第21話 最高の賢者
サイハテもシャインも黙りこくっている。レイを前にして、プレアデスが杖を構えているのをじっと見つめていた。プレアデスは地面から腰ほどの長さの杖をレイの遺体に被せるように向け、目を瞑った。長いまつ毛は少し湿っていた。
「賢者レイ。あなたは勇者パーティとして人類を救い、その身を盾にして仲間を救った。この上ない甘露と癒しを……願わくば輝かしい星になって。ここにラストウォーターの儀を執り行いましょう」
レイの唇あたりにシャボン玉のような水の玉がぷかぷかと浮かび始めた。不定形に形を変えながら、ゆっくりとその唇に水の玉がキスをする。レイの唇が十分に湿ったことを確認すると、プレアデスは杖を釣り竿を振るように少し上にあげた。
周囲からざわめきが起こる。人々は目を白黒させた。レイの体がベッドから浮き上がり、空中に寝かされたような形になったのだ。
プレアデスはざわめきを気にも止めず、杖を二振り。すると今度は人が丸々入るほどの大きさの水の塊が現れた。表面は波うち、儀を見守る人々の顔を反射した。その水はどこまでも青く、一方でどこまでも透明だった。
水の玉は渦巻きの形になると、レイの頭から足を優しく抱きしめるように包み込んだ。葬送において体を清めるのはさまざまな地域で見られる。
プレアデスは杖を地面にコツンと打ち付けると、水は解けるように消えて、レイの体は再びベッドに寝かされた。不思議なことに彼の体にもベッドにも滴ひとつついていない。しかしレイは風呂上がりのようにさらに綺麗になっていた。
ラストウォーターの儀式が終わるのを見計らい、サイハテはレイの部屋の窓を開け放った。優しい風が皆の頬を撫でる。
「ありがとうございます。プレアデス様」
プレアデスは沈み込むようにお辞儀をするとレイを見守る人々の中に戻った。
「さて……私はこの度賢者レイに葬儀を頼まれた葬官サイハテ。これより葬送を執り行う」
レイの遺体が棺に優しく入れられる。彼が生前望んだホーリーパワードツリーで作られた、家が三十軒買える値段の棺だ。
棺の蓋は開いたまま。皆レイに別れの言葉を述べていく。エンバーミングとして氷魔法が施された棺は近くにいるだけでだけで寒気がするレベルだ。
しかしレイのために集まった人々はそれを気にせず、棺に近寄れるギリギリのところで別れの言葉を口にしていく。そして言葉を述べると、星のペンダントをギュッと握りしめて、彼が星になれることを祈る。
別れの言葉を言うための列はじわりじわりと進み、フィスタの番がやってきた。彼女は腫らした目元を擦る。棺にあまり近づくと、冷気や魔法のガスの影響をうける。そのため少し離れたところからフィスタは彼に手を伸ばした。するとレイの手がひとりでに、糸につられるように動き出した。そして透明な手に握られているような形になる。
それを見てシャインは懐かしむようにサイハテに言った。
「……フィスタは拳の振り抜きを飛ばすのが得意な戦士だ。つまり遠くにいる敵にだってパンチできる。だけどある日レイは彼女に言ったんだ。フィスタの能力なら遠く離れても握手ができるって」
「素敵だね」
サイハテは穏やかな気持ちでフィスタを見つめながら答える。フィスタは攻撃範囲を拡大する能力の応用でレイの手を握り、ポツリと一言。
「ありがとう」
フィスタはつぶやくように言うと、集まった人々の中に埋もれた。ほとんど全員が部屋レイに別れの言葉を述べた。残るはシャインだ。
「……レイ。君は賢者だけど、ユニークで興味深いやつだった。一生かけて尊敬する。俺たちを守ってくれてありがとう。お疲れ様」
シャインは星のペンダントを潰れんばかりに強く握ると、目を瞑り祈った。
シャインが祈り終わると、全員の視線がサイハテに向いた。葬送の方法なんて皆あまり詳しくないから、サイハテに段取りを任せているのだ。
「では棺に蓋をし、運び出す。しかし星教では正面口からは棺は出さない。アナザーゲートという魔法門で外に運び出す。それでは皆、棺を持ち上げよう」
蓋を閉じるのに三分かかった。枠の狙いが定まらないのではない。閉めたくなかったのだ。金の装飾が施された棺を皆で持ち上げると、サイハテはショカから預かった魔法の鍵を取り出す。何もない空中に鍵を差して、回す。そうすると空間が破れ、外の景色が見えた。
