかを。

 元の世界に戻りたいのか、それともこの世界で勇者として生きていくのかを。


「あの……少し時間を貰ってもいいですか?」


 答えはまだ出なかった。


――


 それから数日が過ぎたある日のこと。

 王城の一室にて、颯太はルーナと、そしてオルドレッドが向き合っていた。


「答えが出たようですね」

「はい、お待たせしてすいませんでした」

「いいえ、気になさらないでください。じっくりと考えて頂いた結果なのでしょうから」


 ルーナの穏やかな声音を聞き、颯太は大きく息を吐く。


「俺、決めました。この世界の人達の為に戦いたいと思います」


 これが答え。

 決して後悔しない選択だった。


「……良いのですか?」


 ルーナが心配そうな眼差しで見る。


「はい、この世界を救えるのは俺だけなんでしょう? ならやり遂げて見せますよ」


 少し茶化しながら颯太は言う。

 それこそ異世界で救世主となって戦うのは、憧れでもあったのだと自分に言い聞かせるように。


「ソータ様……」


 ルーナは小さく呟き、颯太の手を取った。


「ご決断いただきありがとうございます、共に魔王を打ち倒しましょう」

「……共に?」


 ルーナの言葉に首を傾げる。


「はい、もちろんです、私はこう見えて聖女と言われるほどの結界術の使い手なんですよ?」


 そう言うとルーナは悪戯な笑みを浮かべた。。


「これからよろしくお願いしますね、勇者様」


 こうして勇者は誕生した。

 後に『聖剣の勇者』と呼ばれ、数多の偉業を成し遂げることになる男の物語が幕を開けることとなる。

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