ヒレ・ゲーム2

 廊下の突き当りのドアを開けると、薄暗い体育館のような場所に行き着いた。目の前に広がるのはトンネルなどで使われるオレンジのライト(ナトリウムランプ)が照らし出した、仄暗く浮かび上がる正方形の二十五メートルプール。プールサイドのコンクリートはところどころさびがこびりつき、垢塗れで赤茶けている。絶対に裸足で歩きたくない――。


 塩素の臭いがしないかわりに、潮と生臭い魚の臭いがする。


 プールは遠くに目をやるほど水面が浅く見える。光が屈折している。


「深いで。これ普通の二十五メートルプールちゃうやろ。深さも二十五メートルやろ? ほら、水中にライトもあるで。あれや、名前出てこーへん。オリンピックの」


「飛び込み?」


 最年少キリンAがほの暗いプールを覗き込む。


「そやそれ」


 ほんまKAINAが勢いづいてまくし立てる。


「でも、せやったら飛び込み台があらへんがな。うちらを誘拐した犯人はんは、かなりのドSやから、絶対高いところから突き落としたろって思ってそうやん? そんで、電気でビリッっとやったら全員あの世行きやろ?」


 ほんまKAINAはさっきのゲームで体調を崩すどころか、饒舌になっている。


「誰か水泳選手おらんか? 逆に泳がれへん奴は? なんや、みんな泳げるんかいな。こういうの、誰か脱落させるもんやろ。ゲームって言うんやから」


「てめーいい加減その口閉じろよ」


 タイタンフレッドが凄むが、ほんまKAINAは嘲笑で誤魔化した。


「そういえば、あんさん。さっきめっちゃビクンビクン感電してたで。マジで打ち上げられた魚みたいやったわ!」


 固いものが、柔らかい肉を打つ音がした。ほんまKAINAの腹をタイタンフレッドが目にも留まらぬ速さで殴りつけた。二度、三度。


「うぐっふぉ」


 ほんまKAINAが息も継げないほどにタイタンフレッドが殴り倒すので、見かねたテカプリは後方から羽交い絞めにした。それでも、筋骨隆々なタイタンフレッドに振り払われる。


 拳の一つがほんまKAINAの顔面を打ち抜き、骨の折れる嫌な音がした。腕を引いたタイタンフレッドの拳に粘着質な血が糸を引いている。


「あ、あばっ! やりよったば! 謝らべんで! あんさんに、寄生虫食わされたんや、忘れへんからな覚えときや! お前もやで、ピンク髪!」


 サードはほんまKAINAの目を見ないようにした。あの状況じゃ誰かがメニューボタンを押さないといけなかったし、赤ちゃんのためにやったのだから仕方がない。逆ギレされたことが腹立たしかった。


「うわ、あれ見えた? みんな今の見た?」と焼肉公爵が慌ててプールから離れた。キリンAが追従して後退る。


「……ヒレのようなものが」と氷河。


「ヒレてなんやねん。サメでもおるんか?」


「あり得るかもしれないよ。カメラ、寄生虫ときて、動物が出てきてもおかしくはない。僕らと直接関係があったわけじゃないけど、クマの事件もあったことだし」


 氷河の意見にテカプリも納得する。


「あ、今も何か水飛沫が……誰かいる!」


 プールサイドを駆け出すテカプリ。二十五メートル先の水面に浮上してきた人が両腕をばたつかせていた。決して上手いバタフライなどではない。


 誰かが溺れているのか? 泡立っている場所に現れたのはやたらめったらバタ足をする少年だ。テカプリは一番に駆けつけたくせに、怖気づく。


「早く助けてあげなよ!」


 追いついたサードは金切り声で叫ぶ。


「僕には無理だ!」


 テカプリが言い終わるより早く、後から来た焼肉公爵がぽっちゃり体型からは想像がつかない見事なフォームで飛び込んだ。


 水が飛び散ってサードの口に入った。激辛。塩水だった。


 長袖シャツにジーパンというラフな格好だったのだが、焼肉公爵は溺れそうになっている少年の身体の下に入り込み、少年の顎を上向きに抱えて頭部をつかみ、自身はキックだけの背泳ぎをするようにして救出した。


