夏の思い出-1964

東条 朔

第1話 晩夏

 あれは1964年の晩夏のことで、その日の出来事は私たち家族が集まると必ず話題に上がるほど、愉快な思い出なのです。生前夫は、この話題がでると「そんなことがあったなんて憶えていない」の一点張りで、それから不機嫌に「フンッ」と鼻を鳴らして黙りこむのでした。私たちはそんな夫を見て、「父さんらしいわ」とか、「恥ずかしいのね」とか、好き放題に言ったものです。いずれにせよ、場が和む思い出話ということです。

 あの日私は家の庭で水をまき、あと数時間もすれば天頂に昇る太陽の光を少しでもやり過ごそうとしていました。そんな私をよそに、夫は縁側に腰かけて足は氷水に浸け、片手に新聞、片手に扇子を持ち器用に涼をとっていました。私の夫は物書きで、物書きという人間が皆、汗を流すことを嫌うように(これは私の偏見です)夫も兎角暑さと、暑苦しい人間が嫌いでした。

 そんな、暑さにすっかりやられているはずの夫が勢いよく立ち上がり

 「なあお前、そろそろうちの子にも社会の厳しさというものを体験させるべきじゃないか」

 夫はそう言ってから「フンッ」と鼻を鳴らしました。どうだ、と言わんばかりに。

 いったいどういった文脈で、そんな提案が出てくるのか意味が分かりませんでした。夫は元来、人に頼ることを良しとせず、何もかも一人で考え決断してしまう性格でした。ですからこういったことは初めてではなく、たびたびこういったことはありました。そして幸運なことに、私はこういった状況の対処法をすでに持っていたのです。すなわち、魔法のさしすせそです。

 本当は会話したくないが、しかし会話を放棄することはもっと面倒な事態を引き起こす。こういった経験は誰にでもあると思います。そんな時、魔法のさしすせその出番なのです。相手の言葉に対して「さすがだ」、「知らなかったな」、「凄いな」、「前衛的だね」、「そうか、君は悪くない」、これら5つの言葉をローテーションするだけで、相手は満足して会話をやり過ごせるのです。

 私は例のごとく魔法を唱え、夫の長広舌をやり過ごしました。そしてどうやら夫は、オリンピックを前に浮ついた日本のことを憂いているようで、それから紆余曲折を経て、子供の教育という論拠に辿りついたようです。私はそんな夫を尻目に水撒きを続けました。

 しばらくして庭の水撒きも一段落した頃、玄関から夫が私を呼ぶ声が聞こえました。

 「太郎がおつかいに行くから、お前も来なさい」

 玄関に行くと、夫が袖口から50円玉を出し、太郎に渡していました。夫は太郎と同じ目線になるよう腰をかがめて

 「ちゃんと煙草を買ってこれたら、オリンピックに連れってってやる。いいか、ちゃんと買ってこれたらだぞ」

 夫がそう言うと、太郎はにわかに目を光らせ「本当に、本当」と繰り返し確認し興奮していました。さすがの夫も、我が子の愛らしい様子に「本当に、本当だ」と得意になっていました。言質をとった太郎は勢いよく家を飛び出していきました。

 太郎が出てから少し時間をおいて、夫も出かけて行きました。「散歩に行く」と、だけ言い残して。結婚して8年、夫の口から「散歩に行く」なんて言葉が出たことはありませんから、嘘だとすぐに気づきました。子供に社会の厳しさを教えるとか高尚なことを言っておきながら、内心、子供が心配でついていくとは、あの人らしくかわいらしい一面だと思い、私は少し笑ってしまいました。




 僕はいったい何をしているのだろうか。家を出た時天頂に届きつつあった太陽は今、僕の真上から容赦なく熱線を浴びせている。そして熱線よりさらに辛かったのは、道行く人の好奇の視線だった。


 昼前ということと、商店街のメインストリートに近いということもあり、とにかく人が多い。戦後という言葉もどこへやら、商店街は様々な店が立ち並び極彩色の世界が広がっている。喫茶店や、書店、アイスクリンの屋台、牛鍋屋、そのどれもが真新しく、活気があった。あんな焼野原からよくここまで復興したものだと、こういった人込みや高層ビル、商店街を見るたびに考えさせられる。きっとこの感覚は、死ぬまで消えないだろう。それほどまでに激動の時代だった。

 視線の先は、太郎を捉え続けていた。太郎はかれこれ二、三分ほど煙草店の前で立ち止まってしまっている。どうやら店に入る勇気がでないようだった。

 煙草店は昼前だというのに薄暗く、灯り一つ、ついていない。一面ガラス張りになっているが、入口のドア以外は全て煙草や酒のポスターで埋め尽くされ、中の様子を窺い知れない。そして恐らく、太郎を逡巡させているのは店の暗い様子だけではなく店主の鬼山田オババの存在だろう。オババはその名の通り、鬼のような形相で、目つきは鋭く、白髪は重力に抗うように逆立って角が生えているように見える。そして、オババの最も恐ろしいのは誰も声を聞いたことがないということである。僕が子供の頃からオババはこの煙草店の店主で、僕らの仲間内では地獄で閻魔に舌を抜かれ、それから紆余曲折あって(便利な言葉である)地獄から這い戻ったから言葉を話せないというのが通説だった。

