ハニー・ゲーム 至極の脱出ゲームは蜜の味

影津

プロローグ ハニー・ゲーム

ハニー・ゲーム1

 目覚めるとそこは白い部屋。蛍光灯が隈なく設置されており、金髪の少年は眩しさから顔を背け、床に目をやる。すぐ隣に、同じようにコンクリートの床に倒れている少年がいた。意識はない。


「おい、ホウソー。起きろ」


 金髪の少年は自分の声が反響するのに驚く。ここはコンクリート壁に囲まれた長方形の部屋だ。地下の駐車場のようにも見え、広さは車十台ほどが横一列に駐車できるぐらい広い。(奥行は五から六メートル、横は三十メートルほど)


 カラオケ店ではない。金髪の少年はホウソーと帰りにカラオケに行く約束をしていた。だが、行ったかどうか、道のりの工程が思い出せないでいる。


 まさか、オールして酔っ払ってここにいるなんてことはないと思う――。


 金髪の少年は、蛍光灯の多さに違和感を覚えた。ああ軽すぎる。また、蛍光灯を反射するほどに鮮やかな、自身の青いつなぎ服にも驚く。こんなものを着た覚えはなかった。


 長身痩躯の少年、放送部ことホウソーは同じく眩しそうに覚醒した。ここはどこだろうかという疑問から、立ち上がって部屋をうろつくので、金髪の少年もそれにならう。


 長方形の部屋の突き当りに、天吊りのプロジェクターが壁の方を向いて設置されている。


 突然、照明が落ちる。部屋が真っ暗になり、ホウソーが女みたいな悲鳴を上げる。


「うっせぇよ! 落ち着け」金髪の少年は、お前の声に少しビビったなどとは言えなかった。


「……ふぅ、電気が消えただけなのか。ったくもぉ」


 気まずそうなホウソーに悪態をつかれた直後、プロジェクターが起動した。コンクリートの壁に映し出されたのは円柱形のハチミツの瓶だ。黄金に輝くハチミツが、中にぎっしり詰まっている。その上のハニーディッパーからもハチミツが滴っていた。本物かCGか分からない映像で、それがズームアウトしていき、ハチミツの瓶には胴体があると分かった。一言で表すならハチミツ頭のスーツ男といったところか。その怪しげな人物は突然踊り出した。


 足よりも上半身と腕、手指を使ったパントマイム風のダンスが独特のリズムに乗って繰り広げられる。白い手袋に黒いスーツで、パントマイマーの雰囲気が完璧だ。

あっけにとられた二人は、映像を適当に評す。


「これ文化祭? ホウソー、何年生の出し物?」


「え、知らなーい。てか見てみろよー。こいつダンス上手いな。俺らの学校にこんな奴いないだろ?」


「なら、先生のドッキリとか?」


 ダンスの最中、左右からハチの頭をした黄色のビキニ水着の女が現れる。ハチの頭は特殊メイクで使われるような樹脂でできているように見えるが、ドッキリにしては手が込んでいる。いや、そもそもこれはドッキリなのかと金髪の少年は訝しむ。文化祭が近いといっても、学校ではない場所で何を見せられているんだという不快感を覚えた。


 左右のハチ女が中央のハチミツ頭にまとわりつくセクシーなダンスを魅せ、ハチミツ頭が二人のハチ女を制止するようにしてダンスが終わる。


 ハチミツ頭がこちらに向かって快活に挨拶した。


〈こんにちは。ハニープレイヤーのきみたち。きょうも楽しくぅー、たにんの不幸をあじわっちゃおう!〉


 収録された歓声が響く。盛り上げるための演出か。さらに、見ている側が寒くなるような、例えるなら下手な大道芸を見た気分になるラッパのファンファーレが駐車場で反響する。


〈じゃあさっそく、ハニー・ゲームをたのしんでね。このゲームはハチミツがだいすきなおともだちがあそびに来てくれるんだ。ルールをせつめいするね。『ハチミツたっぷりにぬられたカメラでそいつを八分二十三秒とりつづけろ』。そうすれば、ジドウテキにそいつが入ってきたところから出られるようになるよ。それから、気をつけて、彼はあおいものにもキョウミをしめすから。きみたちがひっしになって、にげまわるのをキタイしているよ〉


 ハチミツ頭の男が意気揚々とバイバイの手を振り、観ている者を切り捨てるかのように映像が突然切れた。照明が点灯する。


「何なんだよ」ホウソーにぶっきらぼうに聞く。


ホウソーは、ああいう悪ふざけに詳しい。文化祭の出し物の一つにつき合わされているんだろうと、金髪の少年は嘆息する。


「あのハチミツ? だから知ってるわけないってばー」


「じゃあ、何が始まるんだよ」


「ハチミツ大好きって、プーさんとかかなぁ」


「んなわけあるか。とにかく出口があるんだろ。そこへ行くぞ」


 これから何が始まるのか知らないが、何かが始まる前にその出口から出ても問題ないだろうと、金髪の少年は駆け出す。


 ところが扉の類はどこにも見当たらない。息だけが駐車場に反響する。


 微妙に振動音を二人は感じた。徐々に大きくなる。


「ホウソー、天井だ!」


 モーター音とともに、天井の一部が昇降機となって降りてくる。漂うのは動物園で嗅ぐような獣の臭い。吊り下げられたかごに乗り込んでいるのは、黒く大きな生き物。照明に照らされ、犬とは似ても似つかない剛毛に覆われた輪郭が、二人にはっきりと見える。クマだ。重量があるのか、降りつつあるかごが軋んでいる。