 短髪の少年は黒のブレザーを泳いでいる間も脱がなかったので、水死体のように重く、引き上げる時は全員で服を先に脱がせた。焼肉公爵も水を吸ったジーパンを脱ごうとする。


「ちょっと! 変なもの見せないでよ」


「そう言われても、これじゃ次のゲームで動きにくいし。あ、せっかくセットしたパーマが落ちた。今夜シフト入ってたのにな」


 飄々とした焼肉公爵は、急に面白おかしく笑って話を続けた。


「誰も助けなかったら情報が台無しになっていたと思う。この少年を見殺しにしてたらゲーム詰んでたかもな?」


 短髪の少年が剥がされた黒のブレザーにはどこか見覚えがある。あさピクの学校と同じ制服だ。男女でまったく異なるデザインだったら単なる勘違いだが。この短時間で似たような制服を目にする偶然なんてあるわけがなかった。


「お前、『壁方寺へきほうじ学院がくいん高等こうとう学校がっこう』の生徒か?」


 タイタンフレッドがまだ息の整っていない少年を揺さぶる。焼肉公爵はプールサイドに上がるなり、先ほどの雄姿など忘れたかのように後方へと下がってしまう。


「な、なによ急に。げほっ……そうだけど」


 むせる短髪の少年はオネエ口調だった。


「てめーがこのゲームに関わりのある人間かどうかって聞いてんだ」


 怒鳴るタイタンフレッドに、ほんまKAINAがなんやなんやと問う。サードは急に前のめりになるほんまKAINAに嫌悪感を感じつつ、何も知らないのはフェアじゃないかもと思ったが、教えるのは私じゃなくても誰かやるでしょと確信する。案の上、テカプリがこれまでのゲームのいきさつを話した。


「ほな、あさってのピクルスって女子と、このオカマ少年が同じ学校やってことか。えらい偶然やな」と理解するほんまKAINA。


「オカマじゃないわ。ネカマ。オンラインでネカマやってるとね、リアルでもオネエ口調で話す方が気が楽になってきただけ。あら、ピンクのボブヘアーかわいい。あなたがサードちゃんね。このゲームが終わったらLINE交換しましょ?」


「どうして知ってるの?」


 サードはそう言えばまだ誰にも名前で呼ばれていないことに気づいた。


「やだ、スマートウォッチよ」


「連絡帳?」


 連絡帳には参加者の名前は書いてあったが、その後に情報が追記されていた。


「あ、増えてる」


 誰がどんな髪色なのかなどの基本プロフィールが記載されているようだ。ゲームが終わると、内容が更新されるのかもしれない。


「迂闊だった。スマートウォッチがあるんだから有効活用する必要があるんだ」


 氷河は他に変わった機能がないか調べている。


「今助けたのは『みかんのここ♡』くんだね。ハートってこれ呼ぶべきかな……。特徴、黒髪、短髪って書いてある。学校名も記載されてる。間違いなく壁方寺学院高等学校の生徒みたいだね」


 みかんのここ♡は、七人の視線を浴びて慌てて立ち上がった。濡れたブラウスが肌寒いのか身震いする。


「同じ学校かどうかなんか関係ないわよ。関係あるのはグルメユーチューバーのほんまKAINAじゃないの?」


 みかんのここ♡はほんまKAINAを見据える。連絡帳にはハーフだと追記されている。


「待ってくれ、ってことはほかにも情報が増えているのか」


 テカプリが言うなり重大な発見をする。


「あさピクの欄を見てくれ! 大変だ!」


 ゲームで死亡したあさピクの欄には、みなが知らない情報が記載されていた。


【あさってのピクルス=ほんみょう 西沢ハルナ】

【ドローン銃により、そくし。ざんねん!】

【とくちょう 女子がくせい

かみは、くろのロングヘア

ぶんぶりょうどう

壁方寺へきほうじ学院がくいん高等こうとう学校がっこうの一ねんせい。せいとかいふくかいちょう】

【第三のどうがを見た】

【※ゲームのヒント。第三のどうがはすでにさくじょされている】


「どういうことなんやろな」


 ほんまKAINAが殊勝気に呟くものの、目尻が少しにやついているように見えるのは気のせいだろうか。

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