やってらんねえ(3)




 結局その後もパチスロ生活をずるずる続けていた板倉忠男だったが、他のホームにしていた店にも件の軍団が現れたことで、嫌気が差した。

 というより、さすがにこのままこの生活を続けていくのは無理がある、とついに心の底から思ったのだ。所謂いわゆる底尽き感だった。


 板倉忠男は求職情報誌を読み、住み込みでできる仕事を探した。

 学生時代からもう20年以上住んでいるアパートだったが、築年数も大分経ち、大家も代替わりしていた。

 先代の跡を継いだ若い大家からは、建て替えたいのか他の土地活用をしたいのか、それとなく退去を求められるようになっていたのだ。

 新しいアパートを借りるくらいの蓄えの余裕はまだあったが、思い切って住み込みの仕事を探し応募する方が、それまでとはガラッと環境を変えられる、と板倉忠男は思った。

 北陸の実家に戻るという選択肢は無かった。板倉忠男が33歳の頃に父親が亡くなったが、その時実家に入っていた兄と、その当時はまだ存命だった母親に、スロットで喰うなんてやめて定職に就けと言われて揉めていた。

 その後板倉忠男が37歳の時に母親も亡くなったが、死に目に間に合わなかったこともあって兄には絶縁を言い渡されていた。

 自分が悪いのは痛い程にわかっているのだが、兄が正論で自分を殴りつけて来るように感じ、兄と兄嫁に対して反発し否定する感情が心にこびりつき、どうしても離れなくなってしまったのだ。


 そうして探した結果、現在の居住地である坂中町にあった大型温泉旅館の従業員募集を見つけ、履歴書を書いて送ったところ、採用されて住み込みで働くことになったのだ。

 仕事は雑用全般と言ってよかった。

 宿泊客の送迎のマイクロバスの運転、旅館内の清掃、ボイラーの運転。ボイラーの運転に関してはボイラー技士資格を持っている専務の指導の下、という名目で行っていた。板倉忠男はボイラーで湯を沸かすなら温泉じゃないと思っていたが、板倉よりも年若いオーナーの息子の専務が言うには源泉の温度が25℃以下の鉱泉を沸かしているだけで立派な温泉なのだという。

 板倉忠男は、その旅館で10年以上働いた。専務を始め自分よりも若いスタッフが多く、馴染んだとは言い難かったが、それなりに話せる年上の職員がいたことと、一応正職員扱いだったので健康保険料や年金等の社会保障費の心配はなく、住み込みとはいえ居住費や賄いなどの食費は引かれたが、それでもおとなしく生活していれば十分金は貯まるはずの環境だったからだ。

 ただ、寝ても醒めても旅館の中、というのは息が詰まった。

 必然的に休日は外に遊びに行く。といっても娯楽は少ない。隣の市まで足を伸ばし、やはりというかパチスロで時間を潰した。東京近郊に比べると客も少なく、全体的に設定は辛めだったが、儲けではなく当たりが来ると嬉しいと言う感覚でついつい打ちにいく。結果は負けることの方が当然多かった。

 また、夜は温泉街のスナックで飲んで歌った。タイ人ホステスが多い地域だったが、普段旅館で働いている同僚の仲居のキツい態度に比べ、たどたどしい日本語でいじらしく接客されると何とも言えず庇護欲をかき立てられ、馴染の娘ができると足しげく通うようになっていた。


 やがて板倉忠男は馴染のタイ人ホステスと良い仲となり、彼女に勧められるまま旅館の従業員部屋を出て同棲を始めた。

 旅館の専務は、それまで何人もそうして「飛んだ」ことを危惧して忠告したが、板倉忠男は聞かずに彼女の部屋に転がり込んだのだ。


 タイ人ホステスとの同棲は、板倉忠男にとって久々の私生活の潤いだった。

 彼女の作る辛いタイ料理が癒しの味に感じられた。


 同棲して数カ月で、それまでのタイ人ホステスが多く住むアパートでは落ち着かないという彼女の言い分を聞き入れ、安い賃貸マンションに引っ越した。築20年以上は経ち、エレベーターが無い物件だったので4階の部屋は7万5千円と格安だった。

