第25首 三条右大臣(後撰集)
名にしおはば 逢坂山の さねかづら 人にしられで くるよしもがな
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逢う」という名の逢坂山、「さ寝」という名のさねかずらが、その名に違わぬのであれば、逢坂山のさねかずらを手繰り寄せるように、あなたのもとにいく方法を知りたいものです。
(出典:百人一首.com)
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会いたい。
逢いたい。
貴方のもとへ。
いく方法を、誰かにたずねても。
そう。
私が一番、知っている筈です。
どんなに。
理由を作っても。
足をすくめているのは。
私、自身なのは、分かっています。
だから。
明日。
そうです。
今夜、旅支度を。
枕元に置いて、寝ます。
どうか、貴方が。
変わらず、一人でいますように。
せつに。
せつに。
祈ります。
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藤原 定方(ふじわら の さだかた、貞観15年(873年) - 承平2年8月4日(932年9月11日))は、平安時代前期から中期にかけての貴族・歌人。内大臣・藤原高藤の次男。醍醐天皇の外叔父。
三条に邸宅があったことから三条右大臣と呼ばれた。
※ウイキペディア フリー百科事典より
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