第12話

 ルーデットの仕事は施療院とアマルセアでの週市、そして定期的に近隣の村落を回るという往診の繰り返しだった。


 夏の日差しが相変わらず矢のように降り注ぐ、快晴日。

 作物の収穫で忙しい近所の村をまわり、義肢を装着する者を尋ねて額に汗を浮かべる。


「いやぁ、今日も忙しかったですね! 村の皆さんも、お元気そうでなによりです!」


 診察を終え、施療院に帰る馬車の中。御者席に向け、朗らかな声が飛んできた。

 馬車の中で足を伸ばすペルーシュカのものである。


 ペルーシュカは両足が義足。長時間、御者席に座り続けるのは大変だから、移動中は基本的に馬車の中で荷物の整理をしたり、こっそりお昼寝したりしている。

 

「やはり農繁期は義肢の点検依頼が多いな。骨が折れる」


 ルーデットは言いながら、御者席の上で肩を回す。

 疲れたように息をつくけれど、隣に座るサーラに目を向けると、顔に小さく笑みを浮かべた。


「サーラも、仕事を覚えてきたな。感心だ」

「ありがとうございます。診察のお手伝いって忙しいけれど、人の役にたてて、とっても楽しいです!」


 獣人の少女は大きな瞳を輝かせ、ルーデットに頷いた。

 サーラは手先が器用なだけでなく、なかなか物覚えも良い。

 彼女を保護して、二週間。短い時間ながら、すっかり仕事に慣れていた。


 のどかな時間が過ぎていく。

 流れる雲を眺めながら、口から逃げ出そうとする欠伸を噛み殺す。

 

 と、そんな時。

 どこか重たい、不穏な風がルーデットの頬を撫でた。


▽▼▽


 人気のない三十年街道の道中。

 ルーデットは馬車を急停車させた。


 馬車の進路――そこに大柄な人影が立ち塞がったから。

 

 身長は二メートル近いだろうか。

 肩幅が広く体躯のデカい男だが、その顔は確認できない。頭から膝まで、長いローブですっぽりと体を覆っている。


 最初は巡礼者の類かと思ったが、違う。

 その身から発する気配――それがやたらと威圧的であり、まるで獣臭さのようにルーデットを威嚇していた。


「邪魔だぞ、何の用だ」


 ルーデットが抑揚のない声をかけると、大柄の人物はローブの奥から黒々とした瞳でジッと彼女と、その背後にある馬車を睨んだ。


「ルーデット・フィルクラム魔導爵だな。獣人の娘を返してもらう」


 男の声は、遠方で鳴り響く稲妻のように低く、迫力があった。

 ルーデットは御者席から降りながら、尖った鼻で小さく嘆息。

 どうやら……男はサーラを狙う追手らしい。


「貴様らに渡すものなど、何もない。さっさと失せろ」

「そうもいかん。俺も仕事でここに来ているんだ。手ぶらでは、帰れない」


 男の声は、挑発的。

 ルーデットを”魔導爵”と知りながら、一戦交える覚悟があるらしい。

 そうとう、腕に自信があるのだろう。


「ルーデット様っ! 誰ですか、その人は!」


 大男と睨みあっていると。

 馬車の荷台から、ぴょんとペルーシュカが飛び出してルーデットの隣に立つ。

 青くて透き通る瞳が、訝し気に巨躯を見つめた。


「どうやら、サーラの迎えが来たらしい」


 ルーデットが言うと、ペルーシュカが焦ったように目を見開く。

 

「じゃあ、この人……この前、街道で商隊を襲った人たちの仲間なんですね」

「そうだろうな」


 つまらなそうに言うルーデットだが、すぐにその顔がぴくり、と反応。


 大男とは別。

 馬車の背後に、ぞろぞろと黒衣を纏った男たちが現れた。

 人数は、ざっと十人。


 前方には大男、後方には黒衣の男たち。

 完全に囲まれてしまったが――ルーデットは慌てない。


「ペル、お前は前のデカいヤツを倒せ。私は後ろの雑魚をやる」

「わっかりました!」

 

 元気よく前に進み出るペルーシュカ。

 その背を見送りながら、ルーデットは馬車の荷台を見つめる。


「サーラ、ちょっと荒っぽいことになる馬車からは出るなよ」

「…………はい、ごめんなさい」


 馬車の荷台。そこに隠れるサーラから、か細い声が返ってきた。

 気を取り直すと、ルーデットは背を返し、黒衣の男たちに向き直る。


 邪魔ならば、排除すればいい。

 それは部屋に入り込んだ虫であっても、命を狙う追手であっても同じ。

 シンプルな対処法だった。

 

▽▼▽


 大男と対峙するペルーシュカは、口をきゅっと結んで表情を引き締める。


「おじさん、怪我をしても恨まないで下さいね」

「心配するな。お前じゃ俺には勝てんよ、チビの”調律兵”」


 大男は吐き捨てるように笑う。

 男は、”調律兵”のことを知っている。ならば、ペルーシュカの実力も把握したうえでの自信というわけだ。

 手加減をする必要は、無い。

 

