ヒレ・ゲーム5

「誰か早く飛び込んでよ! あたし、行かないわよ!」


 みかんのここ♡が駄々をこねる。サードは呆れて、早くここから脱出しようと思った。


「あ、まずい。きゃっ」


 みかんのここ♡が鼻血を流している。


 みなの脳裏にサメが血で寄って来ることが自然と浮かんだ。


「ゲームに参加しないと電流を流されるんだよ。ずっと悩んでいたり、行動に移さないとね」


 テカプリがサードの手を引く。


「待って、あたしは一緒に泳いでくれないの?」


「君は男だろ。自分で何とかしろ」


「あ、あたしは男だけどね。そういう言い方今の時代、ジェンダー問題になるんじゃないかしら。いいわよ、あたしはネカマやってただけなんだから。現実で女々しいとか言われても、こういうキャラでやってます! って言ってやるんだから!」


 みかんのここ♡が飛び込んだ。五分一秒、何も起こらなければ大丈夫だ。


 ぐんぐん泳いでいく。


「全員で飛び込むのは?」


 サードは不安のあまり提案する。


 誰も返事しない。サードが足を引っ張っているのは確かだった。


 みかんのここ♡もプール中央までたどり着いて、そこから潜りはじめる。みかんのここ♡の水泳時間もみんなのスマートウォッチに表示された。一度に複数人飛び込んだらどうなるんだろう。


 水泡が浮かんでは消えていく。順調そうだ。


「きゃあああああ」


 みかんのここ♡が突然浮上する。鼻血のせいでサメが戻ってきていた。水面付近を旋回している。


「タイマーが!」


 みかんのここ♡のタイマーは三分を切っている。


「一番臭い人間が死ぬって言ってた」


 サードは血の臭いのことだと言いたかったのだが、臭いにだけ反応したみかんのここ♡が激怒して戻ってくる。


「臭いって何よ! あたしは臭くなんかないわよ! あたしが臭いなんて二度と言わないでよね! どうしよう。こんな鼻血じゃサメから逃げられないじゃない。サード、あんたもサメをおびき寄せてよ」


 『臭い』という単語に過剰反応するみかんのここ♡に、サードは戸惑う。


「そんなことできるわけないじゃない」


 サメは余裕さえある感じで悠々と旋回する。それから、一瞬みかんのここ♡に急接近して、鼻面で脅かしてから去った。


「ぎやああ! 何でもいいから! サメよ! サメ!」


 みかんのここ♡が半狂乱になってプールに潜る。サメがすぐ後を追う。


「僕らも行こう。僕も最初の迷路で肩をクロスボウでやられたから、サードだけが狙われるってことを防げると思う」


 氷河がサードに言う。


「え、それって血で囮になるの? 待ってよく考えてよ。相手は血が大好きなサメよ?」


「サメの後ろをついて行く」


「それはありかもね。僕もサードを守るよ!」


「う、嬉しいけど。でも、それってやばくない?」


 テカプリがサードをお姫様だっこしようとして、腕力がなくてやめた。やるなら最後までやって欲しかった気もしたが、ゆっくりとプールに入水する。なんにしても慌てたら大きなお腹でバランスを崩しかねない。赤ちゃんのためにはゆっくり、安全に泳ぐしかない。


 スマートウォッチのタイマーが作動する。五分一秒からカウントダウンが始まった。サードの右を氷河、左をテカプリが泳ぎキリンA、焼肉公爵の順で後が続く。


 こんな大人数でサメの後方からついていくことになるなんて。


 先を行くみかんのここ♡がサメにやられるのではなく、タイムアップで感電死した場合、サメもろともサードたち五人も感電することになる。


 サードは水中で会話ができないことをこれほどもどかしいと思ったことはない。身体をテカプリと氷河が抱えるように泳いでくれることに感謝した。家族にもこれほど優しくされたことはない。自分にできることは、できるだけバタ足を続けることだ。浮力で地上で歩くときよりも骨盤がかなり楽なのが救いだった。


 水深十メートル地点に横穴が空いている。まるで巨大な排水溝を思わせるその穴に、サメの尾びれが見えた。プールで排水溝に吸われて死ぬ事故を想起させられる。

こんな形状のプールは見たことがない。拉致監禁した人間は資金、技術、地位もあるのかもしれない。


 キラー・ハニーが政府の人間だとしたら、目的は何なのか。


 先に見える灯りを頼りに横穴に入る。サメが急に旋回してこっちに向かってきた。先頭を行くみかんのここ♡が、襲われそうになってどさくさにサメに蹴りを入れたのが垣間見えた。みかんのここ♡は、意地でも生き延びるつもりのようだ。


 サメはホオジロザメだ。映画でおなじみ、だが本物はでかい。速い。近い。時速四十キロって、自転車よりちょっと速い程度じゃんとサードは思うが、とんでもない。水中で右にも左にも曲がれないような前三人、後ろ二人の五人大所帯ではサメが車並みに速く感じる。


