やってらんねえ(1)




 その通知が板倉忠男の元に届いたのは、12月の24日だった。

 自身の誕生日の、ちょうど二か月前のことだった。

 表の郵便受けに届くものなんて業者のポスティングくらいなものだから、板倉忠男は普段郵便受けは気にも留めていないのだが、家事援助で訪問した30代後半のヘルパーが郵便受けを確認して渡してくれた。


「板倉さん、これ届いてましたよ」


 怪しい業者の“お宅に眠った貴金属買い取ります”の黄色いビラや、隣の市にあるピザ屋の出張販売の派手なビラなどに紛れたその封筒は、板倉が住んでいる坂中町役場からの通知だった。薄茶の封筒の右下には赤い囲み文字で『重要』と印刷されている。


「中の書類、読まなくていいんですか」


 ヘルパーの中川結花は台所に行き、炊飯のために米櫃から計量カップで米を計って炊飯器の内釜に入れながら聞く。


「いいんだ。後で読む」


 板倉忠男は、擦れた声で返答した。

 コタツに入って横になりTVに目をやったままゴホッ、ゴホッと咳込む。

 実際のところ、返事をするのも億劫だった。

 鼻にかけたチューブから常時酸素が流れてきているが、湿気は無いので鼻腔も咽頭も乾燥する。声を出すと、乾燥して喉の粘膜に貼り付いた痰が微妙に動き、咳込んでしまう。

 コタツの上のティッシュペーパーを取り、痰を吐き出そうとするが、乾燥した粘度の高い痰はなかなか出ない。

 何度もゴホッゴホッ、カッ、カーッと喀痰かくたん音を響かせる。


 中川結花は嫌な音だ、と思いながら手早く水道で米を研ぎ、炊飯器を仕掛ける。

 タイマーを30分後にセットし、流しに飛んだ水しぶきを台布巾で拭いた後、喀痰が落ち着いた板倉忠男に今日の訪問の生活援助内容をどうするか訊ねる。


「板倉さん、今日はどうしますか? 買う物があれば買いに行きますし、無ければ掃除しますけど」


 掃除は週2回の訪問のうち1度は必ず行うことになっている。酸素吸入をしているとはいえ、板倉忠男は持続的に動き続けることが難しいので、トイレや浴室、台所の清掃はヘルパーが行っている。

 中川結花は、できれば掃除ではなく買い物と板倉が言ってくれることを期待した。


「買い物、頼む」


 先程の喀痰で多少の痰は出たのか、少し痰が絡んだ声ながら咳込まずに板倉忠男は答え、居間に来た中川結花に買ってきて欲しいものを書いたメモと五千円札1枚を渡した。

 中川結花はよかったと安堵しながらそれを受け取り、問題がないか内容を確認する。

 海苔佃煮のビン詰め、ふりかけパック、明太子、納豆、インスタント味噌汁の素。他にはboxティッシュ。メモに酒やタバコは書かれていない。

 訪問介護の買い物代行では酒やタバコなどの嗜好品の購入は出来ないことになっている。

 中川結花はほっとしつつ、メモと五千円をファスナー付の専用ビニールポーチに入れた。


「板倉さん、私たち料理も簡単なのだったら出来ますから、材料買っていいなら作りますよ」


 毎回買い物の度に言っているが、今回も一応同じことを伝える。


「鍋とかフライパンとかも買わんじゃいけねえから、いいよ」


 返答も毎回同じだ。板倉忠男宅には、炊飯器の他は丼と汁椀、袋ラーメンを作るためのような小型の片手鍋しかない。箸は溜めてあった割り箸。割り箸も洗って使いまわしている。

 調理しようにも調理器具が足りていない。ただ、調理器具を買いさえすれば調理することもできるのだが、板倉忠男はそれを良しとしなかった。


「酒とかタバコとか、ちょっと我慢したら調理器具なんて買えますよ」


「酒とタバコやめるくらいなら、メシ我慢した方がいいや。それに酒もタバコもあんた達にゃ頼まねえんだから、放っといてくんな」


 これもいつものことだ。

 板倉忠男は、酒とタバコのために食費を削っている。

 炊飯した米飯と、海苔の佃煮やふりかけで空腹を満たすのみ。栄養バランスも何もあったものではない。

 介護支援専門員が運動のためとデイサービスも勧めているようだが、全く行く気がなく断っているとも聞く。

 こんな不健康で死に急ぐような人を、生活保護で保護してやる意味があるのか、と中川結花は内心思っている。

 坂中町社協のヘルパーステーションのヘルパーの間では、板倉忠男宅はあまり入りたくない訪問先の一つになっている。理由は、掃除もしないといけないが、とにかくトイレと浴室が汚いからだ。トイレは床に尿が飛び散ってそのままになっているし、浴室も板倉忠男が湯船の中で体を洗うので浴槽は垢まみれだし、抜け毛や髪の毛を自分で切ったものが排水溝に溜まったまま放置されている。

 これを45分の訪問時間中に、他の場所の掃除や炊飯なども行いながらやらないといけない。そこそこな労力だし、手袋をして掃除するとはいえ、生理的に嫌悪感を感じてしまうのは仕方がない事と言えた。

 とは言っても『社会定年』制度が成立して以来、介護保険の訪問介護サービスの利用者は激減しているから、たとえ入りたくないお宅でも選り好みはしていられないのだが。

 だが、来年たしかこの人は『社会定年』を迎える。

 それまでの付き合いだ、と中川結花は思った。


 中川結花がスーパーまで買い物に出て行った後、板倉忠男はコタツの上に置かれた坂中町役場からの通知を手に取る。重要と重々しく書いてある割には封筒は軽く、中にはそれほど書類が入っている様子はない。

 インスタント味噌汁の小袋などの包装を開くためにコタツの上に置きっ放しにしてあるハサミを取り、封筒の端を切り、中から書類を出す。


 A4サイズの3つ折りの紙には「社会定年のお知らせ」と印刷してあった。

 

 とんだクリスマスプレゼントだ、などとは板倉忠男は思わなかった。

 クリスマスなんて、もう何年も祝ってはいない。あれは家族や恋人がいる人間に消費させるためのイベントであり、板倉忠男のような人生の黄昏時を迎えた人間には全く縁がないものなのだから。

 まあわかっていたことだ。

 板倉忠男は、その通知を丸めて屑籠に捨てた。




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