棺を持った男達はゆっくりとアナザーゲートを通り、レイの家の外へと出る。野辺送りの開始だ。
最近野辺送りを襲い、遺体を奪う魔術師がいると言う噂をサイハテは聞いていたのであたりをキョロキョロと見渡す。そんな様子を見たシャインが棺を持ちながらサイハテへと小声で話しかけた。
「俺がいる」
その言葉だけで棺の安全は完全に守られたも同然だ。サイハテ達は棺を持ちながら大通りに出た。大通りにいつもの喧騒はなく、皆厳かな表情で野辺送りを見守っていた。誰も、何も言わない。だんだんと棺を持つ男達の顔が悲壮に暮れてきた。
着々と終わりの終わりが近づいてきている。牛のようにゆっくり歩きたい。そんな思いを皆抱いていた。
実際に彼らの歩みはだんだんと遅くなっていた。しかしサイハテは急かすことはしない。葬送は生きている人のためにも行う側面があると信じており、生きている人の思いも蔑ろにはできない。
サイハテを先頭にした葬列は草原の火葬場へと歩を進め続ける。しばらくすると、西国トップクラスの大通りに出た。家の二階から葬列を見下ろしたりする人、商いを中止して葬列を凝視する人。
ふとサイハテの視界の隅で天を突くように何か打ち上げられた。パン、と乾いた音と共に空に打ち上がった物体を見て、シャインは剣を抜き、フィスタは拳を構えた。
二人から一瞬遅れて葬列の人々も空を見上げた。青く光る物体はどんどん高度を上げていき、雲の浮かぶ高さほどになってから爆音と共に破裂した。玉虫色に輝く火花が散り、空を閃光の筋が包み込む。
「は……?」
シャインは呆然と空を見上げた。歴戦の勇者もこんな状況は初めてだ。ただ彼は地上に降り注ぐキラキラしたものを目で追った。
空で破裂し、何千もの光の筋が石畳の道に注ぐ。そして注いだ側から、そこには花が咲いた。それだけではない。子供の近くに光の筋が落ちれば、飴玉が地面から溢れ出した。光のそばにいた子供は目を丸くしていた。
いくつかの光が家の屋根に着弾する。すると、着弾したところから侵食するように、家屋が黄金の輝きを放ち始めた。
シャインはその光景を見て、ため息をついた後、少し頬を緩ませる。ゆっくりと棺に触り、猫を撫でるようにホーリーパワードツリーの蓋を撫でた。
「レイの仕込みだな……サイハテは知ってたのか?」
サイハテは少し首を傾け、笑いとも悲しみとも取れないような顔を見せた。しかしそれでシャインは十分だった。
レイはド派手で豪華な葬送を望んでいた。そしてサイハテは希望にそう葬送のためなら全力を尽くす。こんな二人の気質を知っていたら、答えは出たもの同然だ。
飴が溢れ出し、花が咲き誇り、黄金の家が光り輝く。花火が空に所狭しと打ち上げられ続ける。そんな大通りを葬列は進む。
皆泣いていた。しかし悲しみでいっぱいだった心のコップに、数滴の笑いと感謝が滲んだ。
火葬場のある平原に着く。皆の眼前には金色のレンガで組まれた炉のような施設があった。それを見てサイハテは口を開く。
「最後のお別れだ。さぁ……棺を置いて」
サイハテは置かれた棺の下に目一杯敷き詰めたホーリーパワードツリーの枝に一つの魔法道具を星のペンダントと共に投げ込んだ。そして目を瞑る。皆もそれに続いた。
パチパチと棺が炎に包まれていく。煙がたなびき、空へと昇る。平原に現れた一筋の煙の柱。この柱が見える範囲の人々は皆煙の正体を知っている。
炎がどんどん大きくなるのが見える。星教の火葬は煙が空に届くことが重要なので、施設に蓋などはしないからだ。
煙が空に上がり、先端も見えなくなる頃、ヒラヒラと一枚の紙が舞うように落ちてくる。シャインが数メートルジャンプし、それを掴む。彼が着地すると、皆が集まってそれを覗き込んだ。紙には御斎について書かれていた。
「ワイズの街に美味しいレストランがあっただろ?あそこにフルコース頼んどいたから皆んなで食べてくれ」
そのメッセージを読み、シャインは目頭を抑えて空を仰いだ。
「本当に……君ってやつは」
その夜、一人の天文学者が新たな星を発見したと言う。
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