第4話十六夜月 沈む月

 違うところはそこから先、日が沈んでから僕は病院に向かった。


 昨日は走ってきたが、今日からは自転車で向かう。


 一ヶ月とはいえ毎日病院まで走っていくのは大変だ。そんな生活を毎日は体がもたなくなってしまう。


 やっぱり夜になると、寒さが厳しくなってきていた。


 朝自転車を漕いでいるときよりも、冷たい風が顔に当たる。


 昨日よりも少し早い時間に来たから部屋の電気はまだ消えていない。


 僕は正面の入り口から入って、受付の人に声をかける。


「あぁ、昨日の子だよね!陽菜ちゃんのお見舞いね」


 昨日の看護師さんが受付のところにいた。


「はいこれ入館証ね。他の人になにか言われたらそれ見せてね」


 ラミネート加工された入館証を渡された。


 僕はありがとうございますと言って、頭を下げた。


 彼女は基本的に屋上に出ていると言っていたから、病室じゃなくて直接屋上へと向かう。


 重い扉を開き、月の光が照らし出す屋上に足を入れた。


 彼女は僕を見るなり、月の光が照らす顔を輝かせた。


「おはよう!」


 彼女は元気にそう言った。


「おはようって朝じゃないよ?」


 彼女の顔を見たら普通で退屈だった今日も特別に感じた。


「あはは、たしかに。あっ……そうだ!私、肝心なこと忘れてた」


 彼女は僕に近づく。


 洗剤の香りと病院特有の匂いが、夜の暗さで一層際立つ。


「私、君の名前聞いてなかったよね。それに連絡先も。友だちになってくれるのに大事なこと忘れてたの」


 そういえばたしかに教えてなかった。


「僕もすっかり忘れてた。じゃあ改めて、僕は桜庭冬夜。冬の夜で冬夜。好きなように呼んでいいよ」


 僕はそう言いながらスマホを取り出した。


「あと、これ連絡先」


 暗闇で見せた画面は明るくて、少し目がくらんだようで彼女は目を細める。


「あっ……ごめん。明るさ下げるね」


 明るさ調整をしている僕の横で、彼女は目をパチパチさせる。


 長いまつげが美しく輝く瞳を一層際立たせる。


「ん?」


 彼女は不意に僕の顔を覗き込む。


「なに?なにかついてる?」


 彼女は自分の手をペタペタと顔に当てる。


「い、いや何でもないよ」


 僕は視線をスマホに戻す。


 彼女に会ってから、何度見惚れるんだろうと自分自身に呆れた。


「ふ〜んそっか。てっきり……」


 彼女は指先を唇に当て、その先の言葉を言おうとしたが飲み込んだ。


「あ!あとさ!わたしの名前も教えてなかったよね!」


 彼女は指先を離し、もう一度僕に顔を向けた。


「え?陽菜ちゃんでしょ?それは知ってるよ」


 僕がそう答えると、彼女はものすごく驚いた顔をした。


「えっ?!な、なんで!?私、名前言ったっけ?!」


 うろたえる彼女。


 確かに彼女からは名前を聞いてなかった気がする。


「え?いや……だって昨日の看護師さんがずっと陽菜ちゃん陽菜ちゃんって言ってたから」


 僕が彼女とは対象的に冷静でいると、彼女も少し冷静さを取り戻したようで


「あっ……確かに。山川さん私の名前すっごい言ってた気がする」


と言って笑みをこぼした。


「そうだよね。あんなに言ってたら覚えちゃうよね」


 僕らは顔を合わせて笑いあった。


「うん。さっきも受付行ったときも名前言ってたから。それで……友達になるとはいったけど具体的に何すればいいの?」


「友だち同士が夜にやることと言ったら一つしか無いでしょ!」


 彼女は人差し指を立てて、僕の顔の前に出してきた。


「ダベる!」


「ダベる?」


 僕は彼女の提案に疑問を抱いたが、満足気な顔をしている彼女には言えなかった。


「そ!学生が夜にやることと言ったらそれしかないでしょ!修学旅行とかでも、夜はみんなで恋バナとかするでしょ?それをやろうよ!」


 彼女の見た目からは想像できないテンションの高さに、僕は呆気に取られた。


 もっとおしとやかで優雅なことでもするのかと思っていた。


「冬夜くんもやったでしょ?そういうくだらないことやろうよ!」


 呆気に取られる僕を横目に、彼女は話を進める。


「今日はまだ知り合って二日目だし恋バナとかそういうのじゃなくって、学校でやる自己紹介みたいなのをやろ!」


 頭の整理が追いついていない僕の顔を覗き込む。


「ねぇ、聞いてる?」


「あ……うん、うん。聞いてるよ。でも……ちょっと顔、近い」


 腕を少し動かすと体に触れてしまいそうになる。


「あ……ごめん。近かったね」


 笑みを浮かべながら彼女は遠退き、僕は視線をそらす。


 夜の闇に彼女の笑顔は眩しすぎた。


「ま、まぁでも、そういうわけだからいっぱい喋ろう!」


 僕の気持ちを知ってか知らずか彼女は話を進める。


「ほら!冬夜くん!」


 彼女は僕の手を取り、屋上の縁に連れて行く。夜の闇を見下ろすとそこには夜景が広がっている。


 綺麗な景色の前で僕は話しだす。


「う〜ん、そうだな。さっき名前は言ったからいいよね。歳は17、先月が誕生日だったんだ。今は隣町の蓮見高校に通ってて部活は幼なじみと一緒にサッカー部に入ってる」


高校がある方を指差す。


「勉強は……あんまり得意じゃないかな。とりあえず僕の自己紹介はこんな感じ。次は陽菜ちゃんの番だよ」


 話していて思ったが、自分のことを話すというのは案外難しい。


 自分の何をどこまで話せばいいのかが分からなくなってしまった僕は、無理やり彼女に話題を投げた。


「じゃあ私は改めて名前から。海野陽菜、歳は冬夜くんと一緒の17だよ。誕生日は8月の17」


彼女は指で1と7を作る。


「高校は東京の高校に通ってたけど病気になってこっちに戻ってきたんだ。部活はやってなかったけど、生徒会に入って裏方みたいなことをやってたよ。私も勉強は得意じゃなかったかな」


 彼女の自己紹介も終わった。


 少しだけ気になったこともあったが踏み込むにはまだ早い。


「ねぇ!冬夜くんの幼なじみって女の子?」


 彼女は間髪入れずに目を輝かせながら質問してきた。


「いや違うよ。男。同じ部活だって言ったじゃん」


「いや〜だってマネージャーって線もあったし。そういう幼なじみの異性って憧れるし」


 彼女は少し残念そうな顔をした。


「なんで陽菜ちゃんが残念そうにしてるの?」


「だって幼なじみの女の子とかいたら恋バナ出来るじゃん!同級生と恋バナ!高校生ならみんなしたいでしょ?」


「みんなってことはないと思うけど……」


 こういう話になると彼女のテンションは上がるようだ。


「冬夜くんはそういう話しないの?」


「しないわけじゃないけど……っていうか最初から恋バナはしないって言ってたのに、そっちにもってこうとしてるよね」


 いつの間にかそういう話にもってかれそうになっているのに気づいて、僕は話を戻そうとした。


「気づかれちゃったか〜。残念……じゃあこの話はまた今度にするね」


 不敵な笑みを浮かべる彼女に、何かを見透かされている気がした。


 そこからは何気ない話をずっとしていた。今日何をしていたのか、何を食べたか、何が好きなのか。


 話しているうちにも月は沈み、朝が近づいてくる。

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