 兎角、太郎は勇気が出ずにいた。僕もそろそろ体力の限界が近づいてきている。そして電柱に身を潜め、我が子を見守るというのは精神的負担が大きい。僕は、精神と体力の限界から自分を説得する段階に追い込まれていた。もう十分太郎は頑張ったじゃないか、と。そもそも、はじめてのおつかいが煙草というのも如何なものか。僕は体温が上昇するのとは反対に、冷静になっていった。僕が「さて」と、電柱の陰から身を出したとき「パチンッ」という音が響いた。正確には響いて、すぐに雑踏にもみ消された。

 音の主は太郎で、どうやら自分の頬を叩いたようだった。「目を覚ませ、勇気を出せ」と自分に言い聞かせるように。それから太郎は、意を決したように煙草店に入っていった。

 子供の成長は、僕ら成長しきって緩やかに衰えていく大人には急速に思える。だから、少し目を離した隙に僕が知っている子供の姿というものは過去のものになっていく。子を持つということはきっとそういったことの繰り返しで、僕ら親は、そういったいくつもの過去の存在によって子供の成長を実感する。それだから、今、この瞬間に立ち会えた僕は世界で一番幸福なのだろう。

 暫くして、太郎は煙草を持って店から出てきた。僕は太郎に気づかれないようその場をあとにした。




 今、ぼくは宝物をもっています。それは煙草です。ただの煙草ではありますが、しかし、これはぼくの勇気の証でありオリンピックへと通じる道なのです。空は雲一つなく、透き通った青でした。まるでぼくの心のうちのようです。足取りは軽く、空も飛べそうです。そうして肩で風を切って歩いていると、後ろから、けたたましくサイレンを鳴らしたパトカーと救急車が走ってきました。救急車とパトカーは勢いよく走り去り、その時の風が、とても強かったので宝物を離さないようしっかり握りました。

 その日は夏の最後の悪あがきといえるような、とても暑苦しい日でした。ですから、車たちとのすれ違いざまに吹いた風は、ぼくに一瞬の涼を与えてくれたのです。風は、ねっとりとした夏の空気と一緒に、ぼくの高揚した気持ちも連れ去ったようで、それからはずっと隙を窺っていた疲労感が体を支配することになりました。

 車たちはぼくを抜いたあと、2ブロック先の角を右折しました。僕は一瞬足を止めました。なぜなら、その先にぼくの家があるからです。車たちが進んだ道は行き止まりで、その道の奥まったところにぼくの家があるのです。肩から腰にかけて、冷たい汗が流れてゆくのを感じました。

 ぼくを追い抜いた車たちはどこへ向かっているのだろうか。先ほどまでとは打って変わって、ぼくの心は不安に包まれていました。

 もしかしたら車たちは、僕の家に向かったのかもしれない。父さんと母さんに何かあったのかもしれない。煙草を買ったときに、オババが不気味に口元を歪めていたのは凶兆だったのかもしれない。小さな篝火のようだった不安は、今や燎原の焔のごとく僕の心を焼き尽くさんとしていました。

 僕は疲労で腫れた足に鞭打つように駆けだしました。さながら、不安を打ち消すように。




 私が縁側に腰かけアイスコーヒーを飲もうとしていると、玄関のほうで扉の開く音がしました。どうやら夫が帰ってきたようです。夫は玄関を上がると、リビングを通り縁側へとやってきました。その足取りは酔っ払いといい勝負で、生まれたての小鹿には劣るといった様子でした。顔は青空よりも青く死人のようで、今日が盆でなくてよかったと思いました。こんな顔色で外を出歩いたら、きっと近所の人に、盆で故郷に帰ってきた仏様と間違われることでしょう。

 「アイスコーヒ飲みますか」

 夫は「うむ」とだけ言って、縁側にどかっと、腰を下ろしました。私は台所に行き、冷蔵庫からアイスコーヒーの入ったボトルを、調味棚からコーヒーシュガーをとりました。

 縁側に戻ってみると夫は、新聞を逆さに持ち何やら難しそうな顔をしていました。ああ相当、太郎のことが心配なのだろうなと思う反面、私はそれを気づかせまいと新聞を読むふりをする姿に笑いを堪えるのに必死でした。

 私は夫をできるだけ直視しないよう、アイスコーヒにコーヒーシュガーを3つ入れ、スプーンで混ぜました。それを夫のそばに置くと、夫は勢いよくコップを掴み一気に飲み干しました。気持ちよく喉を鳴らしながら飲むので、つくりがいがあるというものです。

 すると、玄関のほうで扉が開く音がしました。私と夫は顔を見合わせ、同時に玄関のほうに目を向けました。が、夫はすぐに新聞を読むふりに戻りました。

 玄関からリビングへと現れた太郎は、先ほどの夫と同じように不安定な足どりで、顔は血の気が引いた青でした。そうして太郎はフラフラと縁側にやってくると、夫に煙草を差し出しました。

 夫は、疲労で青ざめた顔を見られたくないのか、逆さの新聞で顔を隠しながら太郎から煙草を受け取りました。

 私は、太郎に何か悪いことが起こったのではないかと心配になり「どうしたの」と尋ねました。

 太郎は、一瞬の硬直を挟んで、それから私に笑いかけました。恥ずかしそうに、しかし幸福そうに。

 それから太郎は、おつかいの道中何があったのか滔々と話し始めました。どうやらパトカーと救急車が、家と同じ方向に進んでいった為、家に何かあったのではないかと心配し、走って帰ってきたということでした。

 私はその話を聞いて、堪えていた笑いが飛び出しました。夫のほうを見やると、夫も小刻みに震えています。笑っている顔を見られたくないのか、新聞で隠れてはいますが。

 ちなみに、救急車とパトカーは道を間違えただけだったようです。

 

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夏の思い出-1964 東条 朔 @shuyanatsuki

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