2 憲兵の捜査
「事件のあらましはこうです」
現場の宿屋へと向かう最中のことである。
ディックと名乗った憲兵は、死体が発見されるまでのいきさつを語っていた。
「ヒースさんたちのパーティは、今日は朝から集まる予定になっていたんだそうです。それなのに、肝心のリーダーであるヒースさんがいつまで経っても現れません。それでメンバーたちは部屋まで彼を起こしに行きました。
「しかし、声を掛けてもノックをしてもいっこうに返事がない。何かあったのではないかと不安に思って、メンバーたちは中に入ろうとしました。ところが、鍵がかかっていてドアは開きません。
「宿屋の主人に事情を伝えると、彼はすぐに合鍵を使って解錠してくれました。メンバーたちはすぐにでも部屋の中に突入します。
けれど、悪い予感が的中してしまいました。ベッドの上のヒース氏は、すでに亡くなっていたのです」
図ったかのように、話が終わるタイミングでちょうど現場に到着した。
ディックが説明した通り、そして俺が計画した通り、ヒースの死体はベッドの上に横たわっていた。
見開かれた目にはもはや生気はない。ただ
だが、それを目にしたところで、俺の中にはひとかけらの罪悪感も湧いてこなかった。むしろ、ヒースのこの苦しみを俺が与えたのだと思うと、達成感や爽快感を覚えるくらいだった。周りにディックや他の憲兵たちがいなければ、快哉を叫んでいたかもしれない。
「目撃証言と死体の状態から、死亡推定時刻はおよそ昨日の午後九時から今日の午前三時頃だと推定されています。その時間はどこで何をされていましたか?」
「夕方からあの店でずっと飲んでいました。だから、俺には犯行は不可能です」
ディックの質問に、俺は毅然とした態度で答えた。
本当は容疑者候補にすらならないのが最善だった。だが、まだアリバイ工作によって無罪を主張することができるので、次善の状況だとは言えるだろう。
「アリバイを主張されるんですか?」
「ええ。確認すれば、お店の方が証言してくれるでしょう」
「たとえば食器に毒を塗って、被害者がいずれ口をつけるような仕掛けで殺していたら、死亡推定時刻にアリバイがあっても関係ないと思うんですが…… あなたにはまだ死因をお伝えしていなかったはずですよね?」
迂闊だった。こんなカマのかけ方をしてくるとは。
同席しているリンには、余計なことはしゃべるなと命令してあった。しかし、動揺が顔に出てしまっていて、しゃべっているも同然である。リンとはいつも一緒にいるから、今回もそうした方が怪しまれないかと思ったのだが、こんなことなら多少不自然でも部屋に待機させておけばよかったかもしれない。
もっとも、リンのことはともかく、俺の失言の方はまだ挽回可能なはずである。
「あっ、毒殺だったんですか? いきなりアリバイを聞かれたので、てっきり刺殺とかそういう死因だと思ったんですが」
「我々の調べでは窒息死だろうと推定されています」
ディックはいけしゃあしゃあと訂正する。
それからヒースの死体に近寄ると、そのまぶたを裏返すのだった。
「血管内の酸素が減少すると、細かい血管が破れやすくなるんですよ。それで窒息死した死体には、こんな風にまぶたの裏に赤い点が浮き出ることがあるんです。
「でも、窒息死というわりには、首に縄の跡がないようですけど」
「絞殺にしろ
ディックはさらに「たとえば、柔らかい布で首を絞めたり、弱い握力で首を絞めたりすればいいんです」と具体的な方法を続けた。
どうやら彼は完全に他殺を――というか俺の犯行を疑っているようだ。
「ドアは施錠されていたそうですけど、鍵はどこにあったんですか?」
「部屋の中です」
「複製できるようなものなんですか?」
「おそらく不可能です。以前窃盗事件でトラブルが起きた影響で、鍵を複雑なつくりのものに取り換えたそうなので。同じ理由で針金なんかで不正に施錠するのも難しいですね。
「また、宿屋のご主人が厳重に管理されていたようなので、合鍵を盗むのも不可能だったと言ってよいでしょう。
さらに言えば、部屋の窓は
あまり嗅ぎ回ると不審がられると思って、鍵関係の情報収集はほどほどで済ませてしまっていた。だが、俺の期待していた通り、施錠は部屋の鍵を使わないかぎり無理だったようだ。
「つまり、現場は密室だったということですよね? 殺人は不可能なのでは?」
「しかし、溢血点の問題がありますからね」
ディックはそう食い下がってくる。まさか憲兵のくせに知らないのだろうか。
「病死の場合にも溢血点が出ると聞きましたが」
「病死?」
「確か心臓の病気でしたか」
「ああ、そうでしたそうでした。テイラーさんは物知りですね。憲兵でもないのに、検死の知識もあるなんて」