 板倉忠男が契約し、家賃は彼女と折半するということにした。

 ただ、病気がちな母国の両親に仕送りする彼女は徐々に折半分の家賃の支払いが滞るようになったが、思い出したようにまとめて払ってきたので気にしていなかった。


 板倉忠男の体調は、実のところしばらく前からあまり良くはなかった。

 旅館の仕事をしていても、妙に体がだるく、息切れがするのだ。

 同僚には仕事をダラダラと行っているように見え、陰では悪口を言われているのが板倉忠男の耳にもそれとなく聞こえてくる。

 だが、50歳をいくらか過ぎた板倉忠男にとって、怒りは湧きこそすれ持続はしなかった。

 帰宅し、彼女に溺れれば、彼女が優しく板倉忠男を抱き止めてくれていたからだ。

 しかし、彼女との行為中もだるさが先に立ち、持続時間が短くなっていた。

 その度に彼女が甲斐甲斐しく手や口で板倉忠男を奮い立たせようとしてくれるが、板倉忠男にとっては行為よりも彼女と裸で抱き合い、肌の温もりを感じるていることの方が安らぎを感じられるようになっていた。


 ある日彼女が深刻な面持ちで、母国の父親の心臓が悪く、いい医者に手術してもらうために数百万円必要だ、と板倉忠男にぼそりと話した。

 板倉忠男は彼女が自分を騙し、金を巻き上げようとしているのだろうな、と半分思ったが、情の湧いた女になら騙されてもいいか、と腹を括り「手術費用」を出すことにした。

 数百万円の入った分厚い封筒を彼女に手渡し、父親の快癒を祈る言葉を彼女にかけると、彼女は大粒の涙をポロポロと流しながら、この恩は忘れない、この金は必ず少しづつ返す、と感謝の言葉を述べた。

 1週間後、彼女は母国に帰国した。

 2か月程の帰国予定だと言ってマンションを発ったが、板倉忠男は彼女との別れを散々惜しんだ後、もうこれで戻らなくても仕方ない、と弱々しく思った。


 彼女が帰国して1か月程経った頃、板倉忠男は旅館の仕事中に発熱して倒れ、救急車で病院に搬送された。

 どこで貰ったのかわからないが、インフルエンザだった。

 おそらく彼女がいなくなった寂しさを紛らわせるためにまた入り浸るようになったパチスロ店か、夜の店で貰ったと思われた。

 不摂生を長年続けていた板倉忠男の体は生死の境を彷徨うところまで行ったが、2週間程度でどうにか回復したものの、肺の機能は一気に衰え、肺気腫と診断された。


 在宅酸素となって退院した板倉忠男は、酸素ボンベの入ったキャリーケースを引きながら職場の旅館へ退院の挨拶に行ったが、同僚からは同情ではなく嘲りの視線を向けられた。

 面談した専務には、板倉忠男のインフルエンザのせいで他の従業員何人かが感染して大変なことになるところだったとネチネチと言われ、酸素ボンベと鼻にかけたチューブをジロリと睨まれた後、その体じゃ働くのは難しいだろう、しばらく療休扱いにしておくからそれが開けたら考えてくれ、と言われて追い払われるように退室させられた。


 エレベーターが無い自宅マンション4階自室に酸素ボンベを持ち上げながらようやく戻った板倉忠男は、ベッドに倒れ込んだ。


 毎日の食事は外出が大変だったため、コンビニの宅配サービスや中華の出前で賄った。

 体のだるさと息切れで、彼女が居た頃は片付いていた部屋が徐々に汚れていく。


 生きながら死んでいるようなものだ、と板倉忠男は思った。

 まだしばらくはパチスロや旅館の仕事で稼いだ蓄えが残っている。

 彼女に数百万円を渡していたが、まだその倍程度はある。

 だが、それが尽きるのをただ待っている状況だという考えが脳裏をよぎりそうになる。

 それを考えないようにと酒に溺れ、無理やり眠る。


 寝覚めは悪い。


 そんなある日、轟音で目が覚めた板倉忠男は、掃除機をかけている彼女の姿を寝起きで乾燥した目で認めた。

 最初は信じられず、何度か目を擦ったりしたが、確かにタイ人の彼女が開けっ放しになった寝室の扉の向こう、汚し放題だったリビングの汚れものを片付け掃除機をかけていた。

 

 板倉忠男は渇いた寝起きの目が、水分で潤うのを感じた。






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黄昏時 桁くとん @ketakutonn

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