 サードは驚いて息を吐き出してしまう。慌ててテカプリが口を塞いでくれなかったら、空気を全部吐き出していたかもしれない。さらに、もっと深く潜るように氷河がサードの頭を押さえつけた。


 叩きつけるようなあぶくの音がサードの頭上を通る。サメの牙が、胴があった。尾ビレの起こした水流でサードは煽られる。方向が分からなくなりかけたが、テカプリが抱き留めてくれたおかげでなんとか閉所でのパニックを避けられた。


 サメの牙から逃れた安堵で勢いよく浮上しそうになるが、横穴を泳ぎきるまでは上ではなく前に進むしかない。


 後方で何かが捕らえられる激しく泡立つ気泡の音が聞こえた。振り返ると、薄闇に鮮血が和紙に滲む墨のように広がるのが見えた。後方の焼肉公爵かキリンAのどちらかがサメにやられた! サメは激しく胴に食らいつき、誰かの四肢が水中で舞っている。


 サードは、無我夢中で腕や足を動かした。クロールで横穴を抜け、テカプリと氷河のサポートもあり、新たなプールの水面に浮上することができた。


 その瞬間、先に到着していたほんまKAINAだけでなく、あのタイタンフレッドまでが手を貸して引き上げてくれた。


「危ねぇ!」


 サードの背後をサメの鼻先が過った。


 プールサイドにいるほんまKAINAが棒きれでサメの目を突いてくれなければ、脚が食いちぎられていたかもしれない。


 息を盛大に吐き出し、プールサイドのタイルにお腹を下にしないように横になると、サードは喘ぎながら「ありがとう」と言った。純粋に死の恐怖から解放された感謝の意を述べた。テカプリと氷河も復唱し、「ありがとう」の連鎖となる。


「なんや!」


 ほんまKAINAが指差したのは、右腕、左足だけでなく魂も失った焼肉公爵の浮き上がった胴体。続いて浮上したキリンAが、焼肉公爵の恐怖に瞠目どうもくした死相を見て悲鳴を上げプールサイドにすがりついた。


「そんな、なんで焼肉公爵が」


「血だろ。血が出てる奴なら誰が死んでもおかしくはなかった。俺も危なかったしな。まさか、一ゲーム目の負傷度合がここで響いてくるとは」


 キリンAは顔を皺だらけにして泣き出した。


「うっせぇ、黙れよ! 手足がばらばらじゃ、どの道助けられねぇだろ」


 プールサイドに上がったことで、サードはスマートウォッチがみんなのタイムを表示しているに気づいた。三人と二人に分かれて入ったので、表示されていたのは三人のタイマーの方だった。残り四分で止まったタイマーが表示されていた。一分近く潜っていたことにサードは驚いた。時間的余裕があるのに一人の犠牲者が出てしまったのが悔しい。キラー・ハニーは遊び感覚でゲームを提示しているんじゃないだろうか。


「あのハチミツ頭、許さない」


 キリンAがやっと泣き止んで頷く。


「こんなゲームもう嫌。あいつが全部悪いのに、どうして焼肉公爵が死なないといけないの? あんまりだよ!」


「ねぇ、待って。あなた焼肉公爵とは今日はじめて会った?」


「え、急に何?」


「それとも、私たちに会う前に彼と親しくなったんじゃない?」


「お互いに共通点を知ったとかありえそうじゃねぇか」


 タイタンフレッドは奸智かんちに長け、いいところを突く。


 押し黙るキリンAに、ほんまKAINAも好奇の目を向ける。そういえば、ほんまKAINAの様子もおかしくはないだろうか。


 恥じらいながらキリンAは、制服のスカートが含んだ水を絞り出す。


「私はその、色んな動画をみんなに知ってほしくて『いいね』を押したり、拡散したりするんだ。学校でみんなやってるし。焼肉公爵もそんなこと言ってた。だから、みんなインフルエンサーなのかなって。でも、実際はユーチューバーなんでしょ? 私は顔出ししてなくて、ぬいぐるみ裁縫の配信をしてるんだ。焼肉公爵はたまに焼肉の店巡りを配信するんだって」


「どうして今まで言わなかったんだい?」


 テカプリに問われてキリンAは首を振る。


「大したことじゃないと思った。だって、ぬいぐるみと焼肉だよ? 全然違うものだし。今どき配信をやってみたことがあるのは当たり前でしょ? 寧ろ、やってみたことがない子の方が少ないぐらいだよ。視聴率取れるかは別にして」


 キリンAが興奮し、再び顔を真っ赤にして泣き出しそうになるのを止めたのは、皮肉にもひとりでに開いた次の部屋に続くであろうスチールの扉だ。

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