またカマをかけられていたらしい。嫌味な男である。
だが、これもまだ挽回が可能だろう。俺は「冒険者なら、死体に接するのは珍しくないので」と言い訳するのだった。
「おっしゃる通り、単に病死の可能性もあります。ただやりようによっては殺人ということもありえるんじゃないかと、憲兵隊の中にテイラーさんを疑っている者がいましてね」
どうせお前のことだろ? そう言い返したくなるのをこらえて、俺は話の流れに沿った質問をする。
「一体どうやってやったって言うんですか?」
「スライムですよ」
ディックは端的にそう答えた。
「魔物使いのあなたには説明するまでもないでしょうが、スライムは非常に柔らかい体を持ちます。そのため、少しでも空間があれば、そこから侵入することができます。たとえば、窓の隙間とかね」
この街は王都から離れている上、規模も決して大きいとは言えなかった。ヒースは一番高い宿を取ったものの、それでも安普請であることは否定できない。
そのせいで、部屋のあちこちに問題があった。薄くて音が漏れる壁、硬くて寝心地の悪い布団、外から隙間風が吹き込んでくる窓……
そう、ディックの言う通り、窓と壁との間には5ミリほどの隙間が空いてしまっていた。だから、本当に厳密な意味では、密室ではなかったのだ。
「これもあなたには説明不要でしょうが、洞窟や迷宮の天井からスライムが襲いかかってくるというのは、冒険者にとってはよくあるシチュエーションです。おそらく窓の隙間から侵入したスライムは、部屋の天井から飛び降りると、寝ているヒースさんの顔に張りついて鼻と口を塞いで窒息死させたのでしょう。だから、首に何の跡も残っていなかったのです。
「それに、これなら犯行時刻にアリバイを作るのも簡単です。あらかじめスライムに指示を出しておくだけでいいわけですからね」
スライムに殺人を実行させて、その間にテイラーは酒場でアリバイ工作をした。ディックの脳裏には、そういう
「もちろん、同じことは他の魔物使いの方にもできるでしょう。ただ、あなたは
「……ええ、その通りです」
パーティメンバーはもちろん、酒場で愚痴ったことで店員や客にも知られてしまっているはずだから、誤魔化したところで無駄だろう。動機があったこと自体は正直に認めるしかない。
「でも、ヒースはルーキーじゃないんですよ。今更スライムに殺されるなんて」
「いくら熟練者でも、宿で襲われることまでは想定していないでしょう。手近に武器がないのなら、対処できないままやられるのも十分ありえることなのでは?」
頭上は無防備になりやすいことから、天井からのスライムの奇襲に対して、冒険者はどうしてもパニックを起こしてしまいがちである。パーティを組んでいればまだ他のメンバーに助けてもらえる可能性があるが、ソロの場合はそれも期待できない。そのため、最弱のモンスターはスライムではなく、ゴブリンだと考える者もいるくらいだった。
ダンジョン探索のような警戒が必要な場面ですら、この通りスライムの奇襲による死亡例がしばし記録されているくらいなのである。宿屋で就寝しているところを襲われたら、ディックの言うように熟練者があっさりやられてしまっても何も不思議はないだろう。
「窒息の方は確かにおっしゃる通りかもしれません。でも、密室の方はおそらく無理ですよ」
「何故ですか?」
「実際にやれば分かりますよ」
そう答えると、俺は背後を振り返った。
「リン、頼めるか?」
「う、うん」
緊張気味にリンはそう頷く。
実験のため、俺たちはベッド脇から窓のそばへと移った。
リンは人間の少女の姿から、半球のような元のスライムの形へと戻る。そして、窓と壁の隙間に体をねじ込んだ。
半固形の柔らかな体は、するすると隙間を通っていくが――
「やっ、やっぱり無理」
リンは途中でそう音を上げていた。
粘体が半分ほど通り抜けたところで、体がつっかえてしまっていたのだ。
「スライムには核がありますからね。狭い隙間を通れると言っても限度があるんですよ」
スライムの核は、人間で言えば脳や内臓に当たる器官である。粘体はいくら傷ついても平気だが、核が傷つけば簡単に死んでしまうのだ。だから、窓の隙間に核を無理矢理押し込むようなこともできない。
「体の小さなスライムなら、核も小さいのではありませんか? テイラーさんは、他にもたくさんのスライムを仲間にされていると聞きましたが」
「子供のスライムでも直径2センチくらい、低く見積もっても1センチはあると思いますよ」
対して、窓の隙間は5ミリ程度しかない。倍以上も差があるのだから、通り抜けるのはどうあがいても無理だろう。