「それじゃ……行きますよッ!」


 鋭く言うと、同時。

 ペルーシュカは重心を低く落とすと、地を蹴り上げて疾走。

 土を巻き上げるほどの加速は、義足に内蔵する”叡晶石”がペルーシュカの体内を廻る魔力を増幅。その身体能力を大きく向上させているから。

 

 頑丈にして体に適した”特殊義装”のおかげで、ダッシュの加速も最適化。

 小さなナースが、破壊兵器となって大男に迫る。


 加速の勢いのまま、ペルーシュカは飛び上がった。

 狙うのは、大男の顔面。

 そこに強烈な攻撃を見舞い、一撃で昏倒させる作戦。


 体が舞い上がる勢いを風で感じながら、半身を回転。

 ぐォンッ! と空間を薙ぐ音と共に、渾身の回し蹴りが放たれた。


 岩塊さえも破壊する、ペルーシュカの蹴り。

 男がいくら頑丈でも、直撃を受けては無傷では済まない。


 そう、思っていたのだが。

 ペルーシュカのキックは、大男が顔を守るようにかかげた右腕を直撃。

 肉を打ちつける不気味な音と、骨を震わせるびりびりと痺れる痛みが不協和音のように発生。


「っ!?」


 そして、渾身の蹴りは。

 大男の体を吹き飛ばすどころか、一歩の身動きもさせないまま受け止められていた。


「いい攻撃だ。だが、少し物足りんな」


 言って、蹴りを受け止めた腕を振るい、ペルーシュカを弾き飛ばす。

 宙で回転し、猫のような機敏さで地に着地するペルーシュカは、顔に驚きを浮かべていた。


 自分の蹴りが、防がれた。

 そんなことは、初めてだったから。


「驚いたか? 俺の体も、特別製でね」


 くぐもった笑い声。

 男は身に着けていたローブを投げ捨てると――その下から、異形の肉体が現れた。

 

 男の右腕。

 それが獅子を思わせる、赤褐色の体毛に覆われていた。

 指先からも、歪曲した爪が伸びている。

 まるで、肩から先の腕部だけが野獣と化しているかのような、異質な肉体である。


 ペルーシュカは怪異を前に、震える口で生唾を飲み込んだ。


「あ、あなたも……獣人、なんですか?」

「違う。とだけ答えておこう。貴様とは違う意味で”特別”なんだよ」


 言うなり。

 大男は一歩、大きくペルーシュカに踏み込む。

 巨大な手の平を振り上げ、小さなナースを叩き潰そうと荒々しく爪を叩き下ろす。

 爪が振るわれると、それはただの掌底では無く空間を切り裂く刃となる。

 咄嗟に後方に飛んで回避するが、動揺のせいか、ワンテンポ動きが遅れる。


 ペルーシュカのナースドレスの端が切り裂かれ、白い血液みたいに宙に散った。

 そして、大男は息をつかせぬ勢いで両腕を振り回し、ペルーシュカに肉薄。


 まるで――まるで、本物の肉食獣と相対しているかのような殺意。


 ペルーシュカの青い瞳が震える。

 ここまで圧倒的で、無駄のない暴力に晒されるのは、産まれた初めてだった。

 両足を失った、恐ろしい記憶。なぜか、そんなモノまで脳味噌の奥から恐怖心と共に染み出してくる。

 

「く……! 怖くないッ――私は、もう怖がったりしません!」


 防戦一方のペルーシュカだが、活を入れるように叫ぶと、瞳に闘志を再び宿す。


 男の大ぶりの拳をかいくぐり、懐に飛び込む。

 そのまま、細い足を鞭の如くしならせて振りぬけば、ナースシューズのつま先が男の脇腹を直撃。

 常人ならば、内臓が破裂するほどの威力。


 しかし、筋肉を装甲のようにまとう大男は、かすかにたじろいだだけだった。

 ペルーシュカの顔が青ざめる。


 この男は、規格外だ。

”調律兵”と同じくらい特別で――危険な存在。

 

「ふんっ、痛ェじゃねえか! 褒めてやるぞ!」


 大男は、動揺して固まるペルーシュカの隙を見逃さなかった。

 脇腹に食い込む義足を掴み上げると、そのまま天高く持ち上げる。


 視界が逆さまになり、一気に二メートルの高さにまで吊り上げられるペルーシュカ。

 混乱する間もなく、次の脅威が襲ってきた。

 大男は、まるで布切れでも振り回すようにペルーシュカの体を振り上げると――そのまま、地面に向けて全力で振り下ろす。


「き、きゃァあああああああああああああ!」


 視界に、三十年街道を埋める茶色いレンガが迫る。

 ペルーシュカの震える瞳は、ただ迫る地面を見つけ続けることしか出来なかった。

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