「は、離れろ!」


 ホウソーがおろおろと寄り添ってくるので、うざく感じた金髪の少年は腕を振り払った。


 体長一・七メートルほどの黒いクマだ。胸に白い月模様があるからツキノワグマだろう。それも、二頭いる。一匹は子グマだ。それでも一メートル近くある。子グマでも体重五十キロ以上はありそうだ。ということは大きい方の一・七メートルほどのクマは母グマなのかもしれない。


 金髪の少年は、近年増加傾向にあるクマとの遭遇事故を思い浮かべる。クマに襲われる事件の原因として多いのが、母グマが子育ての真っ最中である場合に遭遇することだなと、ぼんやり思い出した。


 本物のクマに動揺を隠せず、二人はお互いを盾にするようにして、素早く後退をはじめる。


 かごが下がりきると、クマは鼻をヒクつかせて辺りを警戒しながら降りて来た。

 子グマは、母グマの後ろから顔を覗かせて怖がっているようにも見えるが、この意味不明な状況で一番、おののいているのはホウソーだった。ホウソーは長身だが、本当にそれだけを取り得にして威張っているような奴だった。緊張が極限に達したのか、一目散に壁際まで逃げ出すホウソーに金髪の少年は呆気に取られただけでなく、こいつ死んだと確信する。クマを前にして絶対にやってはいけない行動だ。


 母グマはヴーっと低く大きな唸り声を上げたかと思うと、ホウソーを追った。速い。時速五十キロほど、通勤電車ぐらいの速度があるんじゃないだろうか。


 金髪の少年は壁に寄るように忍び足で後退する。母グマはホウソーしか眼中にないらしく、通り過ぎていく。


 ホウソーは逃走と呼ぶには短すぎる、わずか数秒で母グマに追いつかれ、尻を引っ掻かれた。前足による軽い攻撃だったが、とんでもない。つなぎから血の吹きだす傷口が見えたと思ったら、えぐられた尻の黄色い脂肪分がもろに飛び出る。五針から十針は縫わないといけないだろう。


 さらに母グマは怯んだホウソーの腰に、容赦なく噛みついている。ホウソーの骨盤が固く、じれったくなったのか、噛みやすい腹に黄ばんだ牙をあてがう。圧迫されたホウソーの腸がびろっと押し出された。自分の腸に驚いてホウソーの悲鳴は裏返った。そのままクマに爪でひと掻きされる。両手でクマの顔を押しのけようともがき、クマの口吻が押しつけられると、そこからは悲惨だった。


 血飛沫ちしぶきが飛んだが母グマにのしかかられても絶命せず、四肢は空を掻いている。


 金髪の少年は髪が逆立つのを感じた。


 黒毛の下でうごめくホウソーの白い肌が、抵抗する度に裂けたり剥がれ落ちる。抗って苦心する声や悲鳴が、喉を食い破られたのか弱弱しい喘鳴ぜんめいに変わっていく。


 金髪の少年は身を竦めた。ほとんどかがむような姿勢で、ことの顛末を見守る。左右に揺さぶる母グマの巨躯と、なすすべなくそれに追従するホウソーの血肉。


 金髪の少年は必死に歯を食いしばって息を潜める。叫んだら自分もやられる! その恐怖心だけが助けとなり、息をするのを忘れたおかげで、子グマに視線を向けることができた。


 子グマも先ほど母グマがやったように、鼻をヒクつかせている。


 自分の臭いを嗅がれている――。金髪の少年はそう思うと、心臓が早鐘を打つことさえうるさいと感じた。


 よく見ると、クマの乗っていた正方形のかごの中に、スプレー缶のようなものと、ハチミツの瓶が置かれている。きっちり密閉されているのでクマは手を出していないようだ。その中に、黒いものが浮いている。


 アクションカメラだ。手持ちで使用したり、固定して使うこともできる。ハンディカムよりも、画質がいいので近年はユーチューバーなどに好まれて使用されるカメラの一つだ。


 ハチミツ頭はこれで撮影をしろと言った。馬鹿げている! 金髪の少年は笑っていいのか泣いていいのか分からず、しょっぱい顔をしたつもりだ。実際にはそれは苦笑だったと気づき、まだ笑えることに感謝した。子グマの脇をすり抜けてかごに乗ることだけを考える。


 金髪の少年には強い自己顕示欲があった。どんなゲームもできる。友達とやるシューティングゲームではいつも一番だったし、ネット対戦でもかなりの上位プレイヤーであると自負していた。ゲームと名のつくもので、負ける未来なんか見えなかったのだ。必ず攻略できる――。


 心の中で悪態をつく。ハチミツ頭に一つ言ってやりたいことがあった。お前の考えはお見通しだ。お前は底辺You Tuberだ。俺なら、もっとこの配信を面白くしてみせる――。


 とはいっても、部屋にカメラのようなものは見当たらない。いや、一つある。先ほど映像を壁に映した天井のプロジェクターが向きを変え、金髪の少年を見つめている。


「野郎。見てやがる……」

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