2-3

 香取、と表札のある玄関の前で、僕はインターホンを押す。玄関のドアは、俯いた時の表情のように、上部にだけ影がかかっている。マンションの廊下の下からは、そこまで親しみのない町の生活の音や温かい温度を感じる。僕は借りたものが入った袋を持って、お父さんを待っていた。お父さんは夜勤で働いているから、平日の昼間は部屋にいるのだ。


 玄関のドアが開かれ、お父さんが顔を出す。それと同時に僕の胸は高鳴り、愛情と後ろめたさを混ぜたようなお父さんの表情に、声をかける。


「おはよ! お父さん!」


「おはよ。佐凪。前に頼まれた映画のDVD、届いてるぞ」


 お父さんの顔がふわっと明るい表情へと変わり、それを見た僕は途轍もない安心に浸る。僕の心の、社会に対して張っている膜のようなものが剥がれ、僕は小学生の時のように子供心を躍らせる。


「ほんと⁉ 早く見よ!」


「そうだな。上がれ上がれ」


 玄関の先にあるのは、お世辞にも広いとは言えない、大人の男性の一人暮らしの部屋。だけれど僕は、まるでそこがテーマパークであるかのように、ワクワクと心を躍らせて玄関で靴を脱いだ。


 ===


 僕はテーブルに肘を預けながら、僕はバトルアニメの映画を見ていた。まぶしくなるような光の使い方をする戦闘シーンを、僕はカップラーメンをすすりながら脳裏にやきつけていた。


 お父さんはその様子を、後ろのソファに頭を預けて床に寝そべりながら見ていた。お互いにだらしない、野郎二人の空間。この時間が、僕が生きるために必要なものなのだ。


 映画を見終わって、僕はお父さんに借りた漫画やDVDを返した。その後はお父さんの本棚から漫画を取り出し、映画の余韻に浸りながら、床に肘をつけて漫画を読んでいた。


「佐凪、そう言えばもう夏休みには入ったのか?」


 寝そべって漫画を読んでいる僕に、お父さんは訊いた。


「うん」


「佐凪は、何か予定でもあるのか?」


 そう訊かれて、僕は考える。少年ヒーローになって子供たちを救う予定があるだなんて信じてもらえないだろうし……。


「うーん、分かんない。でも、最近友達ができたんだ!」


 そう言うと、お父さんは目を見開いた。何その反応……。


「お、おお、佐凪にも友達ができたんだなー」


「友達くらいつくれるよ!」


 僕をいじる楽しそうな目が、笑いに変わる。お互いにこういう時間が必要なのだと、僕はまた思う。


「まあ、あの佐凪にもできた友達なんて、佐凪と同じ変わり者だろうから、大切にしてやれよ」


「うん!」


 僕はそれだけ返した。今日の朝のクワとの会話で、クワという存在がとても大切なものになっていたから。


 ===


 僕は五時になるとお父さんの部屋を出た。新しくDVDと漫画を借り、僕は電車に乗った。急行が止まり、僕はだだっ広いホームに、会社帰りのスーツを着た人たちと混ざって吐き出される。足音やアナウンスが響くホームの中を、僕はひっそりと歩いていた。ホームの屋根からは、沈みかけの夕焼けが覗いていた。


 お母さんはいつも帰りが遅いから、僕が自由に腹を満たせるように、お小遣いを多めに設定している。県名がそのまま駅の名称になっているこの場所に、僕がお父さんの家から帰るときに毎度行っているハンバーガーショップがある。そこで僕は、漫画を読んだり、ホームを見下ろしたりして頼んだ夕食が来るのを待っていた。


 ちらっと漫画から目を離すと、白い壁が明かりを乱暴に反射する通路が目に入り、そこに、見覚えのある人影があった。


「っ⁉」


 そこにいたのは、服を買った帰りなのであろうか、父親であろう人と、桐谷礁子の姿。僕はアゲハさんからヒーローの説明を詳しく聞く前の、礁子のキラキラした目を思い出す。気づかれたらまずいと思い、僕は顔を隠すように漫画本に目を落とした。


 ハンバーガーを食べた後はそのまま家に帰り、今日の充実感とともに眠りについた。


 ===


 そして、アゲハさんの声が聞こえてくる。


 さあ、二回目のヒーローの任務だぞ!


 

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