「それとも、どこかにもっと大きな隙間がありますか?」
「いえ、ないようです」
「では、侵入は不可能ですね」
窓の隙間を通れないことも、他に隙間が存在しないことも、あらかじめ自分の部屋で検証済みだった。予定調和の勝利に、俺は勝ち誇る気にもならない。
一方、ディックはディックで負けを認めるようとしなかった。どうやらこの敗北は、彼にとっても予定通りのものだったらしい。
「これはパーティメンバーの方からお聞きしたんですけどね。ヒースさんに追放を宣告されたあと、あなたが彼の部屋をもう一度訪れたというのは本当ですか?」
思わず舌打ちをしたくなる。まさか見られていたとは。いや、この宿は壁が薄いから、声を聞かれていたのかもしれない。これだから安普請は嫌なんだ。
嘘をつくという手もあるにはあるが、バレたら余計に疑いが濃くなるだけだろう。俺は今度も正直に事実を認めることにした。
「ええ、そうです。考え直してもらえないか掛け合いに行ったんです」
「本当にそれだけですか?」
「何をおっしゃりたいんですか?」
「その時に、スライムもこっそり連れて行って、殺害のタイミングが来るまで部屋のどこかに隠れてもらっていたのではありませんか?」
確かに、その方法なら窓の隙間を通れなくても関係ない。それにスライムの柔らかい体なら、物陰に隠れることも容易いだろう。
しかし、ディックの説には大きな穴がある。
「入る時はその方法でいいとしても、出る時はどうしたんですか?」
「同じことですよ。殺害前にそうしたように、殺害後の今も部屋のどこかに隠れているんじゃあないですか?」
「…………」
そうすべきではないと分かっていながら、俺はつい黙り込んでしまった。
「本来なら、隙を見てスライムには部屋から抜け出してもらうつもりだった。しかし、パーティメンバーや我々憲兵の内の誰かが、ずっと部屋にいたために脱出は不可能だった。だから、あなたは事情聴取に応じるふりをして、スライムの回収に来たのでは?」
もはや俺の返答などどうでもいいのだろう。ディックは自説の正しさを確信している様子だった。
「探せ」
ディックの指示に、部下の憲兵たちは「はっ」と応じるのだった。
余裕たっぷりの口調から言って、ディックは最初からこのトリックを思いついていたのだろう。部屋の捜索をして証拠を掴んでから、俺のところに来てもよかったはずである。
にもかかわらず、事情聴取と称して、わざわざ俺を現場まで連れてきた。それは俺の反応を観察して、どこにスライムが隠れているのか探しやすくするためだったようだ。
憲兵の捜索を見守る俺の表情に、ディックは視線を向けてくる。蛙が獲物を狙う時のような、粘っこくて薄気味の悪い視線である。今すぐにでも、やめろと掴みかかりたい気分だった。
そうして俺が苛立ちを募らせる間にも、憲兵の捜索は進んでいく。タンスの中、テーブルの裏、ベッドの下……
「で、どこにいるとおっしゃるんですか?」
憲兵が同じ場所を改めて探し始めたのを見て、俺はそう答えを催促した。
あれだけ入念に部屋の中を調べ回ったというのに、彼らはスライムを発見できていなかったのだ。
この事態に対して、ディックにはまだ秘策が――なかったらしい。
「どうやら私の推理ははずれだったようですね。たいへん失礼しました」
予想外に、素直にそう謝ってきたのである。
無駄骨に付き合わされたという怒りは確かにある。だが、それ以上に無実が証明されたことの喜びの方が
俺は「捜査協力は市民の務めですから」と殊勝なことだけ言って、ディックにすぐさま背を向ける。復讐に成功したという歓喜が爆発してしまう前に、早く部屋に戻りたかったからである。
しかし、そうすることはできなかった。
「ところで」
背後からディックの声が聞こえてきたのだ。
このまま立ち去ってしまいたい。だが、そういうわけにもいかない。渋々とディックの方を振り返る。
すると、そこにはまだ余裕の残る表情があった。
「テイラーさんはブルースライム――いわゆるスライム以外の種類のスライムも仲間にされているとお聞きしたのですが」
「……ええ、そうですよ」
そう認めた瞬間にも、ディックは次の質問に入った。
「よろしければ、紹介していただけませんか?」
推理のヒントになりかねないので、できることならスライムたちの詳しい情報は隠しておきたい。しかし、ここで断るのは、「隠しておきたいことがある」と宣言するに等しいだろう。結局のところ、俺はディックの要求に応じるしかないのだった。
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